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オペラがわかる音楽会

投稿日:2017年05月21日 09:30

「オペラって気になるんだけど、初心者にはハードルが高い」。そんなふうに感じている方も少なくないでしょう。今週は「オペラがわかる音楽会」。オペラの聴きどころとなるアリアや重唱、前奏曲(序曲)の魅力をお伝えいたしました。
 「誰も寝てはならぬ」や「オンブラ・マイ・フ」といった名曲がまさしく好例ですが、オペラにはしばしばその作曲家のもっとも人気の高い名曲が登場します。過去の大作曲家たちは才能の限りを尽くしてオペラに挑戦してきました。なにしろクラシック音楽の世界では、作曲家が経済的成功を手にするためにはオペラのヒット作を生み出すことが不可欠と言ってもいいほど。「オペラはハリウッド映画以前の最大のエンタテインメント」という言い方がありますが、録音再生技術のない時代にあって、劇場に有名歌手たちが集ってオーケストラと共演するという出し物は一大スペクタクルであり、一大娯楽産業でもあったのです。
 大作曲家たちが傑作オペラを多数残してくれたおかげで、現代の私たちもすばらしい名作を味わうことができます。本日最後に三重唱をお聴きいただいたリヒャルト・シュトラウス作曲の「ばらの騎士」は、20世紀が生んだオペラの最大のヒット作といえるでしょう。この三重唱は大詰めの名場面で歌われます。繊細で陰影に富んだハーモニーは、これだけを単独で聴いても十分にすばらしいものですが、全幕をストーリーを追いながら聴けばいっそう感動が深まります。
 もし、本日の演奏に感動したけれど生のオペラは未体験だという方がいらっしゃるようでしたら、ぜひ劇場で本物の舞台を体験することをおすすめします。ありがたいことに、現代では何語のオペラであっても字幕が付くことがほとんど。よく知らない作品でもストーリーはわかります。その作曲家の音楽が好きであれば、初めてであっても尻込みする必要はありません。マイクを使わない生の歌唱がもたらす感動は格別です!

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ディズニーを支える作曲家の音楽会

投稿日:2017年04月09日 09:30

ディズニー映画は名曲の宝庫。初期から現代にいたるまで、途切れることなく名曲が生み出されているのがすごいですよね。今週の「ディズニーを支える作曲家の音楽会」では、そんなディズニー映画の作曲家に焦点を合わせて、名曲をお楽しみいただきました。
 今のディズニーを語るうえで欠かせない作曲家がアラン・メンケン。「リトル・マーメイド」以来、「美女と野獣」「塔の上のラプンツェル」「アラジン」など、次々と名曲を書いたメロディメーカーです。
 メンケンは1949年、ニューヨーク生まれ。歯科医の父親のもとに生まれ、自らも歯医者さんになるべくニューヨーク大学に入学したものの、在学中から音楽活動を始め、音楽の学位をとって卒業しました。両親ともにブロードウェイ・ミュージカルの熱心な愛好者だったといいますから、音楽への道はメンケンにとって自然な選択だったのかもしれません。
 メンケン以前にも、多数の作曲家たちがディズニーの歴史を彩ってきました。「ハイ・ホー」を作曲したフランク・チャーチルもそのひとり。1930年頃にディズニースタジオに入社して活躍しました。「いつか王子様が」や「狼なんか怖くない」といった曲もよく知られています。
 一方、「ビビディ・バビディ・ブー」はディズニー外部の才能から誕生した名曲といえるでしょう。ウォルト・ディズニーは「シンデレラ」の作曲家を探すためにニューヨークに出かけたところ、ラジオで当時人気だった「チババ・チババ」を耳にします。ディズニーはこの曲を作ったソングライター、アル・ホフマン、マック・デイヴィット、ジェリー・リヴィングストンに会って曲を依頼しました。もしかすると、ウォルトは「チババ・チババ」のような曲を書いてほしいと頼んだのかもしれません。というのも、「ビビディ・バビディ・ブー」と「チババ・チババ」にはよく似た雰囲気があるんですよね。

