ものまね芸人・JP「毎日死ぬ気で挑むだけ」松本人志のものまねを始めた偶然と必然|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#16(後編)

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>

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2022年1月、松本人志の“代役”として出演した『ワイドナショー』(フジテレビ)をきっかけにテレビに引っ張りだことなった、ものまね芸人・JP

芸人インタビュー連載「First Stage」前編では、JPにブレイクまでの長い前夜について聞いた。

この後編では、ブレイクのきっかけとなった『ワイドナショー』出演の裏側、そして松本人志のものまねを習得していく道のりと、その過程で見出した「松本人志論」について聞いた。

【インタビュー前編】

松本人志の代役でブレイクしたものまね芸人・JP「初舞台では叱られました」19年の下積み時代を振り返る|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#16(前編)

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。

木村祐一からの予期せぬギフト

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JP

──前編ではブレイクまでの道のりを聞きました。ここからは2022年の快進撃について聞かせてください。

JP ほんとに『ワイドナショー』(フジテレビ)に出演するまでは、コロナもあって、八方塞がりだったんですよ。オセロで言ったら、角も全部取られて、もうすでに負けが確定してるような状態だった。そこに来て、オセロのルールが大幅に改定されて、なぜか全部ひっくり返った感覚です。

──とはいえ、19年も下積みをされたJPさんが、オセロの台をひっくり返して、「もうやーめた」と投げ出さずに続けたから起こった逆転劇でもありますよね。

JP そうなるんですかね。たしかに「あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」の精神はあったし、前編でも言いましたけど、やっぱり自分はいつか絶対売れるって信じてゲームを続けてましたね。

──JPさんがメインでものまねをしている松本人志さんが、コロナの濃厚接触者になって『ワイドナショー』を欠席。その代役として、1月30日の放送にJPさんは登場しました。

JP 松本さんの1ツイートで、僕の人生は全部ひっくり返りました。「リリーよりJPやな」このひと言だけですよ。

JP 最初は、以前の松本さんのツイートのオマージュで「JP、動きます」ってつぶいたんですけど、それも失礼かなと思い削除して、「JP、動けます」ってつぶやき直しましたね。「JP、動きます」だとキム兄さん(木村祐一)に「アイツ、失礼やな」って叱られるかもしれないと思いました(笑)。

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JP 話ズレちゃうんですが、のちのち、別番組でキム兄さんにお会いする機会があったんです。そしたら「兄さん(松本さん)はくるぶしソックス履かないから」って教えてもらって。僕、『ワイドナショー』のとき、くるぶしソックス履いちゃってたんですよね。

それで後日、僕の事務所の研音に、キム兄さんが高級ソックス5足送ってくれたんです。「兄さん、これ履いてください」と一筆も添えてくださって。なんて優しい方なんだろうと思いましたね。

──粋ですね。

JP ほかの人からもね、「松本さん、シャツのボタン、ここ止めへんで」とかいろいろ教えてもらうんです。ほんといろんな人からアドバイスもらってようやく成り立ってる芸なんですよ。

『ワイドナショー』でギアが上がったのは、原口あきまさのおかげ

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──話を戻すと、『ワイドナショー』はいかがでしたか。

JP めちゃめちゃ緊張しましたよ! こめかみに銃口突きつけられてるようなもんですよ。いや、ほんとサラシ巻いてカチコミに行くような感じでした。

現場着いて、東野幸治さんの役をやる原口(あきまさ)さんと合わせてたんですけど、それを見守るスタッフの中に笑ってない人がいたりして、本当心配になりましたねぇ。しかも、いざ本番になったら、原口さんがギア上げまくってるのがわかるんですよ。いつもより緊張もあるし、気合いも入ってらっしゃる。

──百戦錬磨の原口さんでもアガる舞台なんですね。

JP それはそうですよ! 本人の“代役”って前代未聞ですから(笑)。で、全力でやってる原口さん見ながら「これまずいな、全部持ってかれる」って焦って。

そこで僕、突っ込むんですよ。きっと永久保存版なんで、録画残ってる方もいると思うんですが(笑)、映像あったら観返してほしいんですけど、僕「やるぞ!」って腹決めた瞬間、立ち上がってるんです。

