おさらい講座REVIEW

2023/4/6(木)放送

究極の選択!徳川家康の運命を変えた8つの事件

 
  • 笠谷和比古先生
    (国際日本文化研究センター名誉教授)

事件①【三方ヶ原の戦い】
武田信玄3万の軍勢が家康のいる浜松城に向ってきたが、目前で方向を変えて通り過ぎた。


▼家康の決断は…?

◆家康の運命を決めた決断
敵が目の前を通り過ぎるのを見逃しては武将として失格。部下もついて来てくれなくなってしまう。だから負けるとわかっていても、戦うという選択をした! ⇒不利な戦いを敢えて挑んだという実績が、後々家康の評価に繋がった。


事件②【幼少期に人質に!】
家康は8歳のころに今川家に人質となり、そこで19歳まで人質生活を送ることに。


▼家康の決断は…?

◆家康の運命を決めた決断
人質生活の中で家康はさまざまな本を読み「勉強して知識を身につけた」。 特に愛読していた『吾妻鏡』には、家康が尊敬する源頼朝からはじまり、歴代将軍の行動などが記録されており、リーダーとして必要な考えがたくさん書かれている。 人質時代の教育こそが、江戸幕府の基礎となったと考えられる。


事件③【桶狭間の戦い】
1560年、家康(19歳)の時に起きた桶狭間の戦い。 圧倒的に有利だったはずの今川義元が、織田信長にあえなく討ち取られてしまい、主君である義元を失った家康は大ピンチ。敵地の中に取り残され、死を覚悟する。


▼家康の決断は…?

◆家康の運命を決めた決断
家康は、岡崎市にある「大樹寺」に逃げ込み、一度は「自害」を覚悟する。そこで「厭離穢土欣求浄土」という仏教の教えを聞き、「戦のない平和な世を作りたい」という思いに目覚めたという。その後、織田信長と同盟を組む決断をしたことによって、家康は後に全国クラスの大名になっていくことができた!


事件④【三河一向一揆】
1563年、家康(22歳)の時に起きた三河一向一揆! 国の内部で起きた、僧侶や農民、武士による反乱「一向一揆」。家康は多くの家臣にも裏切られてしまい、大ピンチに陥る。


▼家康の決断は…?

◆家康の運命を決めた決断
家康は和睦に際し一揆勢の条件をのんだだけでなく、一度は自分を殺そうと裏切った家臣たちも許した。許された家臣たちは、後に家康のために一生懸命働き、天下統一に貢献していった。


事件⑤【本能寺の変】
信長と同盟者で大坂・堺にいた家康(41歳)は、京都にいる明智軍から命を狙われる逃亡者へ!大阪・堺から三河まで一体どうやって逃げたのか?


▼家康の決断は…?

◆家康の運命を決めた決断
家康は落武者狩りがはびこる山道を逃走!この時、家康を助けたのは甲賀や伊賀に暮らしていた「忍者たち」だったと考えられており、見事、三河への生還を果たした家康。命をかけた逃亡劇の中で、過酷な道でも決して諦めずに進むことで、信頼できる仲間を獲得!さらに天下統一への思いも強くなった!


事件⑥【秀吉との戦い】(小牧・長久手の戦い)
信長が本能寺の変で倒れた後、主導権を握ったのが豊臣秀吉。 秀吉は、信長の家臣の中での権力争いに次々と勝利。天下統一へどんどん近づいていく。 家康(43歳)は、ついにその秀吉と直接対決。この戦いで、家康の運命が大きく変わる。


▼家康の決断は…?

◆家康の運命を決めた決断
秀吉との勝負(小牧・長久手の戦い)は引き分けに終わったが、実質、家康の作戦勝ちだった。戦いの後、「関白」の地位を手に入れた秀吉に逆らうことができず家臣となる。戦術では勝利したものの政治的な立ち回りでは完敗した。


事件⑦【江戸を拠点に】
秀吉の家臣となった家康は「領地を三河から関東に変更せよ」という驚きの命令を下された。


▼家康の決断は…?

◆家康の運命を決めた決断
江戸という街を作っていく中で、物資を運ぶのには「船の交通水路」が重要だったため、家康は何よりもまず「船が通る水路」に力を注いだ。。戦国武将は戦に勝てればいいだけではなく、所領を経営できる能力がないといけない。家康は、そのスケール感が他の武将とは違った。 家康の運命を変えた江戸への移動は、水路を活かすことで、世界有数の都市・東京を誕生させることにもなったのだ。


事件⑧【関ケ原の戦い】
豊臣秀吉の死後、誰が日本をまとめていくのかを争う権力闘争で、家康率いる東軍と石田三成率いる西軍がぶつかり合う、まさに天下分け目の戦いとなった。実はこの戦いの結末は、戦いが始まる1ヶ月前から決まっていたかもしれない…


▼家康の決断は…?

◆家康の運命を決めた決断
家康軍は寄せ集め集団だったが、戦いの1ヶ月前から書いていた7行の短い手紙で家臣の士気を高めた。一方、三成も武将たちに手紙を送っていたが、対照的に長い手紙だった。また、「軍令書」という戦での禁止事項を共有することで、8万の兵士をまとめ上げた。 運命を変えた様々な8つの事件を、巧みに乗り越え力をつけてきた家康…。1603年、ついに天下をおさめ、戦乱の世に幕をひいた。