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五嶋龍 原点回帰の音楽会

投稿日:2017年03月26日 09:30

今回は五嶋龍さんが司会を務める最後の回。となれば、龍さんにとっての特別な一曲を弾いてもらうほかありません。7歳のデビューから弾いているパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番より第1楽章をお聴きいただきました。
 もう龍さんの演奏には「さすが!」というしかありません。まさにこういう演奏を「自家薬籠中の物」と呼ぶんでしょうね。流麗で覇気にあふれた演奏は、超絶技巧を超絶技巧と感じさせません。これは技巧をアピールするタイプの名曲が抱える自己矛盾とでもいうべきものなのですが、演奏が巧みであればあるほど、どこが難曲なのかわからなかったりします。じゃあ、楽器の奏法のことに精通していないと技巧的な曲の魅力はわからないのかというと、決してそうではないと思います。どういう技巧を用いた表現なのかわからなくても、技巧それ自体が一種の表現へと昇華されて人の心を動かすはずですし、そうでなくては「名曲」とは呼ばれないでしょう。
 ヴァイオリンのソロが入る前の前奏の部分から、龍さんはオーケストラのメンバーといっしょになってヴァイオリンを奏でていました。なんだかにこやかな表情が印象的でしたね。
 パガニーニの協奏曲で技巧に加えてもうひとつ感じる要素は、龍さんも言っていたように、オペラ風であること。19世紀のイタリア・オペラを思わせるような、華やかさ、軽快さがあります。主役をプリマドンナが務める代わりに、ここでは独奏ヴァイオリニストがスポットライトを浴びるわけです。
 つい先日、龍さんは来日したエリアフ・インバル指揮ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団と共演して、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を披露して客席の喝采を浴びました。2018年1月にはNHK交響楽団定期公演への初出演も予定されています。番組を卒業して世界と日本でさらに一段と大きく羽ばたく龍さんに、心からのエールを送りたいと思います。

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詩情豊かなヴァイオリンの音楽会

投稿日:2017年03月19日 09:30

五嶋龍さんの司会も残すところあと2回となりました。今週の「詩情豊かなヴァイオリンの音楽会」では、龍さんがかねてより弾きたいと言っていたショーソン作曲の「詩曲」をお聴きいただきました。すばらしかったですよね。渾身の名演だったと思います。
 エルネスト・ショーソンは1855年、パリの生まれ。フランス音楽というと、華やかさや洒脱さをイメージする方もいらっしゃるかと思いますが、この「詩曲」から伝わってくるのは濃密で深遠な詩情です。若き日よりドイツの作曲家ワーグナーに強い影響を受けたショーソンが円熟期に書きあげたのが、この代表作の「詩曲」。当初はツルゲーネフの小説を題材として、ヴァイオリンと管弦楽のための交響詩「勝ち誇る愛の歌」と題されていましたが、最終的には標題を取り去って、単に「詩曲」と名付けられました。「詩曲」の原題はPoème、つまりポエムです。
 「勝ち誇る愛の歌」はひとりの女性を巡る芸術家たちの三角関係を描いた愛憎劇だといいますが、こういった作曲家が途中でボツにした標題案を、どこまで参照すべきなのかは悩むところ。「勝ち誇る愛の歌」だと言われれば、ヴァイオリンがなんとも妖艶な旋律を奏でているようにも聞こえますし、単に「詩曲」だと思って聴けば、純化されたポエジーそのものの音楽とも聞こえます。
 ツルゲーネフの小説とはちがって、ショーソン本人は円満な環境にありました。恵まれた家庭で幼少時よりなに不自由なく育ち、早くから教養を身につけ、結婚後は5人の子供に恵まれて、家庭生活も仕事も順風満帆だったといいます。しかし、「詩曲」を書いた3年後、44歳で自転車事故(自動車ではありません)により急逝してしまいました。もしもこの事故がなければ、その先にどんな音楽世界を切り開いたのか。そう思わずにはいられません。

