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● 1月6日 ●
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【放送内容】
今回は、脚本家:山田太一氏に「ドラマ」について
話をお話を伺いました。
1934年生まれ。
58年に松竹に入社。故木下恵介監督の元、助監督を務める。
その後、独立。テレビドラマの脚本家としてスタート。
「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」「終わりに見た街」等、数々の名作ドラマを生み出している。
丁寧さが違う気がする。
予算などの違いもあるが、映画は、1本の制作にかける時間が長いので、そのぶんの「丁寧さ」が違う気がしてしまう。
また、映画は、作品として、後世まで残るという印象がある。
テレビには、多くの人達に見てもらえるという利点はある。
しかし、テレビの作品を書いていると、虚しさが漂いその感情と戦うことがある。
作品を長時間かけ執筆しても、いざ制作に入ると、執筆時間に比べ短時間に仕上がり、放送は、本放送、再放送でせいぜい2〜3回。、その後、台本だけが残る。
連続ドラマは、ストーリーが長期間にわたる。
映画と違って、全てのシーンを印象深くすることは難しい。
そこで、テレビでは「なにか一つ、残像が残ればいい」と思った。
残像が残るシーンを必ず1つ、作品中に書き込む。
この事を考えながら作品を書いてきた。
自分の書いたセリフを変えられることに、とても抵抗がある。
演じ手が、変えてしまいたくなるようであれば、「セリフを変えずに演じる努力と工夫をしてほしい」と思う。
それが、役者の仕事であり、また、演出家の腕であると思う。
しかし、これは「映画出身の自分」だからこそのこだわりであったことに気づいた。
今のテレビでは、アドリブで輝いている作品があるのも事実。
それでも、私は「自分の書いたセリフ以外は言わずに演じて欲しい」と思っている。
そこで戦い、表現していくことで、作品が良いモノになり「残る作品」になっていくと思っている。
今は、少なくなってきている作り方ではあり、全てをこのような作品にする必要はないが、このような古典的な作り方も残すべき。
制作費の厳しさが、作品のクオリティーに関係しているように感じる。
制作費を節約するためにまず考えられることは「時間の短縮」。
その為に「稽古の時間」「撮影時間」を削らざる終えない。
また、高視聴率獲得のために、人気の人をキャスティングすることも必要になる。
人気がある人を使えば、高額の出演料を節約するために、スケジュールに制約が出てきてしまう。
これも、稽古、撮影の時間の短縮につながる。
どれも仕方がないことではあるが、そんな中で「厚みのある作品」を作り上げることは難しい。
理想をいえば、制作時間を2倍にできる制作費を投入して欲しい。
そうすれば、役者の稽古時間、撮影時間をおさえられ、錬られたドラマがつくられるのでは。
利益を少々削っても、純粋に作品にかける制作費をもう少し増やす。
制作体制の目的を「良い作品を作りたい」というものに立ち返ることが必要なのでは。
視聴率も大切・・・とうこともわかるが、ターゲットを若者だけに絞ったり、目標視聴率を高くすることで制作者側の意欲をそいでしまっているのではないか。
現在のテレビは「女性」「若者」をターゲットとした作品は多くあるが、「男性」「高齢者」などを意識した作品はとても少ない。
自分が年を重ねてきた今、30代の頃とは違った意味の楽しさ・世の中に対する興味が多くある。
そんなことを感じることの出来る「ドラマ」があってもいい。
「何もない日常を静かに展開させていく」これを作品に出来るのが「テレビドラマ」なのだと思う。
「映画」は壮大でドラマチックなものがテーマになると思う。
「演劇」は哲学的表現、時に非日常的表現を使い作品を作り出すものだと思う。
「テレビ」は日常生活を丁寧に表現することが出来ると思う。
これらは、それぞれにおける表現方法と適している世界があるのでは。
これは、程度の問題と各自のモラル問題だと思う。
法律などで線引きすることではなく、作品上での意味を考え、各自が考えるべきこと。
取り決めなどのないのが、理想。
物事をよく考え、バランスをとる生き方が下手になってきているように感じる。
テレビは、一方的に情報を流している以上、配慮は必要だとは思うが、過剰に反応はしないほうがいい。
人間には、どうにもならない事というものがある。
この部分を深く掘り下げるような作業をするのが「ドラマ」の役割ではないか。
「人間がはずれてしまう部分」こそ、ドラマとして書くべきだと思う。
「憎悪・嫉妬・・・どうにもならない部分が、人間にはある」ということをドラマを通じて伝えるべきと思っている。
ドラマはあくまで人間が作ったモノ。
現実にはかなわない。比べて負けるのは仕方がないこと。
しかし、人間はそんな中でも確認をしたくなる。
「現実を自分の中に止めたい。現実をここまで深く感じた。」という確認作業をしたい。
そのために、ドラマは存在しているように思う。
多チャンネル化やデジタル化によって、技術的なことなどを含め、多少の影響はあると思う。
しかし、結局は「人間が書くものであり」「人間が見るモノ」
そんなに意識する必要はない。
いろいろな世代にあてた「ドラマ」がもっと増えて欲しい。
自分も書いていきたい。
自分の世代の輝きを書いていきたい。
自分が歩んできた歳月を大切に感じながら作品に活かしていきたい。
テレビ朝日では、
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