「売れるっていうのはずっと決めてた」勝つために、会話劇に活路を見出したダウ90000の初舞台<First Stage>#18(前編)

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>

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演劇では岸田國士戯曲賞の最終候補。お笑いでは『M-1グランプリ』準々決勝進出や『ABCお笑いグランプリ』ファイナリスト。結成2年の8人組・ダウ90000の活躍が目覚ましい。

男性4人、女性4人で織りなす小気味いい会話を中心とした演劇/コントの魅力は、2023年もますます多くの観客をつかむことだろう。

そんなダウ90000に、まだ記憶に新しいであろう初舞台=「First Stage」を振り返ってもらった。日本大学芸術学部で立ち上がった前身の演劇集団「はりねずみのパジャマ」にメンバーが集う過程や、メンバーたちの主宰・蓮見翔への想いを聞いた。

若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。

最初は嘲笑されてた

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左から:蓮見翔、園田祥太

──ダウ90000の前身となる「はりねずみのパジャマ」時代から話を聞きたいんですが、オリジナルメンバーは蓮見さんと園田さんですよね。

蓮見 はい。大学1年の2017年3月に初公演でしたね。最初は男8人でした。

──蓮見さんはもともとお笑い好きだったんですよね。なぜ演劇に?

蓮見 もうひとりの主宰に誘われたからです。だから最初は自分からやりたくて始めたわけではないんです。

──園田さんはなんで演技に興味を持ったんですか。

園田 全然興味はなくて、僕も「断らなそうだから」っていう理由で誘われて、遊びのつもりでやったんです。そしたら褒められたんで、そのまま続けてるって感じです。

蓮見 いや、すげぇうまかった。最初からうまかったんですよね。

図2

左から:飯原僚也、上原佑太

──うれしいですね。

園田 いや、ほんとうれしいですよ。演技なんてやったことなかったんで。

──脚本は最初から蓮見さんが書いてたんですか?

蓮見 ふたりで書いてましたね。あらすじを決めたあとにシーンを書くんですけど、そいつがなかなか連絡取れないヤツで、いざ会うと同じシーンを書いてるんですよ。それでどっちがおもしろいかってシーンを取り合うんです。

園田 やってたねぇ。

蓮見 それですごい空気になるんだよな。

図3

左から:道上珠妃、忽那文香

園田 そうそう。男の集団だったから、けっこう言うヤツもいて、「このボケ、何がおもしろいの?」とか言っちゃって。ほぼケンカ。

蓮見 勝率は俺のほうが高かったんですけど、毎回すごかった(笑)。

──バチバチにやり合ってたんですね。『劇場版ダウ90000ドキュメンタリー 耳をかして』で、飯原さんが「はりねずみのパジャマはすごくトガってた」と言っていたのを思い出しました。

飯原 僕ら後輩には優しかったけど、外から見るとかなり異質だったんです。映画学科なのに演劇をやってる時点で、「何やってんだよ?」って嘲笑されてましたし。だからトガっているっていうよりは……。

蓮見 トガらされてた(笑)。公演も演劇学科だったらホールを借りられるんですけど、俺らは映画学科だから教室しか使えない。テーブル立てて無理やり舞台袖を作って、照明も教室の蛍光灯だけ。演劇の中身に関係なく、フォーマットがチンケだからヘラヘラ観られてたよな。

図4

左から:中島百依子、吉原怜那

──環境的に過酷そうなサークルに、後輩の飯原さんと上原さんが入ったのもすごいですね。

蓮見 入るまでは何も知らなかったもんな。

上原 そうですね(笑)。

蓮見 そもそも飯原と上原は、前向きな4人にくっついてきた控えめな2人だったんですよ。でも前のめりな4人は俺の書いたコントをヘラヘラ観てて、2人がおもしろがってくれた。

