「もみじの永観堂」とよばれ、観光客だけでなく地元の方々も数多く訪れる、京都でも指折りの紅葉の名所です。境内には3,000本の紅葉がありますが、この寺が「もみじの永観堂」と呼ばれる理由はその数の多さだけではありません。「岩垣もみじ」と呼ばれる、岩の間から生えた生命力溢れるもみじが赤く染まっていく様は、ここ永観堂でしか見ることの出来ない珍しいものなのです。野趣あふれるダイナミックな紅葉は、必見です。
永観堂のすぐ隣、石川五右衛門の「絶景かな」という台詞で有名な南禅寺。秋は境内のそこかしこが紅葉に彩られます。塔頭のひとつ・天授庵には枯山水と池泉回遊式の二つの庭園があります。その庭園を守り、そして次へと伝えていく誇り高き庭師の仕事。楓が植えられている場所、そしてその色合いから枝ぶり、すべてが考え抜かれたものでありながら、人の手が入っているように見せない「無作為の作意」こそが庭師の心意気。庭という芸術品。計算しつくされたこの景色は、まさに絶景です。
「ぶぶ漬けでもいかがですか」この言葉言われた事ありませんか?実はこの言葉、「もうお帰りになったらどうですか?」という意味で使われている事をご存知でしょうか。ぶぶ漬けというのは京都でいうお茶漬けのこと。祇園・八坂神社の門前にある京漬物の川勝は、名だたる有名料亭に漬物を納めています。旬の野菜、昔ながらの製法にこだわった漬物はここで買うことができるほか、店内にある食事処で「ぶぶ漬け」(お茶漬け)と一緒にいただく事ができます。今年の秋はぜひ「ぶぶ漬けでもいかがですか?」。
祇園の繁華街にあるビルの中にある、デザートとお酒をテーマにしたデザートバー。今年オープンしたばかりのお店では、秋限定の栗を使ったフォンダン・ショコラや、ナイフを入れるとトロけだすホットケーキなど、驚きのスイーツが楽しめます。スタイリッシュな雰囲気の中でいただく極上のスイーツ、京都の新しい名物です。
太い幹、緑から赤への美しいグラデーション、豪華絢爛な金色の屏風に描かれた500年前の紅葉の姿が「楓図」に描かれています。絵師・長谷川等伯が豊臣秀吉の命を受けて描いた楓図ですが、その制作途中に最愛の息子が亡くなってしまうという悲しい出来事があったと伝えられています。美しく色づくと葉を落としてしまう楓と、大切なものがなくなってしまう己の人生の嘆き。絵師がこの絵に込めたのは、散りゆく紅葉の儚さか、その後に生まれる新しい命への憧れか…。500年を経て色あせた絵から、あなたは何を感じ取りますか?
弥生時代の歴史深い壺や、幕末に使われていたお椀など、様々な時代が店内に凝縮されています。幾一里のご主人は、骨董好きが高じて14年前にサラリーマンを辞め、自宅でこの店を始めました。初心者にも丁寧に骨董の楽しみ方を手ほどきしてくれるご主人と、しばしの骨董談義。「骨董は歴史を買うということだと思います」優しい言葉が、京都の懐の深さを感じさせてくれます。物を大切にしてきた人たちの存在があるからこそ、今私たちの目の前にある品々。飾るだけの骨董品ではなく、身近な日用品として生活に取り入れてみてください。そして、自分から子供へ、子供から孫へと、物を大事にすることの大切さを伝えていきませんか。
300年間すっぽん一筋という老舗料理店。メニューはすっぽん鍋のコースのみという潔さ。灼熱したコークスを使って1,600度という高温で一気に炊き上げたすっぽんは、お酒とお醤油のみで味付けされたとは信じられないほどの旨みが凝縮されています。すっぽんは、秋が深まる頃に最も味が良くなるといいます。新婚の星野さんのお祝いにと内山さんが内緒で予約しました。美味しいものを食べながら、二人の話ははずみます。星野さんの結婚話から、いつしか内山さんの理想の男性像へ…ゆっくりと流れる贅沢な時間を楽しみます。
紅葉の隠れた名所として、今年一番おすすめしたいのが、山科にある毘沙門堂。石段を囲うように植えられている楓の木はまるで紅葉のトンネル。秋が深まると散り紅葉が石段を埋め尽くし、自然のレッドカーペットが生まれます。古くは貴族たちが都の喧騒から逃れるために訪れていたというこの寺では、遊び心あふれる不思議な襖絵が残されています。逆遠近法を用いて描かれたその絵の前を横切ると、絵が動いたかのように見えてしまうのです。
絶世の美女とうたわれた小野小町が仁明天皇亡き後、晩年を過ごしたと伝えられている隨心院。都を離れた小町を追いかけ、何度もアプローチしてきた深草少将。小町は彼に100日間ただひたすら通ったならその思いに応えると約束を交わします。これが有名な百夜通いのお話。ですが99日目に深草少将は亡くなってしまいます。己の愚かさを嘆いた小町はその後誰とも結ばれる事なくその世を去りました。赤く燃え上がりそして潔く散っていく紅葉、それを眺めながら小町は何を思ったのでしょうか。ご本尊の如意輪観音像は美しく優しい表情、小町の姿を写したとも伝えられています。