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──それがスイッチだった。

JP そうなんです。そこからめっちゃ動いたんですよ。ものまねって声も大事ですけど、それ以上に動きが重要なんです。そこでなんとかウケ始めて。動いたら少しずつ緊張もほぐれるじゃないけど、ちょっと落ち着いてできるようになって。

あの立ち上がったときが、僕が“かかった”瞬間です。でも、原口さんがあんだけ飛ばしてくれなかったら、僕、ぬるっと終わってましたよ。「なんとか爪あと残さなっ!」と思えたのは、原口さんのおかげです。ほんと感謝してますね。

──その後、松本さんとはお会いしましたか?

JP 楽屋挨拶させてもらいました。今までは恐れ多くて挨拶もできなかったんですけど、さすがにこれは行っといたほうがいいよなと。そしたら「ありがとうなぁ。今度お前がコロナなったら俺が代役な」って言ってくださって……。ほんと、末代までの誉ですよ。

そのあとも「てか、俺、まだお前のこと公認してへんからな!」って言いながらも、愛用してる仁丹ケースをくださったんです。あの仁丹、ご自身で詰めてるんですよ。だからあのケースの中には、松本人志の手を、指を、経由した仁丹が入ってるわけです。僕はもともと松本信者ですからね。こんなことあり得ないですよ。今年でもう終わりよ。運、使い果たしてる。

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JP あと、個人的には今こんなにお仕事いただけてるのは、『ワイドナショー』の4日後に『ラヴィット!』(TBS)に出たのも大きいと思ってて。

──MCの川島(明)さんのものまねで出演されたんですよね。

JP はい。あれも突然番組スタッフから「明日ラヴィットいけますか」って電話かかってきて。それで世間に「松本人志から川島明までものまねできる!」っていう振り幅を見せられたのが大きかったですよね。あの短期間に、そんな機会がまとまってきたのがびっくりです。

松本人志のものまねを始めた偶然と必然

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──そもそも、JPさんは松本人志さんのものまねをどうやって体得していったんですか。

JP 子供のころはずっと『(ダウンタウンの)ごっつええ感じ』(フジテレビ)を観てたので、ダウンタウンがDNAに刷り込まれてるんですよ。それでごっこ遊びの延長で、『ごっつ』のキャラクターであるMR. BATERなんかのものまねをよくしてました。

──子供のころからしていた。

JP そうですね。でもあくまでもキャラのまねでした。松本さんのものまねを最初にやったのは、NSC辞めて、上京資金を貯めるために、自動車工場で働いてたときです。部品を運ぶトラックを運転する仕事だったんですが、そのとき、偶然ラジオから「チキンライス」(浜田雅功と槇原敬之)が流れてきた。それを松本さんの声まねで歌ってみたら「めっちゃ似てるな!」と。

それから毎日毎日「今日は~クリスマス♪」ってずっと歌ってました。それで歌えるようにはなったんですが……素のしゃべりとなると難しい。

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──なぜですか?

JP  子供のころからやってたコントキャラのものまねは、そもそも松本さんが誇張してやってるから、ツボを押さえやすいんです。たとえば志村けんさんもみんな「あんだって? アイーン」とかバカ殿とかはまねしやすいけど、普段のローテンションな志村さんのまねは難しいでしょ。

──たしかにそうですね。

JP  じゃあどうすればいいかっていうと、キャラの分だけ引き算をすればいい。キャラが混ざってるぶん、本人のエッセンスだけを抽出していく。ブレンドウイスキーを、シングルモルトにしていくわけですよ。

それを体得するまではだいぶかかりましたね。だから上京して5〜6年はショーパブでは「松本人志」じゃなくて「MR. BATER」だけやってました。

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──JPさんは長瀬(智也)さんとか、香取(慎吾)さん、大阪のお笑い芸人さんとか、すでにレパートリーはあったのに、なぜ松本さんを極めることにしたんですか。