上原 僕が初めて見たときから、今の下地はもうできてたんです。蓮見さんは最初から受け手を意識して書いてて。それまで観てた大学生が作る作品ってほとんどが「たとえ誰にも伝わらなくても、俺はこれがやりたい」って主張が強くて、僕はそっちについていけなかった。蓮見さんの観客に優しいわかりやすい書き方がいいなって思いました。

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蓮見 「はりねずみ」は存在としてはトガってたけど、作品という意味ではダントツで丸かった。今でもずっと言ってますけど、僕の書く脚本にはメッセージ性なんてなくて、ただお客さんに笑ってもらいたいだけなんですよ。

上原 観に来てくれたら勝ちだって思ってました。

園田 それ思ってたわ。

中島 わかる。

蓮見 でもマジで誰も見てくれなかった。

上原 変な看板持って呼び込むんだけど……。

蓮見 お客さん4人。で、こっちは15人くらい出てる(笑)。

蓮見翔が会話劇を磨くことになったキッカケ

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──飯原さんと上原さんの次に入ったのは?

道上 私です。私が2年生になった春で、蓮見さんたちは3年生。忽那より一個前の教室公演に出たんだよね。私は映画学科じゃなくて放送学科で。放送学科の学生の95%が入る「放送9課」っていうサークルがあるんですけど……。

蓮見 番組作るんだよね。

道上 そう、文化祭とかでお笑い芸人さんとか呼んで裏方として番組を作るんです。でも私はそもそも表に出たかった人間だったんですよね。それで最初は学外の劇団とか養成所に入ろうとしたんですけど、「はりねずみのパジャマがおもしろい」って風の噂を聞いて、1年生のとき文化祭公演を観に行ったんです。それで、今まで自分のまわりにはおもしろい人がいなかったんだって衝撃を受けたんですよ。こんなおもしろい人たちがいるのに、私はいったい何をしてたんだって思いました。

園田 あっはっは。

蓮見 気持ちいいねぇ、俺らのことでしょう?(笑)

園田 この伝説の4人のこと。

みんな (爆笑)

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道上 それで翌年(2018年)の春にもうひとりの主宰に頼んで入れてもらいました。だから私が最初にやったのは、その人が書いたコントで、初舞台では延々水を注ぐ役をもらいました……。女の子がキレて相手に水をぶっかけて、そこに私が水を注いで、また女の子がぶっかけるのを延々やりましたね。

中島 なにそれ(笑)! 見たかったなぁ。

道上 でも、当時の私にはそのおもしろさが理解できなくて、私、何してんだろう……ってなっちゃった。そのあともなかなか蓮見さんの書くコントには出られなくて、恋しい時期が続きました(笑)。

──次に入るのが忽那さんですか?

忽那 そうです。私が最初に見に行った公演が、(道上)たまちゃんの初舞台だったんですけど、そっちのコントよりも蓮見さんの会話劇に惹かれて入りました……(苦笑)。

──忽那さんは、どっちのコントが多かったですか?

忽那 私は蓮見さんです。

蓮見 俺が忽那と上原のコントを書くのが好きだったんですよ。

忽那 蓮見さんの会話劇がやりたくて「はりねずみ」に入ったのでうれしかったです。私、坂元裕二さんが大好きなんですけど、「次の坂元裕二は蓮見さんだ!」って学生時代思ってましたから。ちょうど私が最初に見た公演では、蓮見さんと園田さんがブルーシートに世界地図を広げて……あれ、なんだっけ?

