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2500回記念③祝典の音楽会

投稿日:2017年02月19日 09:30

番組2500回記念シリーズの第3回は「祝典の音楽会」。今回の収録は赤坂のサントリーホールで行われました。今でこそクラシック音楽専用のコンサートホールは珍しくありませんが、その草分けが1986年に開館したサントリーホール。その響きの美しさは今でもトップレベルにあり、東京でもっとも盛んにオーケストラのコンサートが開催されているホールでもあります。節目を祝う「第九」にふさわしいコンサートホールといえるでしょう。
 ベートーヴェンの「第九」初演は1824年のこと。初演は大成功を収めたものの、その後は決して盛んに演奏される作品ではありませんでした。むしろ長大で難解な曲として不人気だったといってもよいほどです。しかし、この曲に魅了されたのが少年時代のワーグナー。ワーグナーは「第九」を指揮する夢を抱き、やがてザクセン宮廷劇場の指揮者に就任した際、周囲の猛反対を押し切って「第九」を指揮し、公演を成功に導きました。ワーグナーは「第九」復活の立役者だったんですね。
 その後、ワーグナーはバイロイト祝祭劇場の定礎式でもベートーヴェンの「第九」を指揮し、以来、現代に至るまで新しいホールのこけら落としや音楽祭のハイライトなど、特別な機会に「第九」が上演されるようになりました。日本では暮れの風物詩として独自の定着を果たしていますね。
 今回は「第九」の第4楽章「歓喜の歌」に最先端のプロジェクション・マッピングが加わって、音楽的にも視覚的にもドラマティックな「第九」が実現しました。バート・クレサさんは、サントリーホールのパイプオルガンに着目して、オルガンの造形を生かしながら、そこに草木や蔓、花、ステンドグラス、オペラ劇場、抽象的な幾何学模様など、多彩なイメージを投影していました。音楽と映像が有機的に結び付いていたのではないでしょうか。

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ヴァイオリンの名曲を奏でる音楽会

投稿日:2017年01月22日 09:30

今週は「ヴァイオリンの名曲を奏でる音楽会」。五嶋龍さんと名演奏家たちによる共演で、多彩な名曲をお聴きいただきました。世界最高峰のヴァイオリニスト、マキシム・ヴェンゲーロフ、2000年のショパン国際ピアノ・コンクールを最年少で制したユンディ・リ、実は龍さんが幼かった頃からの仲だった葉加瀬太郎さん、そして今世界が注目する若きマエストロ、アンドレア・バッティストーニとのフレッシュな共演。いずれ劣らぬ名場面がそろっていました。
 本日の4曲中、最初の3曲はいずれもヴァイオリニストが生んだ名曲だといえるかと思います。ヴィエニャフスキは19世紀を代表するヴィルトゥオーゾ。作曲家である以上に、演奏家として名声を獲得していました。その演奏は完璧な技巧と温かく豊かな音色を持ち、燃えるような熱情を兼ね備えていたと伝えられます。奏者の技巧を際立たせる「2台のヴァイオリンのための奇想曲」は、そんな名演奏家ならではの発想で書かれた作品といえるかもしれません。
 ショパンのノクターン第20番遺作は、本来はピアノ・ソロで演奏される曲ですが、往年の大ヴァイオリニスト、ナタン・ミルシテインがこの曲をヴァイオリンとピアノのために編曲しました。ショパンはヴァイオリンのために曲を書いていません。しかしヴァイオリニストもショパンの曲を弾きたい、ということなのでしょう。やはり、これもヴァイオリニストが生んだ作品です。
 「名演奏家が自作を演奏し、新たな名曲を世に広める」という点では、葉加瀬太郎さんもヴィエニャフスキと同じ。「情熱大陸」は、現代に誕生した新たな名曲です。
 最後に演奏されたのはプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番。プロコフィエフはヴァイオリニストではなく、卓越したピアニストでした。龍さんが「ヴァイオリンのアクセントがスムーズでなく打楽器的」と述べた箇所がありましたが、そういえばプロコフィエフのピアノ作品には楽器を打楽器的に扱う場面が数多く見られます。ピアニスト的な発想がヴァイオリン協奏曲にも活かされているのかもしれませんね。

