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フィギュアスケート 髙橋大輔、アスリートへの変身を支えた医学

投稿日:2015年09月12日 13:05

スポーツと医学の関係は近年相思相愛とも言える密接な関係になってきています。

9月10日から京都で日本整形外科スポーツ医学会学術集会が行われました。その中の特別企画として「アスリートとアーティストの融合を目指して」と題し、フィギュアスケートの高橋大輔さんをはじめとする方々からお話を伺う役割を仰せつかりました。

昨年引退を表明したフィギュアスケートの高橋大輔さんは、語学やダンスの勉強でNY留学ライフを満喫中でしたが、この学会のためにわざわざ一時帰国してくれました。というのも依頼主は高橋さんの恩人ともいえる人だったからです。  

その恩人とは京都鞍馬口医療センターの原邦夫先生です。  

 

日本整形外科スポーツ医学会

<吉田氏、高橋氏、学会会長久保氏、宮嶋、原邦夫氏>
これまで多くの怪我から立ち直ったスポーツ選手を取材してきましたが、その中でも高橋大輔さんのケースは実に興味深い点が多く、後世に語り継いでいく必要があると強く感じています。より多くのスポーツ関係者やスポーツドクターに知っていただきたいことがたくさん内包されているのです。

高橋さんがトリプルアクセルの練習中に転倒して、右ひざに違和感を感じたのは2008年10月のことでした。右膝前十字靭帯断裂および半月板損傷でした。トレーナーが選んだのが、関西で前十字靭帯の手術のうまさでは定評のある原邦夫医師でした。

原医師はなでしこジャパンがワールドカップ優勝したときの帯同ドクターでもあり、サッカーだけでなくラグビー、バスケットボールなど、靭帯損傷した選手を数多く手術で蘇らせていました。

しかし、意外なことに原医師にとってフィギュアスケートの選手は初めてだったのです。

膝の前十字靭帯においては、手術が成功してもしばらくは「できるだけひねらないように、できるだけ飛んだり跳ねたりしないように」と注意をするのですが、フィギュアスケートと言えば、その注意事項をあえてやらなければいけない競技です。原医師は、手術をしない方法はないものかと考えたといいます。

「右膝が使えないんだったら、左脚で踏み切ったり、左脚で着氷したりできないの?」と最初に聞いたほどで、フィギュアスケートはおろか、高橋選手のこともほとんど知らなかったそうです。

「こりゃだめだ・・・なんという医師に会ってしまったんだろう。」と内心思った高橋さん。

しかし、彼が手術をする決断をしたのは原医師の一言でした。

「手術後、きちんとリハビリをすれば、今よりずっといい動きができるようになるよ」という原医師の言葉に、オリンピックシーズンを翌年に控え、どこまでできるかわからないがとりあえずやってみようと高橋さんは手術に踏み切ったのです。

原医師の経験に裏打ちされた的確な手術。

膝の裏から腱を取り出し、膝に開けた穴に通し、前十字靭帯を再生するオペが行われました。

手術後、原医師が声をかけたのはリハビリ担当の理学療法士の吉田昌平さんでした。

「あとは、吉田君、君の仕事だ。」

手術後のリハビリテーションの如何によって、すべてが決まってくるのです。

かつて私は、原医師の取材をさせていただいたことがあります。

なでしこジャパンの近賀ゆかり選手が前十字靭帯断裂をしたときに、その回復までの過程を取材させていただきました。その時も感じたのですが、原医師のすごさは、手術のうまさだけではなく、そのあとのリハビリテーションへの移行にもあったのです。

アスリートのように、手術後に再び強度の高い運動を行う者にとっては、手術後の回復具合を見ながら、リハビリの強度を調整していくことがとても重要で、ここが原医師の場合、特に優れているのです。

原医師が国際学会にも発表したMRangyoという独自の透析の手法を使うことで、移植した靭帯が身体に生着していく様子を視覚的に見ることができます。この方法を使って、今この状態なら、この強度でトレーニングをしてもかまわないという指令を出していくのです。

 

さらに、リハビリは手術をした膝の動きそのものだけではありませんでした。

実は手術前に高橋大輔さんの動作チェックを担当した理学療法士の吉田さんが、意外なことに気づいていたのです。

怪我をする前、高橋大輔さんは2006年のトリノオリンピックで8位入賞、2007年の世界選手権では2位という成績でした。しかし、その身体は思いのほか柔軟性がなく、特に股関節回りがとても固いことがわかったのです。また足首の硬さも尋常ではありませんでした。

手術が成功しても、この股関節や足首の硬さがある限り、硬い氷からのショックをすべて膝で受けてしまうことになります。再び断裂をおこしてしまう可能性が出てきます。「この身体の硬さを直さなければすべて水の泡になってしまう可能性もある。」吉田さんの腹は決まりました。

そのリハビリは予想以上のきつさでした。

「あまりの辛さに逃げ出しましたからね。本当にきついんですよ。僕はそれまでスケートでも頑張って何かを必死にやるというタイプではなく、感覚に任せてやるタイプだったので、本当に大変でした。」という高橋さん。

失われた筋肉を取り戻すための筋トレに加えて、理学療法士吉田さんの指導のもと、徹底的に股関節回りを柔らかくし、さらには足首の可動域も広げていきました。いわゆる柔軟ですから、これが辛い。

吉田さんは「2度ほど、リハビリの時間になっても来ない高橋さんを迎えに、家まで行きましたからね」というほどで、その厳しさに嫌気がさして高橋さんはエスケープすることもあったそうなのです。

