7月20日

スタジオ : 吉澤一彦アナウンサー
市川寛子アナウンサー
ゲスト  : 大山のぶ代


【放送内容】

テレビ放送50年・テレビ朝日45年。これらを記念してのロングインタビュー。
今回は、テレビ朝日の長寿番組「ドラえもん」で活躍されている大山のぶ代さんにお話を伺いました。



大山のぶ代さんプロフィール
1938年東京生まれ。中学・高校と演劇部に在籍。高校在学中に「俳優座養成所」に入る。
俳優座時代に女優としてデビュー。
その後、個性的な声を生かし声優としても活躍する。
1979年。「ドラえもん」の放送開始と共に「ドラえもん」の声を担当。
「ドラえもん」は今年で放送25年。



『大山さんとテレビ朝日』

テレビ朝日とは、前身「日本教育テレビ(NET)」時代からのお付き合い。
(※NETは、民放初の教育専門局としてスタートしたものだった。
学校放送と言って、学校で見る教育用の番組を放送していた。)
教育番組もやっていたが、10代の終わりごろは青春ものの「ドラマ」に 出ていた。
1960年「大学は花ざかり」1960年「水道完備ガス見込」…などの作品に。
もともと演劇が好きで「俳優」という仕事を、手に職を付けたいと思い「俳優座」に入った。
それが、ちょうどいい時期で「テレビ放送」が始まった時だった。
研究生時代、テレビ試験放送の手伝いをしたり、アルバイトをしながら仕事をした。
そんな中で、お世話になっていた先生が書いたNHKドラマに出たりした。
この時、初めて「ギャラ袋」をもらい、嬉しかった。
卒業公演の舞台に立ったとき、一人のプロデューサーの目に留まり、「ドラマ」に出演。
「面白い子」「新劇出身の喜劇役者」…などという評価を受け、いくつかの「お笑い番組」にも出演。
その後、海外番組の吹き替えの話をもらい挑戦。その作品が「名犬ラッシー」(1957年)だった。
それ以後、吹き替えの仕事も増えてきたが、吹きかえる役は「女性の声」以外のモノばかり。
役者としても「ラブシーン」などのある役はとても少なかった。
役者として出演する作品は「脇役」、声で出演する作品は「主役」…と決まっていた。(笑)
(声の出演 1960年「ブーフーウー(NHK)」1966年「ハリスの旋風(フジ)」…ほか。)



『大山さんとドラえもん』

その後10年近く声優としての活動は休んでいた。
理由は、アニメーションの作風が変わっていく中、自分の好みではない傾向の作品が増えてきてしまったから…。
ただただ人を傷つけるような作品は好きにはなれなかった。
そんな理由で「好きな作品」にめぐり会わず時間が経っていった。
時が経って『ドラえもん』と出会った。とにかく「可愛かった」「愛すべき主人公」「なんて面白い」…。
ぜひ、やりたいと思った。第1作目に声を吹き込んだ後の試写会で原作者「不二子不二雄さん」に感想を聞いた所
「ドラえもんってこんな声をしていたんですね」と言われた。嬉しかった。役者冥利に尽きる。
ドラえもんについては自分なりに演技プランを立てた。そのプランを基に自分なりにセリフをアレンジしてみた。演出の方も了承して くれて以降そのやり方でやっている。
演技プラン・・・未来から来た「子供を育てる子守り用ネコ型ロボット」なのだから乱暴な言葉など使わない言葉もあるはず。 まずは「あいさつ」「自己紹介」など。
「バカやろう」などという悪い言葉は使わない。(25年間の放送で1度も使用していない)
ここは作品に携わるスタッフが注意している点。子供たちに対する影響を考え話し合い、作品を作っている。
自分は、長い間「ドラえもん」の声をやっているので「ドラえもん」とは一心同体のように思っている。
あんなかわいい奴が「いつも近くにいてくれる」と思えるのは幸せ。



『ドラえもんと仲間たち』

作品のスタート当初から声のキャスティングが変わっていない。(ドラえもん、のび太、ジャイアン、スネ夫、しずか)
収録作業の他にも一緒に行動することが多いため、家族以上の付き合いになっている。とても良いチームワーク。
しかし、25年も経てば年も取る。それぞれが自ら目標を持ち、体調などには十分気をつけている。
自分が、少し風邪気味で収録などをしてしまうと「ドラえもんが風邪をひいた」と子供達から心配の声がかかる。
みんなのためにがんばらないと。



これからのテレビに期待すること

アニメーションで言えば、一過性の人気で過ぎてしまう作品がいっぱいある。
気がつけば「ドラえもん」だけが25年続いていた。このことで思うのは、大人も子供の「頭の中は同じ」。
子供達に迎合して作ってしまうような作品は、決して良いものにはならない。
1対1で伝える作業をすれば、子供たちは必ず感じ取る。迎合して、おせいじを使って育てた子供たちが思春期に
困ったことになる…。これは「大人」の責任。そんなことを助長するような番組は作ってほしくない。
ある程度節度のもった番組を作るべき。その自覚は「作り手」としては持っているべき。
テレビ局は後ろを振り向いて歩いてきた足跡を見て未来に向かってもらいたい。
「温故知新」の精神を大切にしていってほしい。