サスペンダーズの初舞台は、文字どおり“毒だらけ”|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#7(前編)

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>

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サスペンダーズというお笑いコンビが今、お笑いファンから熱い視線を送られている。

若手芸人の登竜門といえる賞レース『ツギクル芸人グランプリ』や『マイナビ Laughter Night チャンピオンLIVE』では決勝進出。東京03飯塚悟志や、GAG福井俊太郎といったコント師からも支持される彼ら。

情けない中にも毒のある、サスペンダーズ独自のコント世界は、いつ花開いたのか。彼らにその初舞台を振り返ってもらい、コントの原点を聞いた。

「若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>」
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。

“毒だらけ”の初舞台

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古川彰悟

──サスペンダーズの初舞台は覚えていますか?

依藤 2014年のマセキの事務所ライブ『オリーブゴールド』でやった『ハイキング』っていうネタですね。初舞台にしては、反応は悪くないと思ってたんですよ。

古川 そうですね。ほかの芸人よりすごいウケてるなと。

──同じ事務所のかが屋は、初舞台で「つんつるてんにスベった」と言っていましたが、サスペンダーズは最初からうまくいった。

古川 僕らは大学お笑い出身ですからね。なまじ小賢しいところがあるんですよ。

依藤 あるなぁ。かが屋は完全にゼロからやってますからね。

──サスペンダーズは、つんつるてんにスベったことはないですか?

古川 あんまりないです。ネタの構造的にも、笑いどころがはっきりしてるので致命的にスベることはなかったですね。僕らに比べたら、かが屋がやってきたことって特殊なんですよ。

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依藤たかゆき

──たしかにかが屋は「ここが笑いどころですよ」と親切に教えないというか、そういう点ではトガっていると言えるのかもしれないですね。

古川 そうですね。かが屋のアプローチだと、慣れない最初のうちはすごくスベるのもわかります。そこを突き詰めたのがすごいですよね。

──話をサスペンダーズの初舞台に戻しますが、どんなネタだったんですか?

古川 僕がハイキングの案内人で、依藤がガイド頼むんです。

依藤 それでガイドが毒の話しかしないみたいなネタでしたね。「これは毒がありますよ」「あれも毒があります」という(苦笑)。

──文字どおり毒だらけのネタ。

依藤 やっぱなんつーか……イヤなこと言ってやりたいっていう気持ちがすごくあるんですよね。その欲求は今でもあるんですけど、当時はもろに出しちゃってました。

あと、さっきは初舞台でウケたって言いましたけど、今観返すとそこまでウケてないんですよ(笑)。マセキのYouTubeチャンネルで初舞台の動画が上がってるんで、それを観てもらえば当時の雰囲気もわかると思うんですけど……。

古川 あのときの感覚ではウケてたんですよね。自分たちも成長したし、一緒にライブに出る芸人さんたちもレベルが高いので、あれくらいのウケだと不安になります。

依藤 でも、2回目のライブでやったドラッグのネタは、めちゃくちゃウケたよな?

古川 うん、絶対テレビじゃできないネタですけど……。僕が薬物中毒者の役で、一般人の依藤を売人だと勘違いして「ドラッグを売ってくれ」ってひたすら言い続けるみたいな。そういうのもマセキは自由にやらせてくれたんで……。

依藤 マネージャーさんも褒めてくれたので、そのあともますますその路線を突き進みましたね。

古川 なんであんなネタを自由にやらせてくれたんでしょうね……。さすがに令和の価値観だと一発アウトなネタも平気でやってたんで、特殊な事務所です。

依藤 ははは(笑)。

古川 でもあの時期のネタって確実に今につながってるんですよ。

依藤 そうなんだよね。確実に遠回りはしてますけど、いい時間でしたね。

カリスマ依藤と、孤高の“マダム古川”

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──そもそも依藤さんと古川さんは、2009年に早稲田大学に入学し、「早稲田寄席演芸研究会」で出会われたそうで、芸歴以上に長い付き合いなんですね。

依藤 そうですね。最初僕はダージリンっていうコンビを組んでて、古川はピンでやってました。

古川 ダージリンはサークル内でも相当カリスマ的存在で。依藤はツッコミで、相方でボケの楡井(直之)が大声で「私は神である!」みたいに叫び続ける、カルト的な漫才をやってて、それがめちゃめちゃウケてたんですよ。

依藤 『笑樂祭』っていうナベコメ(ワタナベコメディスクール)が主催する学生お笑いの大会で優勝させてもらいました。

古川 ほんとに名を轟かせてた。

依藤 そうですねぇ(笑)。でも、その後は特に目立った活動はしなくて、名前だけが知れ渡っていくというか。

古川 僕らの同学年はけっこう組数が多い上に、おもしろい人たちが多かったんです。プロになったのは僕らとスパナペンチですね。

スパナペンチはもう解散して永田敬介がピンでやってますけど『漫才を愛する学生芸人No.1決定戦』で優勝して、在学中に人力舎に所属してました。『THE MANZAI 2013』でも、芸歴1年目で認定漫才師に選ばれるみたいなすごい人たちで。

あと今「大人のカフェ」という演劇コントユニットを主宰する伊達さんも、僕と同じようにピンでやってましたね。

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依藤 伊達さんもめちゃくちゃおもしろかったなぁ。

──古川さんがなかなかご自身のことを話してくれませんが……(笑)。「マダム古川」という芸名でやってらしたんですよね。ユニークな芸名だなと思ったんですが。

依藤 先輩がつけたんじゃなかったっけ?

