「間人皇后・聖徳太子母子像」 京丹後市丹後町間人(たいざ)、この浜に海を向いてたたずむ母子像。「間人(たいざ)」という不思議な地名の由来には、ある伝説がありました。六世紀末、聖徳太子の母、間人(はしうど)皇后は、蘇我氏と物部氏の争いを避けるため斑鳩からこの地へと逃れてきました。村人の手厚いもてなしに報いるため、自らの名をこの地に贈りました。しかし恐れ多く感じた村人は、皇后が退座したことにちなみ、「間人(はしうど)」を「たいざ」と読むようになったそうです。 京丹後市ホームページ