おさらい講座REVIEW
2021/6/22(火)放送
今、教えたい! 渋沢栄一&徳川慶喜 意外と知らない偉業SP
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カズレーザー 先生
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齊藤 洋一 先生(戸定(とじょう)歴史館名誉 館長)
・代官に呼び出され御用金として500両の支払いを命じられたが渋沢は「すぐにお受けすることはできません!」と断った。
・武士と農民の関係性に疑問を持った渋沢は倒幕派へ
⇒決断して行動を起こすことが大切!
・攘夷派として横浜の外国人居住地を焼き討ちしようとしたが、いとこの尾高長七郎に諭され考えを改める。
・焼き討ちを中止後、江戸から京都に行き平岡円四郎の仲介で慶喜の家臣に。
⇒変わり身の早さも大切!
渋沢はフランスへの船旅から帰国まで1年10ヶ月の間、細かく日記をつけていた。
⇒物事を注意深く観察することが大切!
・1873年に銀行を設立。
・実業家として「公共の利益」を掲げ、およそ500社の会社を立ち上げた。
⇒失敗を恐れず挑戦することが大切!
・佐野常民の「西南戦争で傷ついた兵士を敵味方関係なく助けたい!」という思いに賛同し日本赤十字社(当時の博愛社)を支援。
幼いころから達筆で、父・斉昭に「天晴名将になる器」と称されていた。
その噂を聞いた12代将軍・徳川家慶により、一橋家に養子として迎えられる。
⇒自分を客観的に見て高めようとする!
・アメリカとの条約の調印に、天皇の勅命を得ず、さらには報告を手紙で済ませた大老の井伊直弼に、無礼だと江戸城に乗り込み叱咤した。
⇒若い時は無茶をするのも大事!
・朝廷から“攘夷の節刀”を渡すと言われた慶喜は仮病を使って回避
・薩摩の意見を通さないため、会議後の宴席で酔っ払い、最大限の罵声を浴びせかけた
⇒難局を打開する発想力
食卓外交にて、今まで提供していた日本食を辞め、フランス料理のフルコースに変更した
⇒進取の精神 自ら難しい課題に挑む!
・鳥羽・伏見の戦いにおいて、劣勢だが興奮する兵士たちを止めることはできないと悟った慶喜は、十数名の家臣を連れて江戸に逃げ帰り、戦の長期化を防いだ
⇒逃げる勇気を持つことも大切!
33歳で隠居した慶喜はその後カメラ、油絵、自転車、狩猟など趣味に没頭
⇒自らを保つ術を探せ!