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蓮見 歌に合わせて国旗を覚えようみたいなネタあったな。

道上 和田アキ子さんの「あの鐘を鳴らすのはあなた」に合わせてね。

忽那 そうそう。思い出した(笑)。

蓮見 そのネタで俺と園田が20分くらい延々話すくだりがあって、あれがめちゃくちゃウケたから会話劇をやろうって決めたんだ。さっきからもうひとりのの主宰がさんざんな言われようですけど、俺はアイツのおもしろさに敵わないとずっと思ってたんです。そいつは天才だったから、どうにか勝つために自分の武器を探してたら会話劇にたどり着いて、今こうやってダウの形ができたっていうのはあります。

演劇もお笑いも両方できる場所がほかになかった

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──次に入ったのが中島さんですね。

中島 そうです。もともと友達だった忽那の出た夏公演を観たらすごくおもしろくて、すぐに忽那に「私もやりたい」って言ったんです。たまにお付き合いで何か観に行っても、そんなふうに心から楽しかったって思えたことがなかったけど、「はりねずみ」は素直におもしろくて、「あぁ、楽しかった!」ってなったんです。そしたら忽那がすぐ「マックで蓮見さんと会う」約束を取りつけてくれて、蓮見さんとマック食べたら、入ることになりました(笑)。

蓮見 そうそう。ちょうど2か月後くらいに、俺だけで書く公演やるから、それに出てよってお願いしました。

中島 これ蓮見さんのお得意なんですけど「セリフ少ないから大丈夫だよ」って渡された台本見たら、とんでもない量書いてあるんです。それで終わったあとに「ごめんね!」って言うんです(笑)。

蓮見 でも中島は稽古してたら、できる人だってすぐわかったんですよ。だからどんどんセリフを増やしていったのもある。

中島 自分でやってても最初からすごい楽しくて、続けました。

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──最年少の吉原さんが最後の加入ですね。もともと大学も違うんですよね?

吉原 私だけ東京女子大で、東大落研に入ってて。蓮見さんが4年生で、私が1年生の冬に「はりねずみのパジャマ」がYouTube用のコントを撮ってて、そこにゲストとして呼んでもらったのが最初です。正式に入るのはダウになってから。

蓮見 2020年でコロナ禍になったタイミングで公演が打てなくなったんですよ。それでYouTubeにコント上げ始めたときに吉原に参加してもらって。だから最初はずっと公民館でネタ撮ってたんで、客前で出たのはめちゃくちゃあとだよね。

吉原 ダウの最初の演劇公演『フローリングならでは』に出たのが最初。

──吉原さんは、なんでダウ90000に入ろうと思ったんですか?

吉原 私、小さいころから子役やってた一方で、中学高校でお笑いにすごいハマって、ライブもたくさん観に行ってたんです。大学では落研に入ったんですけど、演劇もお笑いも両方好きだから、どっちもできる場所があったらいいのになって思ってて。でも、探しても見つからなかったところで蓮見さんと出会って。「どっちもやっている人がいる!」ってなりました(笑)。

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中島 怜那ちゃんは初めて一緒にやったときから抜群におもしろかったです、みんなの空気が変わりました、「ヤバいっ!」って。すごかったよね? 「おもれー!」って。

蓮見 コントの演技が最初からできてたんですよ。みんなはやっぱり映画的な演技だった。映画とコントの演技ではちょっとニュアンス変わるので、その出力のうまさが際立ったんだと思う。

──吉原さんは最初から演劇とコントの両方やりたかったということですが、ほかの方々は両方やることに抵抗はありませんでしたか?

中島 これがコントだって知らなかったです。

道上 短編の演劇だと思ってた。

中島 まわりの人に「ダウって演劇? コント?」って言われるようになって初めて考えるようになりました。蓮見さんの書くものがおもしろくてやってただけだし、もともとお笑いをそんなに知らなかったから抵抗も何もなかったよね。

4か月連続で月15本ネタ下ろし

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──ようやくこの8人がそろうところまで伺いました。でも、ダウ立ち上げから2年でこの売れ方は想像してましたか。