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世界の吹奏楽を知る音楽会

投稿日:2017年03月12日 09:30

今回の「世界の吹奏楽を知る音楽会」では、アメリカ、イギリス、日本の吹奏楽を代表する作曲家たちの名曲が演奏されました。演奏は大井剛史さん指揮の東京佼成ウインドオーケストラ。すばらしい演奏でしたよね。豊麗なサウンドと精妙なアンサンブルが、作品の真価を知らしめてくれたように思います。
 アメリカのアルフレッド・リードは日本でも非常に人気が高く、最晩年までくりかえし日本を訪れて、精力的に活動していました。「音楽祭のプレリュード」はかつて全日本吹奏楽コンクールの課題曲にもなったこの分野の古典。輝かしいファンファーレが気分を高揚させます。
 イギリスからはフィリップ・スパークの作品を。この「ドラゴンの年」、なぜドラゴンかと思ったら、ウェールズのブラスバンドの100周年記念委嘱作品として書かれた(後に吹奏楽用に編曲)ということで、ウェールズ国旗の赤いドラゴンにちなんでいたんですね。ウェールズはイギリスの一部ですから普段のニュースで国旗を目にする機会はあまりありませんが、サッカーなどではウェールズ代表がこの国旗を掲げて出場します。昨年のEURO2016ではウェールズ代表が旋風を巻き起こしましたので、そこで赤い竜が描かれたウェールズ国旗をご覧になった方も多いかもしれません。
 フィリップ・スパークも日本との縁が深い作曲家です。以前、来日した際のインタビューでは「日本以外の国で、軍楽隊を除くプロの吹奏楽団はほとんど見当たらないし、吹奏楽のコンサートで大ホールの客席が埋まることもまずない」と語っていました。この日の演奏の東京佼成ウインドオーケストラもそうですが、日本のようにプロの吹奏楽団が存在して、それが大勢のお客さんを集めているということは、本当にすごいことなんですよね。
 おしまいは日本の作曲家、真島俊夫作曲の「地球 – 美しき惑星」が演奏されました。組曲「惑星」を書いたホルストへのリスペクトが伝わってくるような、生気にあふれた音楽でした。

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歴代の指揮者を語る音楽家たち

投稿日:2017年03月05日 09:30

今週は藤岡幸夫さん、山田和樹さん、三ツ橋敬子さんの三人の指揮者が集まって、歴代の名指揮者や指揮の秘密について語ってくれました。指揮者同士が語り合う風景って、それだけでもなんだか新鮮ですよね。
 それぞれ憧れの名指揮者をひとりずつ挙げてくださりましたが、その人選がとても興味深いものでした。
 藤岡さんは「帝王」カラヤン。20世紀後半の楽壇に君臨した大指揮者といえば、この人。ベルリン・フィルとともに流麗で輝かしいサウンドによって一時代を築きました。藤岡さん曰く、「カラヤンはライブの人」。カラヤンというと録音でも映像でも徹底的に作り込んだ記録を残す人というイメージがありますが、本領を発揮するのはライブだったといいます。これが言えるのはカラヤンの生演奏を体験している世代だからこそですね。
 三ツ橋さんが挙げたのは天才肌のカルロス・クライバー。おそらくクライバーほど指揮姿の美しさで人々を魅了した指揮者はいないでしょう。クライバーはカラヤンとは正反対で、録音にも録画にも消極的で、しまいには指揮をすることすら珍しくなってしまい、存命中に半ば伝説の人になってしまいました。ですから、残された映像は限られているのですが、そのインパクトは絶大。三ツ橋さんによれば、「音楽が伝わってくる」指揮姿。ほれぼれとするようなしなやかな身振りには、各々に意味があって、それがプレーヤーに伝わるというあたりがクライバーの天才たるゆえんでしょうか。
 山田さんはストコフスキを挙げていました。ストコフスキは既存の常識にとらわれず、次々と新しいアイディアを実現した人です。古い時代の大指揮者ですが、テンポの動かし方など独特の解釈を聴かせてくれることから、今でも根強い人気があります。ストコフスキ・ファンの方は快哉の声をあげたのでは。
 三者三様、納得の人選だったのはないでしょうか。

