【放送内容】「萩本欽一 テレビを語る 前編 ~萩本流"欽どこ"の作り方~」
テレビ朝日は、2月1日に開局55周年を迎えます。
そこで、今回と次回の2回にわたり「視聴率100%男」とも呼ばれ、
テレビ界に一時代を築いた、萩本欽一さんをゲストに迎え、
「テレビと笑い」についてじっくりと話を伺います。
今回は、最高視聴率42.0%を記録した伝説のバラエティ番組
「欽ちゃんのどこまでやるの!」について。
番組はどのように生まれ、どのように作られていたのか?
当時を振り返り、今だから言える萩本流番組づくりについて
詳しくお話を伺いました。
◇萩本欽一 はぎもと きんいち
1941年(昭和16年)5月7日 生まれ (出身地 東京)
1959年高校卒業後、浅草東洋劇場の軽演劇の一座に加わる。
1961年同志とトリオを組んだり、自ら座長となり浅草新喜劇を作る。
1966年 旧友、坂上二郎と「コント55号」を結成。
その後、「欽ちゃん」として、数多くのバラエティ番組などを企画・出演して活躍し、
「視聴率100%男」と呼ばれる。
『欽ちゃんのどこまでやるの!』
1976年10月6日から1986年9月24日まで放送。
最高視聴率は42.0%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)。
萩本欽一と真屋順子が演じる夫婦の“お茶の間コント”を中心に、
時代を彩った様々なスターがゲスト出演して爆笑コメディを展開。
子どもからお年寄りまで、幅広い年齢層の支持を得た。
また、見栄晴、わらべ、斉藤清六、関根勤、小堺一機など多くのタレントを輩出した。
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