古川 いや、自分でつけました。19歳の青年がマダムを名乗ったらおもしろいかなって単純な思いつきでした。その後も学生時代はずっとピンだったので、名前を変えることもなく。

──なんでひとりでやろうと思ったんですか?

古川 なんでなんですかね、19歳でトガってたというか……。もともとプロになりたかったんで、絶対に感性が合う人と組みたいと思ってたんですけど……。理想が高すぎたりして合う人がいなくて、だったらピンでやればいいかって感じでした。

それに、あとあと誰かと組みたくなったときにはもう遅いんですよ。みんな最初に組んだ相方とコンビを続けているので、余った人がいないんですよね。

──YouTubeの企画で、学生時代の初舞台を振り返っていましたよね。普通だったら照れて「恥ずかしい」「全然できてない」と茶化しがちなところを、おふたりが感慨深そうなのが意外で、印象的でした。

依藤 たしかに「俺たちこんなダセェことやってたんだ……」みたいな感覚はなかったんですよね。

古川 自分たちの原体験というか、芸人としてのエピソード0だったので、すごい懐かしいのはもちろん、当時があって今の自分たちがいるっていう気持ちを再確認したというか。お笑いサークルの4年間はそれくらい貴重な時間でしたね。

閉鎖的なサークルで、お笑いを楽しんだ大学時代

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──古川さんは最初からプロを目指していたとのことですが、依藤さんのダージリンやスパナペンチの活躍を見て焦りましたか?

古川 少しは嫉妬心とかうらやましい気持ちはありましたけど、意外と平気でしたね。今思うと、自分は一般ウケしないクセのある笑いだからと思い込むことで、自分を保ってたんでしょうね。「マダム古川は、気持ち悪いひとりコントをやってる独自路線の孤高の存在」みたいに思い込んでやってました。

──依藤さんもプロを目指していたんですか?

依藤 そうですね。高校生くらいのときからお笑いの世界には憧れてました。早稲田の付属校に通ってたので、そのまま進学して、お笑いサークルで楽しく過ごして、就活のころにまだお笑いやりたかったら、プロ目指そうかなというゆるい感じでした。

だからお笑いサークル内では、プロを目指して切磋琢磨するというよりは、とにかく楽しんでましたね。

──ゆるくやってたのに、大会で優勝をかっさらうの、かっこいいですね。

依藤 いやいや、そうまとめられると少し語弊があります(笑)。

古川 いや、でもダージリンはほんとにすごかったですよ。

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依藤 うーん……ただ、「ゆるくやってた」って言いましたけど、ある意味では僕もトガってたんですよ。ほかのお笑いサークルは変にプロ意識があるというか。「プロみたいなことやってんなぁ」という空気感が苦手で、僕はそっち側ではないなと思ってました。

──「プロごっこ」に見えたというか。

依藤 学生お笑い界の中で偉いヤツとされてる人間が、有名人みたいな雰囲気でやってたり、「誰それが解散して、あそこと組んだ」みたいな噂話はマジでしょうもないなと思ってました。

古川 解散をTwitterで発表するとかね。たしかに小さな芸能界みたいな空気があったかもしれない。けっこうお笑いサークルあるあるなんですよね。

依藤 今はお笑いサークルも10年前よりずっと盛り上がってるので、僕らみたいな感覚のほうがダサいのかもしれないですね。でも、当時はそういう学生お笑い独特の空気が生まれ始めたころだったんで、そこに合わせたくない気持ちは強かったです。学生の間は、ただただアマチュアとして楽しくお笑いをやりたかったんです。

古川 依藤と同じで、僕も“つながり”みたいなのには、抵抗がありましたね。僕らのサークルは、ほかの大学と交流がほとんどない閉鎖的なサークルで、それが性に合ってました。閉じたサークルで、ドロドロしたお笑いを作るのが楽しかったですね。

マダム古川くんは、オーディションに6回落ちる

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──別々に活動していたおふたりはなぜ、サスペンダーズを組んだんですか?

