大越健介の報ステ後記

引いてくる人
2021年10月08日

「あんた、引いてくるね」と言われるようになった。

それは放送中に起きた。
先週このコラムを書いたときには、「あんた、持ってるね」と言われることに少々有頂天になっていたのだが、実際に報道ステーションのキャスターとなった最初の1週間で、「持っているひと」から「引いてくる人」に変わってしまった。

報道の世界では奇妙な運勢の持ち主がいる。「Aデスクが泊り勤務のときには必ず大きなニュースが舞い込んでくる」などと恐れられる人だ。「夜中に呼び出されそうだなあ」と嫌な予感とともに帰宅すると、果たして大きな事件や事故が起き、慌てて現場に駆けつけるなんてことがよくある。そんな時に「Aさんはよく引いてくる」というふうに使う。「引きが良すぎるんだよ、まったく」などと愚痴がこぼれる。

今週の僕がどうやらそれだった。
7日の夜10時41分。首都圏は大きな地震に見舞われた。震度は東京都足立区や埼玉県川口市で震度5強を記録。港区六本木にあるテレビ朝日のスタジオでは、報道ステーションのオンエアー真っ最中。足元が大きく揺れた。安全対策は施してあるとはいえ、スタジオの天井にある照明類が不規則に波打ち、恐怖心を覚える。

スタジオは予定のニュースを中断し、緊急報道に切り替わる。画面は各地の情報カメラの地震発生時の映像を映し出す。
こういうとき、何度も訓練を積んだ熟練の報道アナウンサーは心強い。相方の小木逸平アナは顔色一つ変えずに「命を守る行動を!」と呼びかけ続け、揺れの映像を正確に読み解いていく。僕も情報の補足を行いながら、急きょ電話をつないだ専門家へインタビューなどで地震被害の実態に近づこうと試みる。
放送は報道ステーションの終了予定時刻を大幅にオーバーし、日付をまたいで続けられた。

「引きますねえ」。
スタジオのバックヤードで原稿やカンペをもって走り回ったスタッフたちは、疲れた顔で言った。地震は僕のせいではないとは思うのだが、なんだか申し訳ない。
この地震では人命が失われる事態とはならなかったが、数十人のけが人のほか、マンホールから水があふれ出るなどの被害が出た。そして交通機関の混乱によって数多くの帰宅困難者が生まれ、都市機能のもろさが浮かび上がった。
地震はもうごめんだが、現実はそうはいかない。より浅い震源で発生し、深刻な被害をもたらすことが見込まれるマグニチュード7クラスの「首都直下地震」は、なお今後30年の間に70%の確率で発生すると言われている。誤解を恐れずに言えば、今回は日々の備えに怠りはないかを試す抜き打ちテストと理解すべきかもしれない。ならば、生かすべき教訓がある。

僕が引いてきた中には、素晴らしいニュースもあった。
キャスター登板2日目の5日火曜、真鍋淑郎さんのノーベル物理学賞受賞決定のニュースが飛び込んできた。気候学の分野ではほぼ例を見ない物理学賞である。地球温暖化防止は待ったなしというノーベル委員会のメッセージを読み取ることができる。
報道局内は大騒ぎである。報道ステーションの開始まで3時間しかない。大急ぎでその研究内容を確認、過去に真鍋さんを取り上げた放送素材を探し、ゲストとして招く専門家にコンタクトを取る。真鍋さんが住むアメリカ・ニュージャージー州の自宅にはニューヨーク支局の特派員が急行した。
迫ってくる放送開始時間を前に、スタッフの間には緊張感がみなぎっていた。とはいえ、やはり表情は晴れやかだ。こういうニュースは何回引いてきてもいいものだ。

だが、少し立ち止まって考えてみると、誰が持っていようが引いてこようが、この世には伝えるべきニュースがたくさんあるのだと痛感する。ニュースを伝える現場は、時代の証人としての役割を負っている。限られた時間の中であっても、可能な限り事実の本質に迫る努力を惜しんではならないと、覚悟を新たにする。

番組初登板となった激動の1週間を終えて自宅でほっとしていると、この1週間、仕事以外のことにほとんど目が向いていなかったことに気づいた。なんだか妻の顔も久しぶりに見たような気がする(ごめんなさい)。このコラムを書いていると、猫のコタローがしきりにキーボードに乗っかってきて邪魔をする。甘えたかったんだろうなあ(ごめんなさい)。

02 01

庭の片隅にある小さな家庭菜園に出てみた。シシトウが「早く食べてくれ!」と言わんばかりにたくさんの実をつけていた。放ったらかしでごめんなさい。
来週は「持っている」とか「引いてくる」とか言わなくても済む、平穏な日々が続きますように。いや、平穏すぎても報道番組としてはつらいものがある。悩ましい。

04

シシトウは、甘辛く煮て酒のつまみにでもするか。

(2021年10月8日 記す)

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