● ● ● ● 1月23日 ● ● ● ●

司会 吉澤 一彦アナウンサー
上宮 菜々子アナウンサー
スタジオ出演 テレビ朝日報道局  関川 修一 副編集長


【放送内容】
いつ、どこで起きるかわからない大地震。予測が難しいだけに、近年だけでも阪神淡路大震災をはじめ、十勝沖地震など多くの被害をもたらしました。さらに昨年10月に起こった新潟県中越地震は、震度7の恐怖に人々を陥れました。地震が起きた時に何よりも求められるのは、早くて正確な情報です。地震が発生した時、そしてその後、テレビは何を伝え、何を伝えられなかったのか?きょうは「テレビの地震報道」について考えます。


災害報道に備えてのテレビ朝日の取り組み
  災害マニュアル
テレビ朝日では、台風などの大規模災害や大地震に備えて「災害マニュアル」が用意されています。
このマニュアルは、突然起きた災害に対して、迅速に対応し、適切な報道をすることを目的に作られました。


テレビ朝日報道局  関川 修一 副編集長の話
「例えば、東海地震に備えてANNでは“ANN東海地震マニュアル”を作成しています。甚大な地震が発生した時、取材や放送の対応をどのように行えばよいか、いくつかのケースに分けて、対応を取り決めています」

マスターカット
地震が発生した場合のテレビ局の対応の中で、最も代表的なものが「マスターカット」です。
「マスターカット」とは、大規模な地震が起きた場合、通常の放送からニュース情報センターに切り替え、即座に地震情報を伝えることです。その基準は、全国は震度6弱、関東地方は、震度5弱と定められています。


テレビ朝日報道局 武隈 喜一 編集長の話
「テレビ朝日では、夜間のマスターカット訓練を毎日やっている。地震や津波注意報が出た時に、夜間の少ない人員でもマスターカットをできる体制を整えるために、緊急時におけるマスターカット作業をマニュアル化している」

(訓練風景)
ニュース情報センターでは、シフトに基づき、誰もが迅速にマスターカットに対応できるようにしています。今夜の担当は、泊まりデスクの藤岡さん。この日のマスターカットの訓練は、神奈川県沖に、震度5弱の地震が発生したという想定です。通常放送に3分間のマスターカットを入れるというもの。地震発生時の震源地情報、震度情報、津波情報などの最新データは、気象庁からオンラインでリアルタイムで送られてきます。そのデータを元に各地の震度や津波情報などを地図にして表示していきます。いかに正確な状況を、早く届けられるか。訓練に挑む社員の顔は真剣です。訓練が終わったあとは、反省会。改善点などあれば、すぐに直していきます。 


テレビ朝日報道局 武隈 喜一 編集長の話
「一人でも多くの命を救う、大きな被害を防ぐということは、報道機関の責務だと考えています。地震の場合は、速報性が第一に優先されます。また、津波が来そうな時には、注意報と警報を出来るだけ速く、的確に、わかりやすく伝えていく。防災の意味でも注意喚起が一番大切です」

 
新潟県中越地震発生当日のテレビ朝日や地元テレビ局の対応
  昨年10月23日に、新潟県中越地方を襲った大地震はすさまじい被害をもたらし、テレビは、震災直後から連日、被災地の状況を克明に伝えてきました。テレビ朝日は、地震発生の5分後に、マスターカットにより地震に関する第1報をお伝えしました。そのとき、カメラに向かっていたのは吉澤アナウンサー。震源地となった新潟県中越地方の地元系列局である、新潟テレビ21との連携で放送されました。

テレビ朝日報道局  関川 修一 副編集長の話
「地震発生時、私もデスクにおりました。震源地や地震の強度など、地震に関するデータはすぐに分かりましたが、災害の状況を伝える映像も情報もほとんど無い中で、当初は全くの手探りの状態でした」

新潟テレビ21 報道制作センター 稲田 健助 報道部長の話
「すぐにテレビ朝日の報道と連絡をとり、ネットインカムや電話をつなぎっぱなしにして、こちらの情報を伝えたり、マスターカットのタイミングを相談したりしました」

吉澤アナウンサーの話
「第1報のアナウンサーとして、一番最初に心がけたのは、視聴者の方々に、火の元の注意、落ち着いた行動など、災害を最小限に食い止めるための呼びかけをすることでした」

情報網や交通網は寸断され、地震発生当初は取材が難航しました。


新潟テレビ21 報道制作センター 稲田 健助 報道部長の話
「地震による被害はひどいらしいが、どこまでひどいか分からなかったので、的確な指示が難しかった。普段は電話による連絡が中心だが、全く通じないので、途中からメールのやりとりに切り替えた」 

