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2019年4月24日

異常気象で振り返る「平成」の時代

異常気象で振り返る「平成」の時代

平成は極端化する気象が相次いだ。温室効果ガスの二酸化炭素の濃度は右肩上がりで、今では400ppmを超えた。さらに気温も上がり、激しい雨も増え、もはや温暖化は止まらないといわれている。気象災害から『平成』を振り返る。
平成元年(1989)、世界で初めて大気と海の循環を組み込んだ“地球温暖化予測”をアメリカのプリンストン大学の真鍋淑郎上級研究員(87)が発表した。南半球に比べ、北半球で温暖化がより早く進むという内容で、30年後の今の状況を予測していた。真鍋氏は「平成の時代というのは、人類が温暖化に直面して、そして人類の将来を深刻に考えるようになった時代だと思う」と話す。

平成2年(1990)は『観測史上初めての…』が流行語になるほどの猛暑で、各地で水不足となった。逆に平成5年(1993)は記録的な冷夏となり、米が不作。タイ米が輸入され、日本米を求める人でスーパーなどでは長蛇の列ができた。同じ年、鹿児島市では平年の倍近い雨量を記録するなど、九州では立て続けに水害が発生した。平成5年8月6日、鹿児島市の竜ヶ水地区では22カ所もの土石流が発生し、駅に止まった列車や車も多くが巻き込まれた。当時、警察官として住民らの避難誘導にあたっていた有村新市さん(70)は、堤防を走っているとき、土石流に襲われ、海に投げ出された。岸に戻りながら、浮いている数人を何とか助け出したという。有村さんは「これまで体験したことのない雨だったから本当に怖かった」と振り返る。当時、気象庁で予報班長をしていた市澤成介さんによると、気象台から発表する情報はアメダスの観測点の値で、鹿児島の気象台では、時間雨量50ミリ程度だったが、当時、運用を始めたばかりのレーダーで解析した雨量では、局地的に100ミリを超す雨を見つけていたという。市澤さんは「鹿児島でできなかったことを何とか実現したいと思った。解析雨量を使って、予報作業を改善していこうと決意した」と語る。気象情報の伝え方を変える水難事故もあった。平成11年(1999)、大雨で増水し、韓川権・玄倉川の中洲でキャンプをしていた13人が亡くなった。事故前日の予報では「弱い熱帯低気圧の影響で雨になり、関東地方は100ミリの雨量を予想している」と伝えていた。当時の気象情報では熱帯低気圧の前に“弱い”という冠を付けるのが当たり前だった。

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