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2500回記念④ 歴史を彩る音楽会

投稿日:2017年02月26日 09:30

番組2500回記念シリーズの掉尾を飾るのは「歴史を彩る音楽会」。クラシック界を担う若きスター奏者のみなさんが一堂に会して、アンサンブルを組んでくれました。超優秀な奏者たちがひしめく若い世代を代表するような豪華メンバーが勢ぞろい。みなさん、本当に上手いですよね。あのメンデルスゾーンの弦楽八重奏曲ときたら! あれだけ細部まで彫琢された精妙な演奏はめったに聴けるものではありません。
 メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲は、よく音楽祭などで演奏される名曲です。室内楽というと多くの作曲家が弦楽四重奏の名曲を書いていますが、八重奏が書かれることはまれなこと。弦楽四重奏団2つ分の奏者が必要になりますので、本来演奏機会は限られているのですが、なにしろ曲がとてつもなくすばらしい(これを16歳の年に書いたメンデルスゾーンの早熟ぶりには驚嘆するしかありません)。ですので、弦楽器の名手がたくさん集まる機会があると、せっかくだからこの曲を演奏しようということになります。番組収録中に奏者の方々もおっしゃっていましたが、いつかこのメンバーで全曲演奏するところを聴いてみたいものです。
 ショパンのピアノ協奏曲第1番では、辻井伸行さんのピアノや川瀬賢太郎さんの指揮も加わって、いっそう華やかなアンサンブルがくりひろげられました。本来はピアノとオーケストラのための作品ですが、今回は室内楽編成に編曲してのショパン。こういったピアノ協奏曲を室内楽編成で演奏する試みは19世紀にも行われていました。なるほど、小編成には小編成の魅力があるということに気づかされます。個々の奏者間の対話の要素が強まり、奏者たちの技量の高さがしっかりと伝わってきます。辻井さんの華麗なピアノと川瀬さんのキレのある指揮ぶりのコントラストも絶妙の味わいを生み出していました。

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2500回記念③祝典の音楽会

投稿日:2017年02月19日 09:30

番組2500回記念シリーズの第3回は「祝典の音楽会」。今回の収録は赤坂のサントリーホールで行われました。今でこそクラシック音楽専用のコンサートホールは珍しくありませんが、その草分けが1986年に開館したサントリーホール。その響きの美しさは今でもトップレベルにあり、東京でもっとも盛んにオーケストラのコンサートが開催されているホールでもあります。節目を祝う「第九」にふさわしいコンサートホールといえるでしょう。
 ベートーヴェンの「第九」初演は1824年のこと。初演は大成功を収めたものの、その後は決して盛んに演奏される作品ではありませんでした。むしろ長大で難解な曲として不人気だったといってもよいほどです。しかし、この曲に魅了されたのが少年時代のワーグナー。ワーグナーは「第九」を指揮する夢を抱き、やがてザクセン宮廷劇場の指揮者に就任した際、周囲の猛反対を押し切って「第九」を指揮し、公演を成功に導きました。ワーグナーは「第九」復活の立役者だったんですね。
 その後、ワーグナーはバイロイト祝祭劇場の定礎式でもベートーヴェンの「第九」を指揮し、以来、現代に至るまで新しいホールのこけら落としや音楽祭のハイライトなど、特別な機会に「第九」が上演されるようになりました。日本では暮れの風物詩として独自の定着を果たしていますね。
 今回は「第九」の第4楽章「歓喜の歌」に最先端のプロジェクション・マッピングが加わって、音楽的にも視覚的にもドラマティックな「第九」が実現しました。バート・クレサさんは、サントリーホールのパイプオルガンに着目して、オルガンの造形を生かしながら、そこに草木や蔓、花、ステンドグラス、オペラ劇場、抽象的な幾何学模様など、多彩なイメージを投影していました。音楽と映像が有機的に結び付いていたのではないでしょうか。

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2500回記念②ウィーンのスーパースター軍団と音楽家たち

