これまでの放送

2026年1月11日放送

【ゲスト】天海祐希・千原ジュニア・錦鯉・髙橋ひかる

【その後が気になる珍百景徹底調査SP!】
■山奥で暮らすワイルドな大家族&山奥の集落にたった1人で生活&廃校に1人で住むおばあちゃん
■昆虫好き・掃除機マニア・すぐ泣ける…すごい特技を持った珍少年少女
■給食前にフォークダンスする中学校&風船で飛ばした手紙で交流が始まった小学校
■子どもが…水を飲みに来るラーメン店&時間を聞きに来るクリーニング店
■ゴミ拾いをしながら日本一周を目指すカップル
■理由を知らない真冬に打ち上がる謎の花火
■100年続く現役のレトロ映画館
■4人だけの限界集落にあるワンオペレストラン

■アリジゴクの生態を大発見した小学生のその後 千葉県木更津市 初回放送2015年8月5日 当時小学4年生の吉岡さんが、夏休みの自由研究でアリジゴクの生態を観察していたところ、黄色い液体を出しオシッコする様子に気付いた。
後日図鑑を読んで研究していると「アリジゴクは排せつをしない」という記述を発見。
その定説に納得できなかった吉岡くんは、自分なりに研究を続け、やっぱりアリジゴクはオシッコをするという結果を出し、その研究ノートを日本昆虫協会に送ったところ、研究が認められ、小学生の自由研究が定説を覆してしまった。
最初の放送から11年後…
24歳になった吉岡さんは、福島県で自然環境に関わる仕事に就いたそう。

■言葉を瞬時に逆さまに言える小学生のその後 千葉県千葉市 初回放送2012年11月14日 当時小学2年生だった陽さんは、言葉を逆から読み上げる「逆さ言葉」が得意で、人から言われたどんな言葉も即座に逆さ言葉にすることができた。
最初の放送から14年後…
21歳になった陽さんは、東京大学に入学、工学部3年生でAIなど情報系を学んでいるのだそう。
逆さ言葉も健在で、将来はエンジニアの仕事をすることが夢なのだとか。

■掃除機マニアの小学生のその後 北海道弟子屈町 初回放送2015年7月15日 掃除機が大好きな当時小学6年生の高橋さんは、自宅に24台の掃除機を所持し、毎日自作のマカロニの粉を床にまいて掃除機の吸引力を楽しんでいた。世界中の掃除機に詳しく、お小遣いの使い道も掃除機、誕生日のプレゼントも掃除機。休日には家電量販店で新製品をチェック、将来の夢はエンジニアになることと言っていた。
最初の放送から11年後…
22歳になった高橋さんは、賃貸の一軒家に200台近くの掃除機を所有していた。
専門学校を卒業後、新潟の生活用品メーカーに就職し、大好きな掃除機の開発に携わっているんだそう。
高橋さんが開発したコード付きタイプの掃除機は、髪の毛がからまないようにヘッドに回転するブラシをつけず、コードは6メートル、スティックで軽くその場に立てかけることができるそう。
高橋さんが商品名を命名したんだそう。

■自由自在に泣く事ができる女子高生のその後 香川県丸亀市 初回放送2011年6月29日 当時高校1年生の片岡さんは、将来は女優になりたいと、小学5年生の頃から演技力をつけるために家族に内緒で泣く練習をしていたそう。
放送から15年後…
30歳になった彼女は、女優にはならず大学を卒業後教員になり、現在は結婚してお母さんになっていた。

■ゴミを拾いながら日本一周を目指すカップルのその後 初回放送2023年11月26日 彼氏の故郷である兵庫県からリヤカーで出発し、ボランティアでゴミを拾いながら日本一周を目指していた。ゴミは多い時で1日30~40㎏拾い、自治体で引き取ってもらうか、自己負担で民間で処理していた。
その資金は、貯金や現地でアルバイトをしながら、自炊してテントなどで生活。
2022年兵庫県からスタートし北陸、北海道を周り2023年11月の放送では愛知県を移動中だった。
放送から2年半後…
2人は大阪にいた。約1年前にゴミ拾い日本一周の旅は無事ゴールしたという。
2年11ヵ月をかけ歩いた距離は12,764kmにも及び、拾ったゴミの量は約7.5t。
2人は現在マイクロバスをDIYし、趣味である登山や、ゴミ拾いの旅でお世話になった人たちへお礼をしに行く旅を始めたという。車の後部にはゲストルームをつくり、今度は自分たちが旅人の力になれるようになりたいのだそう。

