リクエスト珍百景「あの珍百景は今!?」

2015年3月11日
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【リクエスト珍百景 もう一度見たい珍百景のその後】

「2008年3月12日OA
「箸のないそば屋さん」のその後」福島県南会津郡大内宿
おそば屋さん「大内宿 三澤屋」の「高遠そば」(1080円)は、箸代わりの丸ごと1本の長ネギをかじりながら食べるそば。
震災から4年がたった今、全国から多くのお客さんが訪れるようになり、訪れた方々から暖かい言葉をもらっているそう。
「2010年4月21日OA
「芸達者なアヒル」のその後」福島県郡山市
「バンザイ」「あいさつ」など、様々な芸を披露してくれるアヒルのぴぃたんくんと、ぴぃたんくんを溺愛する吉田ハルさん(88歳)。
震災が起きたとき、ハルさんたちは突然のことにぴぃたんくんを置き去りにしたまま家の外に避難してしまったという。それでも倒れた家具の隙間に入り込み難を逃れたぴぃたんくん。
震災を共に乗り越えたことでより絆が深くなったからか、今では「お手」「手乗りおすわり」などさらに芸が増えたそうです。
「2010年9月8日OA
「場違いな商品」のその後」宮城県塩竈市
個人商店「勝商店」の商品棚に、食料品や生活雑貨と並んで陳列されている大量のウーパールーパーは震災後どうなったのか?
取材に訪れると、今でも商品棚には大量のウーパールーパーが陳列されていた。
水の重さでうまくバランスが取れたのか、震災の揺れでも1つも倒れることなく無事だったそう。
「2010年6月2日OA
「裏山でタフな87歳」のその後」宮城県石巻市
取材当時、87歳ながらハンマー投げでマスターズ陸上8回優勝という輝かしい成績を持ち、ほぼ毎日自宅の裏山でハンマー投げのトレーニングをしていた中塩善治郎さん。
あれから4年が経ち91歳になった中塩さんは、今でもトレーニングを続けているそうだが、最近では取材依頼が殺到して面倒くさいということで、対外的にはもうやめたことにしているのだとか。
そんな中塩さんですが、今回は特別にトレーニングを取材させてくれ、今でも元気にハンマーを投げる姿を見せてくれました。
前回の取材後もほぼ毎日トレーニングを続けていた中塩さんは、昨年もアジア大会で優勝したそうです。
「2010年11月24日OA
「魚だらけの民家」のその後」岩手県野田村
自らが彫った約500体もの精巧な木彫りの魚に家中が埋め尽くされていた深渡栄一さんのご自宅。
震災の時にも1体も壊れることがなかった木彫りの魚だが、今では600体以上に増え、もはやご自宅には置ききれなくなったそう。
そのため、今では私有地に作業場を作ってそこで保管するようになったのだとか。
「2012年10月31日OA
「拍手の鳴り止まない建物」のその後」福島県本宮市
大正3年(1914年)にオープンし、今でも古い映画の予告編を近所の人たちに無料で上映し続けている「本宮映画劇場」。
そんな「本宮映画劇場」のフィルム倉庫の奥深くに眠っていた古いフィルムには、「アメリカ海兵隊実戦記録映画」と題された古い映像が残っていた。
「2013年7月31日OA
「おかしな電光掲示板」のその後」宮城県仙台市太白区
店主の詳細なプロフィールが延々流れていた理容店「HAIR&BEAUTY YAMADA」の電光掲示板。
以前の放送ではゲストのスギちゃんが珍定ボタンを押さなかったため登録ならずに終わったのだが、放送から2年も経った今でも腹のムシがおさまらないらしく、電光掲示板のメッセージで現在もスギちゃんへの恨み節を流していらっしゃいました…。

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