投稿日:2017年02月12日 09:30

4週にわたる番組2500回記念シリーズの第2弾は「ウィーンのスーパースター軍団と音楽家たち」。7名のスター奏者たちが集まったザ・フィルハーモニクスをスタジオにお招きしました。ジャンルの壁を軽々と飛び越えて、楽しい演奏を披露してくれました。
 歌劇「こうもり」序曲では、演奏の途中から違う曲が混入してくるなど、茶目っ気もたっぷり。こういった遊び心はさすがウィーン・フィルのメンバーといった感じがしますね。
 ザ・フィルハーモニクスはウィーン・フィルのメンバーを中心に結成されたアンサンブルです。ただし、チェロのシュテファン・コンツさんは、2010年にウィーン・フィルからベルリン・フィルへと移籍しています。よく世界の二大オーケストラとして挙げられる両オーケストラですが、そのキャラクターは対照的。番組内でコンツさんは「ウィーン・フィルはロールスロイス、ベルリン・フィルはランボルギーニ」とたとえていました。どちらのクルマにも乗ったことはありませんが、イメージはなんとなく伝わってきます。ウィーン・フィルのサウンドは豊麗で潤いがあり、ベルリン・フィルは緻密でパワフルとでもいいましょうか。レパートリーからも、クラシカルなウィーン・フィル、モダンなベルリン・フィルといった印象があります。
 ウィーン・フィルのメンバーはウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーでもあります。つまり、日々オペラを演奏するのが彼らの職務。ウィーン国立歌劇場では毎晩のようにオペラやバレエが上演されていますので、常時劇場のピットに入って演奏し、その合間に、ウィーン・フィルとしてコンサートを開いたり、ツアーに出かけたりしているわけです。さらにそれに加えて、メンバーは室内楽やソロ活動を行っています。
 大変な忙しさのはずですが、でも、いつも楽しそうに演奏しているのはウィーン・フィルでもザ・フィルハーモニクスでも同じ。演奏する姿から音楽への尽きるのことのない愛情が伝わってきます。

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2500回記念① ピアノ界のスーパースター ラン・ランと音楽家たち

投稿日:2017年02月05日 09:30

4週にわたる番組2500回記念シリーズの第1弾は「ピアノ界のスーパースター ラン・ランと音楽家たち」。ラン・ランが幼少期の体験やピアニストになるまでの思い出を語ってくれましたが、どれも興味深いものばかりでした。演奏も実にエキサイティングでしたね。
 少年時代から厳しい練習を積んできたラン・ランのようなピアニストでも、やはりマンガやアニメが大好きな普通の子供と同じ側面を持っていたという話には、ほっとさせられます。「トムとジェリー」の演奏シーンにすっかり魅了されて音楽が好きになったというラン・ランは、自伝でこんなふうに述べています。
「ピアノを弾くと、僕はただの少年ではなく、特別な何かになった。孫悟空やトランスフォーマーやトムとジェリーのように、ピアノは僕をもっと幸福な世界へと連れて行ってくれた」(『奇跡のピアニスト郎朗(ラン・ラン)自伝』より)。
 成熟したラン・ランの現在の姿を見ても、どこかに少年のような音楽への喜びを持ち続けているのではないかという気がしてなりません。
 中国で「勝利第一主義」を植え付けられたラン・ランは、アメリカに渡って価値観の転換を迫られます。カーティス音楽院の名教師ゲイリー・グラフマンは、「すべてのコンクールを制覇したい」と語るラン・ランに対して、「もうコンクールに出場する必要がない」と諭します。音楽はスポーツ競技のような順位を争うものではなく、人と心を通い合わせる詩のようなもの。そう教えるグラフマンとの出会いが、音楽家ラン・ランの重要な第一歩を後押ししたといえるでしょう。
 ピアニストで指揮者のエッシェンバッハとの出会いもラン・ランに大きな影響を与えました。エッシェンバッハからラヴィニア音楽祭のオーディションに招かれたラン・ランは、求められるまま次々と演奏を続け、当初20分間の約束が2時間にもなってしまったといいます。時を忘れてラン・ランの演奏に耳を傾ける名匠エッシェンバッハ。想像するだけでも、すごい場面ですよね。

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