長岡にある支社とも電話が通じなくなり、唯一の情報は、携帯からのメール。地震直後の生々しい状況を記したメールが稲田さんの下へ送られてきました。

(メールの内容)
「停電中 電話インカム すべて駄目」 「地鳴りとともに、激しい余震が続く…」 など

メールの主は、長岡支社に記者としてただ一人駐在している木村陽介さん。地震発生の時は、自宅に帰った直後だったそうです。



新潟テレビ21 報道制作センター 長岡支社駐在 木村陽介 記者の話
「とにかく大変な揺れだった。急いで、カメラを取りに会社に向かった」
「歩ける範囲で街の様子を撮らなきゃ、と街に出た」

木村さんのカメラは、商品が散乱した商店街の混乱や、生々しい余震の様子を収めています。駅の周辺に集まってきた市民の不安な表情もとらえていました。一刻も早く、この状況を伝えたい。普段は電波を利用して撮った映像を本社に送るのですが、この時は、停電で送ることが出来ませんでした。


新潟テレビ21 報道制作センター 長岡支社駐在 木村陽介 記者の話
「ビルが停電したので、映像も送れなかった。本社とメールでやりとりしたが、まずは素材を送って欲しいといわれた。中継車は道路の状態が悪く長岡までたどり着けないので、私が中ノ島町まで行ってやっと合流できた」


新潟テレビ21 報道制作センター 稲田 健助 報道部長の話
「当日は土曜日でスタッフはほとんどいなかった。アナウンサーの冨高を説得して、すぐに小千谷方面に派遣しました」
冨高さんは、地震発生直後から現在まで精力的に取材を続けてきました。


新潟テレビ21 報道制作センター 冨高 由喜 アナウンサーの話
「カメラマンと一緒に歩いて局を出ました。被害のひどさを会社に伝えようとしたが、携帯電話がつながりませんでした」

一方、長岡市にある地元ケーブルテレビ局 NCTでは、地震をどのように伝えたのでしょうか。 長岡も震度6弱の揺れ。局内部も被害を受け、停電により放送中断を余儀なくされました。


NCT 村山 公男 専務取締役の話
「取材に車で行けるような状況じゃなかったので、カメラマンとリポーターが歩いて駅や図書館を取材しました」

ケーブルテレビ局 NCTは、一時間半後には放送再開、被災した地元の状況を伝え続けました。


新潟県中越地震の被災者の方々の声 〜テレビの地震情報は役立ちましたか?〜
「その時、すぐに役に立つ情報が欲しかった」 「テレビより目の前の現実の方がすごかった」
「風評被害が大変だった」「あわただしい中、耳から入るラジオの方が役にたった」

阪神淡路大震災の報道においても、視聴者の方々からこうした声が上がっていました。今回の地震報道では、これらの声に応えるため、キー局・地元局・地元ケーブル局が、それぞれの特性を活かしたり、報道に取り組む姿勢を見直すなどして、改善を試みました。


テレビ朝日報道局  関川 修一 副編集長の話
「阪神淡路大震災の時は、テレビは心ない取材が多いと言われました。今回はその反省をふまえ、被災された方々の立場にたった報道を心がけたつもりです。今、何が起きているのかだけではなく、被災された方々がどんな物資、サービスや情報を求めているのかに気を配った取材を目指しました」


 
地震後から現在までの報道
  さて、地震発生以後のさまざまな情報を伝えるのも、テレビ局の大切な使命です。被災地・新潟の地元テレビ局は、今どのようなことを視聴者に伝えているのでしょうか?

地震以後、ANN取材団が結成され、ANN加盟局からおよそ150人が現地に入りました。日を追うにつれ、明らかになる被害の全容。地元テレビ局・新潟テレビ21でも地震発生から、現在に至るまで、被災地の様子や、復興の過程をつぶさに撮り続けてきました。これまでに撮影したテープは、およそ1500本。延べ30000時間!

※ANN・・・オールニッポン・ニュースネットワーク協定の略称。テレビ朝日をキー局とする、全国26局のニュースネットワーク

新潟テレビ21 報道制作センター 稲田 健助 報道部長の話
「地震による被害の状況は、我々が伝えていかないと関心が薄れてしまう、世論も沈静化してしまい、行政の支援も止まってしまう。復興への道のりを引き続き重点的に取材していきたい」

冨高さんの取材も続いていました。どのような取材を心がけてきたのでしょうか。

新潟テレビ21 報道制作センター 冨高 由喜 アナウンサーの話
「震災の当事者ではない方々に、被災された方々の困窮する姿、奮闘する姿を伝えることで、支援を募るメッセージを発信できればいいと思う」