JP  もちろん松本信者っていうのが第一ですけど、売れるためには、誰もやってなくて、僕以外誰もまねできない人を完璧にやるのが必勝法だと思ったからです。

顔まねのダウソダウソさんはいましたけど、松本さんのしゃべりまでまねしてる人はいなかった。その上、僕は子供のころからMR. BATERはやってるので、そんなに遠い道のりではないぞ、と。そこは必然でしたね。

あとひとつアドバンテージがあったんですよ。それは僕が関西弁のネイティブということ。松本人志さんのものまねに挑戦してる人はほかにもいました。でも、関西人から聞くと、どうしても違和感が残る。その点、僕は滋賀出身で関西弁がデフォルトだから有利やったと。

「すべらんなぁ~」のフレーズがJPを導いた

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JP  ただ、ここでも大きな問題があって。当時の松本さんって、キャッチーなフレーズを使ってなかったんです。

──なるほど。

JP  松本さんはカリスマでしたけど、老若男女にわかる個としてのキャラは意外と持ってなかった。僕が当時やってたのは「ウソよねーん!」ってフレーズでしたけど、これはハマらなかった。

そこで始まったのが『(人志松本の)すべらない話』(フジテレビ)でした。そこで「すべらんなぁ〜」のフレーズを聞いたとき、「これや!」と思って、「番組続いてくれ〜」と願ってたら、流行りまくってゴールデン番組になった。

──ひとつの「松本人志論」としても、おもしろいですね。

JP  そうですか。で、そのころのオーディションで「すべらんなぁ〜」を取り入れたら、まぁハネたんですよね。そこにプラスアルファで松本さん独特の動きを取り入れていって、今の形が完成しましたね。そこからものまねファンには知られるようになりました。

でもそこからがまた難しい。ものまねってお笑いファンはあんまり観ないんですよ。

──そうなんですか、意外です。

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JP  お笑いとものまねでは主戦場が違うんですよね。これは僕も自分でやってみるまでわかりませんでした。お笑いは劇場でやるでしょう。あそこは若い女性も来るところなんですよね。でも、ものまねのショーパブは中小企業の社長さんとかが相手なんですよ。だから比較的閉じた世界なんで、意外と流行っていかないんです。

だから僕、2019年に松本さんとタウンワークのCMで共演させてもらったんですけど、似てるもんだから、むしろ話題になりませんでしたもん。「合成だと思った」ってよく言われました。もしあのころ、僕の存在がお笑いファンくらいまで広まってたら、もうちょっと話題になったと思うんですよね、「あのJPが松本人志とついに共演!」って。

──似すぎて気づかれないのは、ものまね芸人としてはすごいけれど、タレントとしてはもったいなさすぎる……。

JP  ほんとですよ。1日300回くらい流れてたのに、なんの反響もなかったですから(笑)。お笑いファンに広まったのは、2020年に始まった『千鳥のクセがスゴいネタGP』(フジテレビ)から。ほんとに少しずつ進んできたのが、今年ようやく爆発した。ほんとにコロナで仕事が激減して、悩んでましたけど、それまでの積み重ねがあったから、思いがけないラッキーが降ってきた。

今はもう明日には終わると思って、毎日死ぬ気でやってます。いつ何が起こるかわからないですし、刹那ですからね。ただただ、支えてくれた皆さんへの感謝と楽しむ気持ちで精いっぱいやるだけですね。

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文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽

JP(ジェーピー)
1983731日、滋賀県出身。2003年にものまねタレントとしてデビュー。2022年、松本人志が『ワイドナショー』を欠席した際、松本人志のものまねで代役として出演し、話題に。モノマネのレパートリーは500を超える。YouTubeチャンネル『モノマネモンスター JP』も更新中。Twitter @jpmaesaka

【後編アザーカット】

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