蓮見 売れるっていうのはずっと決めてたんで、むしろホッとしてる感じです。日芸の人ってみんなうっすら「在学中に売れて中退したい願望」があるんですよ。

中島 「名誉中退」って言ってたね。

蓮見 そこを目指してやってたんですけど、結局、俺と園田は就職もしないまま普通に卒業してしまった。それに主宰とも急に連絡がつかなくなったんです。そこにコロナが来て活動が3カ月止まった。これは、いよいよ売れなきゃヤバいし、ダウ90000として仕切り直そうと。「これからマジで売れるので、就職するつもりの人は抜けてください。みんながバイトしないでダウ1本で食えるようにするのでついてきてください」と言ったのが2020年の9月でした。

──卒業と主宰の離脱、そこにコロナが重なって一念発起した。

蓮見 そうです。ひとまず2021年1月の小屋を押さえて第1回演劇公演『フローリングならでは』を目標にしつつ、そこにお客さんを呼ぶためのコントライブを毎月やることにしたんです。だからダウの初舞台は『あの子の自転車』っていうコントライブですね。

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──今も続いてる企画ですね。

蓮見 はい。でも初舞台にあたる一発目のコントライブは、この人数をコントで動かすのは大変だなって感覚で終わりました。結局その毎月15本書くのを4カ月続けたんですが……。

園田 ははは(笑)。

吉原 あれすごかったなぁ。

蓮見 あと1カ月続いてたら俺、折れてた。でも年末あたりに翌年の『テアトロコント』に出ることが決まって、なんとか折れずに済んだ。

吉原 東大落研の人たちと「蓮見さんヤバくないっすか?」ってずっと話してたわ。

道上 私たちは麻痺してたよね、そういうもんだって思ってた。

中島 それしか知らないから。

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蓮見 俺もそういうもんだって思って書いてた。「はりねずみのパジャマ」のときのほうが量も書いてるんですよ。今もYouTube100本くらい上がってますけど、あれは2週に1日集まって、14本まとめ撮りして、毎日1本上げたものです。だから当時は月28本書いてたわけで、コントライブの月15本なら半分だからできると思ってたんですが、なんだかんだキツかった。

──今ものすごく忙しいと思いますが、書いている量で言うと、当時のほうが凄まじいですよね。

蓮見 そうですね。あと今は評判があるから報われますけど、当時は書いたものが届く人数が少なかったから、今よりずっとしんどかったです。YouTube200回くらいしか再生されなかったし、『あの子の自転車』も毎回知り合い呼んで30人キャパなんとか埋められる程度。闇雲に量産する意味があるのかないのか早めに判断しないとな……ってタイミングで『テアトロコント』の出演依頼をいただいて、なんとかモチベーションがつながりました。でもこの8人での初舞台はこのあとなんですよ。

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文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平、田島太陽

ダウ90000
2020年に旗揚げした8人組ユニット。メンバーは前身の「はりねずみのパジャマ」加入順に、主宰の蓮見翔(はすみ・しょう/199748日、東京都出身)、園田祥太(そのだ・しょうた/199832日、東京都出身)、飯原僚也(いはら・りょうや/199862日、徳島県出身)、上原佑太(うえはら・ゆうた/1998106日、神奈川県出身)、道上珠妃(みちがみ・たまき/1998102日、タイ出身)、忽那文香(くつな・あやか/1999410日、兵庫県出身)、中島百依子(なかしま・もえこ/1999821日、福岡県出身)、吉原怜那(よしはら・れな/2001222日、東京都出身)。第2回本公演『旅館じゃないんだからさ』が、第66回岸田國士戯曲賞の候補にノミネートし、『M-1グランプリ2021』に蓮見、道上、忽那、中島、吉原の5人で出場すると、準々決勝まで進出。『ABCお笑いグランプリ2022』では8人コントで決勝進出するなど、「演劇/お笑い」の垣根を超えて活躍する。YouTubeチャンネル『ダウ九萬』では、毎週火曜日に動画、金曜日にラジオを投稿し、不定期でコント映像もアップしている。

【前編アザーカット】

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【インタビュー後編】

メンバー全員でコントをやってみたら、風向きが変わった──ダウ90000が「いけるな」と確信した瞬間<First Stage>#18(後編)

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