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シンクロ銅メダル 井村さんの執念

投稿日:2016年08月18日 01:37

リオデジャネイロ五輪で、日本のデュエット乾友紀子さんと三井梨紗子さんが銅メダルを獲得。

選手も井村雅代コーチも涙ぐむ銅メダルでした。

その涙の訳は・・・・

今日はシンクロ裏の裏をお伝えします。本当に大変な道のりでした。

 

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北京オリンピックでは、中国の美人双子の追撃をかわして、日本の鈴木絵美子&原田早穂が銅メダルを獲得。しかしチームでは5位に沈み、さらに4年後のロンドンオリンピックではデュエットもチームも5位という成績に終わったのです。1984年のロスアンゼルス五輪からメダルを獲り続けてきたシンクロが無冠に終わった陰には様々な動きがありました。

2004年、アテネ五輪でデュエットとチームに銀メダルをもたらした井村雅代コーチは、しばらく日本代表コーチを休みたいと申し出ます。日本代表ではなくなった彼女の元には世界各国からコーチの要請が届きました。そんな中の一つ、中国を選んだのです。

それまで7位が定位置だった中国を、就任3か月後に行われた世界選手権で4位に押し上げ、その勢いをさらに加速し、2008年の北京五輪では、中国チームに銅メダルをもたしたのです。

その後、中国での仕事を終えた井村さんは日本に戻って、井村シンクロクラブで新たなデュエットを作り上げるべく情熱を注ぎました。それが乾友紀子と小林千沙でした。

乾・小林の二人が日本選手権で優勝し、ロンドン五輪の代表候補となったものの、彼女たちを指導してきた井村雅代コーチは日本の代表コーチには選ばれませんでした。「敵国を指導してきた」ことが連盟幹部の逆鱗に触れていたのか、若手コーチ育成という名のもとに井村さんは排除されたのか憶測しかできないのですが、日本水泳連盟からは日本のメインコーチとして井村はいらないと言われたことだけは事実です。

 

日本代表コーチとして指名されなかった井村さんは、仕方なく北京五輪に続いてロンドン五輪も中国のナショナルコーチを引き受けます。それは井村さんの信念でした。

「現場でトップ選手の真剣勝負の指導をしていないと、刀が錆びる。いつか日本のためにこの刀を抜く時がきっと来るはず。その時のために、私は中国を指導する。」

 

2012年のロンドン五輪シンクロデュエット予選、演技順は日本の演技の次が中国でした。

中国チームのコーチとして、会場の隅で待機していた井村雅代さんは、乾・小林の演技を目の前で見ることになります。そしてあまりにこわごわと泳いでいるのに胸を痛めました。

しかし、その思いを伝えるすべはありません。周りには中国選手や中国の関係者がいます。乾と小林の周りにも日本の関係者がいます。いくら井村シンクロ所属の選手とはいえ、今は日本選手団の一員である二人にアドバイスをすることはできません。

試合が終わり、インタビューを受け、一人会場から帰ろうと井村さんが赤い二階建ての選手村息のシャトルバスに乗った時に、あの出来事が起きたのです。

「思い出すだけで涙が出る」今でも井村さんはそう言います。

なんと、乾さんと小林さんの二人が、二人だけで、バスに乗り込んできたのです。

周りには中国関係者も日本の関係者もいません。

井村さんは、こう切り出しました。

「私は今日、あなたたちの演技を会場で見ていたのだけれど、気づいたことを話してもいい?」

乾さんと小林さんはもちろん、「お願いします」と答えました。

「あなたたちなんであんなにこわごわ泳いでいるの?ここはオリンピック、自分のエネルギーをすべて伝えなくちゃダメ。もっとパワフルに恐れずに泳ぎなさい」

それは真のコーチと教え子の会話でした。

井村さんはこう振り返ります。「あれは神様がくれた時間でした。あんなこと普通はあり得ない。私たち3人だけがあの二階建てのバスにいたんですから。」

 

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ロンドンオリンピックが終わった後、小林千紗は引退を決意。米国にコーチ留学をしました。

乾友紀子は、選手を続けることを決めました。

 

井村不要論から必要論にがらりと変わったのは、2020年のオリンピックが東京に決まったことからでしょう。

2013年9月にブエノスアイレスのIOC総会で2020のオリンピックが東京に決まったものの、シンクロ界の行く末は暗澹たるもの。これを打破するには井村雅代コーチの力を借りるほかないと、往年の盟友、金子正子日本水泳連盟幹事が動いたのです。

金子さんと井村さんはいわゆるプロデューサと監督の関係。1984年のロス五輪の時から、二人で日本のシンクロ界をけん引してきました。二人は考え方が多少違うところもありますが、シンクロに対する強化という意味では同じベクトルで取り組んでいきました。

2014年2月から日本代表を見るようになった井村さんは、会うたびにこう話しました。

「この子ら、まるで異星人や。日本語が通じん。何考えてるのかわからんわ。」

2004年にアテネ五輪でデュエットとチームに銀メダルを獲らせてから、日本シンクロ界を外側から見ていた井村さんにとって、メダルを獲る喜びや苦労を知らない世代は、理解に苦しむ選手たちだったのです。

意識改革から始めました。肉体改造も始めました。

それはスポーツの基本から、すべてを作り直す作業といってもよいでしょう。

 

取材に行くたびに、涙なし見られないくらいハードなトレーニングが多かったのですが、毎回選手たちが変わっていくのを見られるのが楽しみでもありました。

懸垂を一回しかできなかった乾さんが、数か月後10回できるようになったのを見て、いったい今まで何をやっていたのかと不思議に思ったほどです。

あまりの痛さに涙を流しながらストレッチをする選手の耳元で、「そうや、そうや、人間だから涙が出てくるのは当たり前。歯を食いしばってやるんや。ほら、できるやないの!」と声をかける井村さんの言葉には愛情がこもっていました。

無酸素の状態で泳ぎ込むハイポトレーニングは選手たちが最も恐れているトレーニングです。気が遠くなりそうなハイポトレーニング。その時、ホワイトボードには魔法の言葉と絵が描かれていました。

「これを超えれば強くなる。ハイポ!」

井村さんが自ら描いた力こぶを見せる女の子のイラスト。

いつしか、気づくと、その女の子のイラストにはメダルと表彰台が書き加えられていました。選手たちが自分たちで書き加えていたのです。

 

そうして迎えたのが、このリオデジャネイロ五輪。

ロンドンでメダルを逃した乾が、新たなパートナー三井梨紗子とともに挑みました。

一方、米国へのコーチ留学をした小林千紗は、今回日本チームの総務として帯同しています。これも井村さんの粋な計らいでしょう。

 

「選手は変われる。メダルを獲る手伝いができたと思うと本当にうれしい」

66歳の誕生日のお祝いは乾さんと三井さんからの大きな重いメダルでした。

 

デュエット決勝、その詳細ドキュメントは、また、書きます。

まずはここまで。

1984年のシンクロの五輪演技はすべて現地で取材してきた宮嶋がお伝えしました。(笑)

 

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