■給食前に毎日フォークダンスを踊る中学校のその後 福井県敦賀市 角鹿小中学校 初回放送2010年5月19日 給食前に全校生徒が体育館に集合し、毎日フォークダンスを踊っていた。学年を問わず仲良くなるために40年くらい前(当時)から生徒が自主的に始めたもので、学校の決まりなどではなく伝統が守り続けられていた。
放送から16年後…
6年前にコロナの影響でフォークダンスは中止になり、そのころ小中学校の学校統合も重なり、毎日踊る伝統はなくなってしまったんだそう。

■風船をきっかけに遠く離れた小学校と文通をする小学校のその後 福井県越前市 武生東小学校 初回放送2015年1月21日 1961年、当時3年生だった福井県の児童たちが「遠くの知らない子と友達になりたい」という思いから、風船にメッセージを付けて飛ばしたそう。その風船の1つが約200㎞も離れた静岡県浜松市の積志小学校に通う児童の元に届き、返事が返ってきたことから武生東小学校と積志小学校の交流が始まったんだそう。当時は1年生から文通を始めて5年生になると対面し交流会が行われていた。
放送から11年後…
あまり手紙を書くことがなくなった現在も受け継がれていて、文通は続いていた。
今は3年生から文通を始め、交流会も行われており、当時風船を拾ってくれた方との交流も続いているそう。

■小学生が水だけ飲みにくるラーメン店のその後 福岡県福岡市 、、(てんてん)ラーメン 初回放送2012年12月19日 福岡市のラーメン店に下校途中の小学生が水を飲むためだけに訪れていた。
下校途中の子にたまたま水を飲ませてあげたのがきっかけで、その後どんどんお店に立ち寄る小学生が増えていき、店の前を通学路としているほとんどの小学生がお店に立ち寄るようになったそう。
放送から14年後…
コロナ禍が続いたこともあり、今は子ども達が店に立ち寄ることはなくなってしまったんだそう。

■小学生が時間を聞きに来るクリーニング店のその後 千葉県千葉市 ままショップゆず 初回放送2011年11月23日 住宅街にあるごく普通のクリーニング店に、午後3時頃になると、下校途中の小学生が次々とお店に訪れて「今何時ですか?」と時間を尋ねに来ていた。立ち寄る小学生は、初めはクリーニング店の坂倉さんに「ただいま」と挨拶をするために寄っていたそうだが、いつからか時間を聞くようになったそうで、この地域の小学生に自然と受け継がれていた。
放送から15年後…
今も小学生たちが時間を聞きに来ており、気付けば25年も続いているそう。
坂倉さんは、お店を続ける限り子どもたちに立ち寄って欲しいという。

■冬に予告もなくあがる謎の花火のその後 徳島県小松島市 初回放送2019年3月10日 誰も理由を知らない、夏でもなく冬に打ち上がる花火。実は不動産を営む澤内さんが、自費であげていた。
澤内さんが、カンボジアで地雷被害にあった子どもたちに心を痛め、火薬を爆薬ではなく平和のために利用しようと、自腹で約20年間(当時)花火を打ち上げていたのだとか。
放送から7年後…
今も自費で花火を上げ続けていたが、澤内さんのメッセージは地元の方々にはまだ伝わっていないようだった。

■ガスも水道もない山奥で暮らすワイルドな大家族のその後 広島県三原市 初回放送2018年5月27日 坂本さんご家族は、6人兄弟と両親の8人暮らし。
山奥に暮らすようになったのは、人工的なエネルギーに頼らず環境問題に取り組みたいと考え、ご夫婦2人で生活を始めたそう。
風呂や炊事には薪の火を使い、水は井戸水を使用し、電気は通っているが洗濯機だけに使い、テレビ・エアコンは使わないようにしていた。
子どもたちはみんな、洗濯物を畳んだり、薪をくべてお風呂を炊いたり、ほぼ自給自足の食事作りなど積極的に家事を手伝っていて、3歳の次女も包丁を使って野菜を切っていた。
2019年の放送から7年後…
家族が1人増え7人兄弟になっていたが、子どもたちは以前と変わらず家事を手伝っていた。
長男と長女は、親元を離れ父親と同じ三重県の全寮制の高校に通い、農業を学んでいるそうだが、家族はこれからも今の生活を続けていくという。