冨高さんは、最大の避難所 小千谷市総合体育館で精力的に取材を続けてきましたが、ある壁にぶつかりました。

新潟テレビ21 報道制作センター 冨高 由喜 アナウンサーの話
「努めて地元の方々を勇気付けるコメントをしようとしてきましたが、被災された方々の吐露する“いつまで続くんだ”という感情を前に、それができなくなってきました」

彼女は、この壁に直面してから、テレビはこの人たちのためにどんなことができるかを、より深く考えるようになったそうです。

新潟テレビ21は、地震のあとも、連日被災地の復興の様子を取材し続けてきました。地震で本殿などが倒壊した小千谷市の神社が新年を迎える準備を、長岡支社の木村さんが取材していました。


新潟テレビ21 報道制作センター 長岡支社駐在 木村陽介 記者の話
「すごい被害のあった場所の現状を伝えることも大切だが、ローカル局として、被災者が欲しがっている情報をどれだけ伝えられるかに着目しながら取材している」

被災者の前向きで明るい表情に、ほっとする木村さん。取材後、すぐに小千谷市内のホテルへ移動。ここは地震発生時に取材陣の前線基地となったホテルです。新潟テレビ21は、今現在もなお、一室を借り、映像送信装置とファックスを設置。その後の小千谷市の復興する姿を地元局として発信し続けているのです

地元のケーブルテレビ局NCTも、地域に密着したテレビ局ならではのきめこまやかな生活情報や、復興に役立つ情報など、文字情報番組などで伝え続けてきました。


NCT 村山 公男 専務取締役の話
「最初は、被災被害状況、それから生活支援情報、次に安心、安全情報。大変だ、という一方で、ここは大丈夫ですよ、という番組づくりを心がけています。だから、被害程度の軽度な地域にも取材に行くようにしているんです」
「中でも一番視聴者の方々に喜んでいただいたのは、地震対策本部会議の生中継でした」

NCTは、長岡市役所で行われている災害対策本部の会議を、朝と夕方、毎日2回生中継。被災者からは、市が実施しようとしていることが明確にわかると大きな反響をよびました。

長岡市の郊外に建てられた仮設住宅に富高さんが取材に訪れました。全村移転となった山古志村の人々も、ここで年越しをすることになりました。その仮設住宅の人々はどんな思いで過ごしているのでしょうか?


新潟テレビ21 報道制作センター 冨高 由喜 アナウンサーの話
「こんな大変な時になぜカメラを回しているのか、と怒られたことがある。逆に来てくれてありがとうと言われたこともあります。それでも、大変なところにマイクを向けて申し訳ない、というという気持ちがいつも強くあります」

大晦日のこの日、冨高さんは小千谷市の浅原神社で行われる恒例の年越し花火大会の取材。この神社も、地震で鳥居が倒壊していました。


新潟テレビ21 報道制作センター 冨高 由喜 アナウンサーの話
「神社が地震を拾ってくれて、自分たちのところに行かないようにしてくれた、と住民の方々がおっしゃっているんですよ」

彼女はこれから先、どんな報道を目指していくのでしょうか。


新潟テレビ21 報道制作センター 冨高 由喜 アナウンサーの話
「被災者と直接話しをして、困っているという話を、できるだけ伝えたいと心がけている。また、さらに、小さなことでも何か手伝いになることができたらと思う」


新潟テレビ21 報道制作センター 長岡支社駐在 木村 陽介 記者の話
身寄りのないお年寄りを仮設で取材した。2年の期限で出なくてはいけない、そのあとはどうなるのだろうという話を聞いた。報道する事でこのような人達を手助けできたらと思う」

阪神淡路大震災から10年たちました。このときの教訓は、どう活かされてきたのでしょうか。


ジャーナリスト 大谷 昭宏さんの話
「テレビが被災地に必要な情報をどうやって流すかというのは、かなり難しいテーマ。協力して頂いた方に私たちは何をお返しできるのだろうかということは、常に心を離れない」
「今回の新潟中越地震では、阪神淡路大震災の時に比べ、地元のテレビ局が、地域により密着したきめ細かい情報を出していたと思う。少しでも、被災者のお役に立つ報道を心がけているということは、10年越しの教訓が活かされているのかな、という気がする」


テレビ朝日報道局  関川 修一 副編集長の話
「キー局としては、物質の提供の促進や、ボランティアの喚起など、外側からしか出来ない支援を中心に行っていくことになるでしょう」
「時が経つにつれ、地震報道が他のニュースに埋没していかないよう、継続的に復興の力になるためのニュースを発信していきたい」
「今度、東海・東南海・関東直下型地震など、近い将来に発生が予想される甚大な地震に備えて、ANN加盟局全体で訓練を継続し、災害時に迅速で的確な報道ができるよう努力していきます」
 

次回の放送は、2月6日(日)の予定です。