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特集

2019年4月30日

天皇陛下“象徴”めぐる模索

天皇陛下“象徴”めぐる模索

天皇陛下は、国民との触れ合いを通して象徴のあり方を模索してこられた。被災地では、ネクタイを外し、膝をついてお話をされる。このなさりようには美智子さまの存在も大きく、これが国民に寄り添う“象徴”の新しい姿となった。ただ、ここに至るまでには、様々な困難があった。

陛下が初めて床に膝をついて被災者と向き合われたのは、1986年、伊豆大島の三原山が噴火した時。当時、皇太子だった陛下は、東京都内の体育館に身を寄せた被災者の話を最初は立ったまま聞かれていた。ところが、跪いた美智子さまの様子をご覧になったからか、その後、陛下も膝をついて話をされていた。1991年に起きた雲仙普賢岳の時には、陛下の服装に変化があった。この時はまず両陛下が発災直後に被災地に行った前例がなかったため、宮内庁内に衝撃が走った。当時、宮内庁職員だった山下晋司さんは「両陛下が行かれると聞いた時には驚きましたね。なぜ、天皇皇后が現地に行かれるんだと。天皇というのは皇居の中でどんと構えてですね。心配するというか祈るというか、そういうものだというふうに思っていましたから」と話す。しかし、両陛下は噴火が収まらないなか、現地を訪問された。長崎に到着された時は、公務の時の服装であるダブルのスーツだったが、仮設住宅を訪れた時はワイシャツ姿に変わっていた。元侍従次長の手塚英臣さん(85)はその変化の瞬間を目撃していた。「陛下が『周りの人はどんな服装でいるのか』というようなことを聞かれて『皆さんラフな格好をしている』と申し上げたら『上着とネクタイは取って行こう』とおっしゃいまして、私もびっくりするくらいのお姿だった」という。陛下が公務でワイシャツ姿になられるのは初めてだったという。“国民に寄り添う”という、こうした姿勢は多くの人に驚きを与えた。この被災地訪問のスタイルがこのまま定着すると思われていた。ところが、雲仙普賢岳の2年後、1993年、北海道の奥尻島が地震と津波で大きな被害を受けた時はワイシャツ姿ではなく昔に戻ったかのようにネクタイにスーツ姿で被災地を訪問された。当時、宮内庁内には、両陛下の国民への接し方を快く思わない空気があったという。山下さんは「宮内庁内には天皇皇后というのは、そんな親しく話をしていいのかというような不満や批判が出てくる。どういう形であれ、外に漏れていくのは当然だろうなと思う」と話す。

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