■市の委託で公園内に住み時報の鐘をつく夫婦のその後 宮崎県延岡市 城山公園 初回放送2011年6月29日 時報の鐘をつくという130年以上前から続く延岡市の伝統があり、毎日6回、決まった時間に鐘をつく仕事「鐘守」を、矢島さんご夫婦が7代目として務めていた。鐘守は市から委託され、公園内に住むのが決まりで、公園の管理や清掃もしていた。
最初の放送から15年後…
矢島さんご夫婦は、鐘守を16年間務め2016年に引退したそうで、現在は8代目の日髙さんご夫婦が鐘守を引き継いでいた。
鐘守が暮らしていた公園内の民家は老朽化のため現在は使われておらず、日髙さんご夫婦は、麓にある自宅から毎日鐘をつくために往復をしているそう。

■100年続く映画館のその後 福島県本宮市 本宮映画劇場 初回放送2012年10月31日 大正3年に営業を開始し100年近く経っても営業していた本宮映画劇場。
館長の田村さん(当時76歳)が父親から譲り受けた映画館で、約50年間(当時)1人で維持していた。
建物の中には古い映画のポスターが飾られ、日本ではほとんど残っていない映写機を修理しながら維持、地域の方のために月に数回、本編は上映せず、予告篇とニュース映画のみを無料上映していた。
放送から14年後…
映画館には、90歳になられた館長の田村さんがいたが、映写機やフィルムが現在は使えない状況になり、上映はもう行われていないそう。建物を見に大学生など若い人が多く訪れるため、映画館は開けていて、まだまだ維持していくつもりなんだそう。

■限界集落にある人気のレストランのその後 岩手県西和賀町 kitchen開 初回放送2018年12月9日 2世帯4人(当時)だけが暮らす山奥の限界集落、本屋敷にあるレストランは、地元出身の店主鈴木さんが、思い出のある集落が消滅の危機にあるということで、この地に人が訪れるきっかけを作り、地域に活気を取り戻したいとオープンしたレストランだった。
高級旅館の料理長も務めた鈴木さんが、その日とれた地元の野菜や山菜を使って、メニューの無いこだわりの創作料理を提供していた。
放送から8年後…
集落は2世帯で3人だけになってしまったが、レストランは続いていた。
冬は除雪などで忙しく12月からランチは休業しているが、2025年11月、レストランの横に宿泊施設を建てオープンしたんだそう。

■山奥の集落で1人で暮らす男性のその後 宮城県七ヶ宿町 初回放送2018年10月21日 60年ほど前までは林業が盛んで多くの人が住んでいた集落だったが、過疎化が進み、当時集落に残っていたのは72歳の佐藤さん1人だった。
お店や病院もなく、携帯電話も通じない山奥で、築100年以上の古民家で暮らしていた。
放送から8年後…
集落に佐藤さんは今でも住んでいるそうだが、冬の間は積雪で集落までの道が通行止めになるため、今は山の下の町営住宅で生活していた。

■小学校の廃校で暮らすおばあちゃんのその後 大分県豊後高田市 初回放送2019年5月5日 廃校に暮らしていた山田さん(当時80歳)は、夫の故郷・大分県で家を探していたところ、知人から紹介された廃校を購入して、平成3年から暮らし始めたんだそう。
昭和29年に建てられた校舎で、小学1・2年生が通うだけの分校だったそうで、元教室を25畳のリビングにするなど、リフォームをして暮らしていた。
放送から7年後…
86歳になった山田さんはまだ住んでおり、前回の放送後、地元の名所のようになったそうで、家を見るためだけに訪れる方もいるそう。
これからも趣味の絵を描き続け、まだまだ廃校で暮らしていくという。

一覧に戻る