依藤 やっぱりプロになりたいなと思ったときに、費用と1年間っていう時間を考えると、養成所には行きたくなかったんです。それでダージリンの相方とか、お笑いサークルでおもしろいなと思ったヤツを片っ端から誘ったんですけど、みんな断られて。

それこそ古川も誘ったんですけど、「俺の世界観を大事にしたいからピンでやりたい」って言われて。

古川 僕は千原ジュニアさんやバカリズムさんみたいに独自の世界観を構築するタイプの芸人になりたかったんですよ。コンビではやりたいけど、僕は自分が完全ブレーンになって、僕の世界の一部でパフォーマーとして動いてくれる相方が理想でした。

だから、依藤みたいに自分のお笑いの芯を持ってるタイプは、合わないだろうなと思ったんです。

依藤 で、僕は結局誰とも組めずピンでやれるとも思わなかったんで、公務員試験の準備してたんです。そのタイミングで、マセキのオーディションに3回落ちた古川が「やっぱり組みたい」って言ってきたので、コンビになったんだよな。

古川 結果的には、依藤と話し合いながら協力してネタを作るのが、自分的には合ってるなと思います。今ならわかりますけど、僕って絶対に世界観を支配できるタイプの芸人じゃないので(苦笑)。

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──おふたりが組んで、オーディションはスムーズに受かりましたか?

古川 いや、また3回オーディションに落ちました。当時、3回落ちたら合格はほぼないって……。

依藤 言われてたね。

古川 でもあとあと聞いたんですけど、僕がピンで受けてるころ、「ピンですごい気持ち悪いヤツが来てます」って噂になってたみたいで……。

依藤 ははははは(笑)。

依藤 だから、依藤と一緒にオーディションに行ったときも「あの気持ち悪いヤツが、相方連れてきたぞ」って先入観で見られちゃって落ちたんですよね。僕のキモさのせいで、サスペンダーズはマイナスからのスタートだったんです。

でも、よく見たら相方もちゃんとしてるし、おもしろいじゃんって思ってもらえたみたいで、4回目からようやく認めてもらえて。僕ひとりの力では絶対に入れませんでした。

──そういえばサスペンダーズって名前はどうやって決めたんですか?

古川 大学の先輩に“サスペンダーズ”っていうコンビがいて、それを襲名したみたいな感じです。僕らは3代目で……。

依藤 襲名っていうよりは、盗んだって感じですけどね(笑)。オーディション受けるときに、「そういえばコンビ名決めてない」って気づいて「先輩のアレでいいじゃない」と。

古川 そのとき依藤が「サスペンダーズってめっちゃかっこいいと思うんだよ」と言ってたんですけど、僕は猜疑心を抱いてて。でも、コンビ組んで間もなかったんで、意見できなかったんですよ……。

依藤 ははは(笑)。

古川 これまで「“サスペンダーズ”ってコンビ名かっこいいね」って言われたことほとんど記憶にないので、やっぱり騙された気がします。

荒くて汚い芸人を愛してくれる事務所

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──マセキにこだわっていたのは、なぜでしょうか?

依藤 三四郎さんがけっこう売れ始めたころで、こんなにおもしろい人がいるところに行きたいと思ってました。

──三四郎さんへの憧れがあったんですね。

依藤 めちゃくちゃありましたね。ライブでは、今の世の中じゃ絶対に言っちゃいけないようなことを平気で言ってて、それがほんとにおもしろかったんですよ。自分たちの信じるお笑いを、ただひたむきにやってりゃいいんだっていう姿勢がめちゃくちゃ好きでした。

古川 当時は三四郎さん以外にもロックな感じの人がいて、僕らが所属したころでいえば、エル・カブキさん(2021年退所)とか、浜口浜村さん(2015年解散)もそうでしたね。

依藤 ほんとそうだなぁ。

古川 三四郎さんの世代は、みんな独自の世界観を持ってて、それをぶつけてくるみたいな人が多かったので、その影響はかなり受けてますね。

依藤 芸人の荒かったり汚かったりする部分を愛してくれる事務所なんですよね。特にマネージャーさんは人間の欠けてる部分が好きで、「お前らはどこが欠けてるか見せてほしい」っていうスタンスなんですよ。

6角形のパラメータがあったとしたら、大きな円になってる人は求めない。どこかが欠けてて、どこかが突出してるギザギザを大事にしようぜ、みたいな。その思想に救われたみたいなところはありますね。

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サスペンダーズ
古川彰悟(ふるかわ・しょうご、1990年4月26日、神奈川県出身)と依藤たかゆき(いとう・たかゆき、1990年6月7日、東京都出身)のコンビ。2014年に結成。2021年、『ゴッドタン』(テレビ東京)の人気企画「お笑いを存分に語れるBAR」で、東京03飯塚悟志が注目すると語った。『サスペンダーズのモープッシュ!』(Cwave/Podcast/Spotify)でラジオパーソナリティを務める。YouTubeチャンネル『サスペンダーズの稼げ年収1000万チャンネル』は、毎週火・木曜日20時に企画動画、土曜日に20生配信を行う。

文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽

【前編アザーカット】

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インタビュー後編】

サスペンダーズ「お笑いはズボンのチャックを閉めない人間も包み込む」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#7(後編)

 

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>