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増田明美さん

投稿日:2016年02月27日 08:50

 

今や「詳しすぎる解説」などと言われるマラソン中継の解説者増田明美さん。

一人一人の走る姿そのものもさることながら、普段の練習や生活などを解説コメントにどんどん入れてきます。

一人のマラソンランナーが一人の人間に感じられてくる、そんな解説です。

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増田明美さんに2時間じっくりお話を聞くチャンスがありました。

千葉の豪農に育ち、ミカン畑をぐいぐい登りながら遊んでいるうちに脚力が付き、いつしか陸上部に。

走るたびに日本記録を更新して、気づけば日本代表選手。

それも、オリンピックに初めて取り入れられた女子マラソンの代表選手。

1984年のことです。

 

高校生のころからよく増田さんの取材をさせてもらっていましたが、今回オリンピック直前に絶不調だった話を改めて聞くに当たり、マラソンの難しさと、代表選手のプレッシャーの強さを再認識させられました。

会社で開いてくれる歓送会に出ることもできず、一人湘南に向かい海を眺めていた話。

当時女瀬古といわれていた増田さんは思い余って、内緒で瀬古選手に「絶不調なんです。どうしたらいいでしょう」とすがるように電話をしたそうです。

実はその頃、瀬古選手も練習のしすぎで血尿が出ていた時期で、母親から「お願い!死なないで!」と言われていたのでした。本番直前で不安になればなるほど練習を重ね、それによってさらにコンディションを崩して不調に陥り、心理的にも追い詰められていく。家族には1964年の東京オリンピックで銅メダルを獲りながら次のオリンピックまで復調できずに自殺をした円谷幸吉さんの姿がダブって見えたのでしょう。「死んじゃなだめ!」そんな言葉を瀬古さんの母親はかけていたそうです。

その思いは増田さんの家族も同様でした。

明美さんは、ロサンゼルスオリンピックでは、結局途中16キロでリタイア。

収容車で競技場に運ばれ、医務室に置かれたモニターに映るスイスのアンデルセン選手がフラフラになりながらゴールする姿に、「もう私は日本に戻れない!」と思ったそうです。

成田空港に降り立った否や、浴びせられた言葉は「おい!おまえ!非国民!」という見知らぬ男性からの冷たい言葉。迎えに来ていた叔母様が飛んできて青い帽子をかぶせて顔が見えないようにしてくれたそうです。

本人が好きで始めたスポーツなのに、オリンピックになると過度な期待をする周囲。

さらにはそれにこたえようと無理をしてしまう日本の選手たち・・・

そこには日本人の国民性が見え隠れします。

 

増田さんの解説には人間として一人一人を裏側までしっかり見ていこう、決して走るマシーンとしてとらえるのはよそうという自分の経験からくる強い思いがあるように感じられました。

それが今のマラソン解説に生きているのでしょう。

 

私にとっては現役時代に彼女が走るレースを実況したり、インタビューをしたり、今ではさまざまな審議会でご一緒したりと30年以上にわたり、見つめてきた方の一人です。

是非ご覧ください。

ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ BS朝日 2月27日土曜日 夕方6時から

 

 

 

 

 

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