しかしリハビリは高橋さんの心に変化ももたらしました。

「それまで一人で練習することがほとんどだったんですね。他の競技の選手との交流もほとんどありませんし、一緒にトレーニングするなんていうことも皆無でした。サッカーやバスケの人たちと同じ部屋でリハビリをするようになって、この人たちなんて頑張るんだろう、追い込めるんだろうと驚きました。僕はアスリートじゃなかったですからね。ちゃんとトレーニングなんてしなかったし、追い込むことなんてやっていなかったし。アスリートだなんていう意識もありませんでした。」 

他のスポーツ選手と一緒にリハビリをする中で、自分の身体の硬さだけでなく、メンタル面の弱さも実感したという高橋さん。

リハビリを通して何かが変わり始めていました。

高橋大輔は病院のリハビリ室でアスリートに生まれ変わっていったのです。

 

4月に初めて氷に乗った時の恐る恐るの感じ、しかし、氷をグリップできているすべりの感触など、今でもよく覚えているといいます。

6月にはフェデリコ・フェリーニの映画「道」の曲(作曲ニーノ・ロータ)で滑り始めました。

この曲に合わせて、素晴らしいステップとジャンプの演技構成が生まれていくのです。 ステップシークエンスの滑り方が断然変わってきました。体全体を使って華麗に舞うように踏むことができるようになってきたのです。股関節と足首が柔らかくなってきたおかげで、今までの硬い動きとは別物になってきたのです。

「妙な力を入れなくても、自然に動けるようになってきたんですよね」とは高橋さんの弁。  世界一と言われるステップ技術、そしてこれまでにない感情豊かな表現が見られるようになってきました。

股関節と足首が柔らかくなったことで、一番変わったのがスピンかもしれません。それまでスピンを苦手としていた高橋さんでしたが、足首が曲がることで膝の角度も深くなり、低い姿勢でのシットスピンが可能になりました。股関節が広がりフライングキャメルも美しく決まるようになってきました。 怪我をする前の映像と、術後の滑りを比べてみると、その差は歴然としています。 以前はごつい体つきで、力に任せて滑っている感がありましたが、術後は余分なものがそぎ落とされて一段とスレンダーになった身体で、感性のままに自由に氷上を舞っているように見えるのです。

ここからはすでにご承知の通りの快進撃。 1シーズンのブランクを経て、12月の日本選手権で優勝し、オリンピックの日本代表切符を手に入れ、バンクーバーの地で日本人男性としては初めての銅メダルを獲得。

ロシアのプルシェンコが試合後「You are my hero 」と言って握手を求めてきた話は有名です。あれだけの大怪我から復帰し、見事に表彰台に立ったのですから、世界のスケーターにとっても驚きの出来事だったことでしょう。 ちなみに、個人の競技で1年後にここまで見事に復帰し表彰台に立った例はほとんどないとのことでした。

さらにオリンピックの後行われた世界選手権では、日本人男子選手初の世界チャンピオンとなる快挙を成し遂げ、高橋大輔のスケートは芸術の域へと入っていくのです。

振り返ると高橋大輔選手の結果には日本人男子初が続きます。 世界ジュニア優勝、オリンピック3大会出場、3大会連続入賞、28歳での引退も男子シングルフィギュアスケーターとしては最年長です。

一つの時代を作り上げた原動力となったのは、心の中の反骨精神だったのかもしれません。

「最初に僕が行ったトリノオリンピックの頃は、女子ばかりに注目が集まり、男子は見向きもされなかったんですよ。美姫ちゃん、真央ちゃん、荒川さんの時代ですからね。あるテレビ番組なんて、タイトルに<フィギュアスケート女子世界選手権>と銘打ってあったんですよ。そんなのないのに。世界選手権は男子も女子も一緒ですよね。男子は無視ってとこですか。よーし今に見てろという気持ちはありましたよ。」
スポーツに大切なモチベーションは、本人自身が心の奥深くに持つものですが、その気持ちを結果に結びつけていく過程には、様々な人々のサポートがあるのです。「怪我の巧妙」という言葉は軽すぎるかもしれませんが、高橋さんはまさに、怪我を経て、生まれ変わり、本物のアスリートとなり、輝かしい時代を築きあげたのです。

大ちゃんももうすぐ30代。 今はNYで語学を勉強したり、ダンスに汗を流したりする日々が楽しくて仕方がないといいます。  

アスリートとして開花した裏に医学の進歩とアスリートを支えようと情熱を傾ける医療従事者たちがいることを私たちは忘れてはいけないのでしょう。

9月11日 京都にて。
宮嶋泰子日本整形外科スポーツ医学会

 

 

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コメント

高橋選手の、怪我からの復帰に辛いリハビリがあったことはマスコミの情報等から知っていましたが、このような裏話があったのですね。体操も膝を怪我したロシアの世界チャンピオンが復帰した例はありますが、跳馬の難度は下がってしまいました。が、怪我をしたとは思えないくらいの回復力に驚きました。スポーツ選手が怪我をしたときに、多くの医者が安静にしてれば、と言われますが、選手にはそんな時間はありません。練習しながらでも治さなくては、現役でベストパフォーマンスを維持できる期間はそんなに長くはありません。もっともっとスポーツ医学が発展し、優秀な理学療法士、トレーナー等が周囲に増えればいいと思います。が、その前に、現場の指導者も技術に走らず徹底的な基礎を選手に伝えて技術不足からくる怪我・故障を選手にさせないような、指導環境にならないといけませんよね。
貴重な記事をありがとうございました。

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