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協奏曲の音楽会

投稿日:2016年10月17日 10:45

今週は「協奏曲の音楽会」。反田恭平さんと五嶋龍さんのソロと、アンドレア・バッティストーニ指揮東京フィルハーモニー交響楽団が共演するという豪華な組合せが実現しました。聴きごたえがありましたよね。
 現在大ブレイク中の反田恭平さんが弾いたのは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番より第1楽章。フィギュアスケートやテレビドラマなどでも使用される人気曲で、おそらく今コンサートでもっとも演奏機会の多い協奏曲ではないでしょうか。自身が大ピアニストでもあったラフマニノフの作品だけに、高度で華麗な技巧が要求される作品です。反田さんはイタリアでこの協奏曲をバッティストーニ指揮でレコーディングしたばかり。オーケストラは異なりますが、ピアノと指揮が息の合ったところを聴かせてくれました。
 五嶋龍さんが演奏したのはプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番より第1楽章。こちらは今春、龍さんがヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団との来日公演で演奏して好評を博したのが記憶に新しいところ。アイロニーやユーモア、リリシズムが渾然一体となったプロコフィエフの魅力がひしひしと伝わってきました。
 ラフマニノフもプロコフィエフもどちらもロシア生まれの作曲家です。ともに祖国を離れて活躍しましたが、両者がたどった運命は対照的です。
 ロシア革命直後に身一つで祖国を離れ、1918年からアメリカに定住し、その後二度と祖国の土を踏むことがなかったラフマニノフ。彼にとって創作の源泉はロシアの大地。アメリカ移住後はめっきり作品が少なくなってしまいます。
 一方、プロコフィエフはやはり革命後にアメリカに亡命し、さらにパリに移り住みますが、1936年に成功を求めてソ連に帰国を果たします。帰国後も作品は書かれたものの、他のソ連の作曲家たちと同様にスターリン政権下の文化統制により、創作活動は制約されてしまいました。奇しくもスターリンと同じ日に世を去ったため、プロコフィエフの訃報はひっそりと伝えられたのみだったといいます。
 ふたりの作品を並べて聴くと、どちらの決断が正しかったのかと、つい考えてしまいます。

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バッティストーニの音楽会

投稿日:2016年10月09日 09:30

指揮者って不思議な職業ですよね。自分では一音も演奏しないにもかかわらず、オーケストラの演奏に対する最終的な責任を負うのが指揮者。指揮者は楽曲に対する自分のイメージや解釈をオーケストラの団員たちに伝えなければいけません。
 本日は「アンドレア・バッティストーニの音楽会」。若きイタリアの俊英が、表情豊かに東京フィルハーモニー交響楽団を指揮してくれました。一曲目の「カヴァレリア・ルスティカーナ」では、バッティストーニは指揮棒を置いて両手で音楽の表情を指示し、オーケストラから情感豊かな音楽を紡ぎ出していました。バッティストーニのジェスチャーに、オーケストラが鋭敏に反応するのを感じていただけたでしょうか。これは指揮者とオーケストラの間に信頼関係があってこそ。
 つい先日、バッティストーニがこの東京フィルの首席指揮者に就任すると発表されました。オーケストラの顔ともいえるポジションに、29歳の若い指揮者が抜擢されたことに驚きますが、引く手あまたの若い才能との密接な共同作業は、楽団に大きな実りをもたらしてくれることでしょう。経験がものをいう指揮者の世界では、40代でもまだ若手、70代、80代になってようやく巨匠と呼ばれることが一般的。しかし近年は、有望な若手指揮者に早くから重要なポジションを任せるという世界的なトレンドがうかがえます。まさにバッティストーニもそんな新世代の指揮者のひとり。これから大指揮者への道を歩んでいくのでしょう。
 最後に演奏されたヴェルディの「運命の力」序曲はバッティストーニ得意の一曲。すごい迫力でしたよね。ダイナミックな指揮ぶりからもうかがえるように、バッティストーニの音楽はとても熱い音楽です。しかし、熱いだけではなく、細部まで音楽を彫琢する緻密さも併せ持っているところに、彼の非凡さを感じました。

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