【放送内容】
「ロングインタビュー」
併せて公開シンポジューム、番組審議会報告。
ゲスト:おちまさと氏
テーマ:「エンターティーメントとしてのテレビ」
おちまさと:37歳。放送作家。
数多くのバラエティーの企画・構成・演出・
プロデュースを手がけている。
テレビ朝日では、「内村プロデュース」「「ぷっ」すま」など。
Q.
この世界に入ったきっかけは、21歳の時に「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の作家なりたい人募集の企画に応募したことだったとか。
A.
中学1年生の頃「ツービート」を見た。漫才ブームより前だったと思うがインパクトが強烈だった。
それ以来、たけしさんに憧れた。「既成概念をぶち壊した」感じがした。
「こんな目線でモノを見ることのできる人が、日本にもいるんだ!」と思った。それで、テレビでも映画でも…「作り手」側の人間になりたいと思うようになった。21歳の時、たけしさんの番組で「作家になりたい人の塾」開校のための参加者募集があり、「たけしさんに会えるかもしれない」と思い応募した。
応募者は3000人。結果、最終に残った。
その時の総合演出は「テリー伊藤さん」。
その後自分の師匠となる人。
新しく番組企画を考える時、自分は「テレビではないこと」を意識して考える。その企画は「テレビ番組」と「テレビ番組」に挟まれて放送されることになる。だから、「…らしくないもの」をあえて考える。
番組に何か違和感を持つことで、「興味を持ち」「つい見てしまう」。
企画は「記憶の複合にすぎない」と思っているので、何気ない日々の記憶、引っかかりが、企画のヒントになる。
脳の中にフォルダをいっぱい作り、日々の引っかかった出来事を閉まっておく。
ある時、別々の日に閉まっておいた出来事が結びつき、1つの企画になることがあ る。
Q.
趣味の1つに「人間観察」とあったが、企画発想と関係はあるか?
A.
大いにあると思う。「原点」とも言えるでだろう。
「マーケティングはどうしているのですか?」という質問をされることがある。
自分が行うマーケティングでは「街での生身のマーケティング」が一番重要だと 思っている。食事の時に隣の席の会話を気にしていたり…。
たとえば、ハワイ。
この地はとても好きなのだが、ハワイに来ている人達は、ある意味「無防備」に なっている。プールサイドでリラックスしている人が本を読んでいたりする。
ハワイまで持ってくるぐらいの本なのだから強く「今、読みたい」と思っている内容のはず…。
本の内容でその人の「今の状態」が推測できたりする。
結構、心理的ヌードになっていることがある。(おち流、人間観察術)
番組を作る際「ルール作り」に重き、重点を置くようにしている。
「ルール」というものに人間は入りやすい。
1つ企画が浮かんだら、次は「ネガティブなシュミレーション」をしてみる。
「こうなったら、つまらない」「こっちの方向にいったら行き詰まる」「こうなったら…」…といろいろとシュミレーションしてみる。
それらの問題を抜けた企画が強い。
例えば「自分電視台」(フジテレビ:水曜日 深夜0:40放送)この番組も企画の段階で「シュミレーション」をした。
スタッフにカメラを渡し、自由に取ってくる「ルール」にした。
しかし、出来上がったVTRは全然面白くなかった。
スタッフの身の回りの品「紹介VTR」にしかならなかった。
そこで「ルール」を考えた。
「画面上に、必ず自分が映っていること」。これが「ルール」。
結果、「ネガティブ」な部分が抜け、番組として成立した。
Q.
「バラエティー」と「ドラマ」で関わり方は違うのか?
A.
基本的には、同じだと思っている。
自分の仕事の背骨は1つであり、今回の表現方法は「バラエティー」、今回は「ドラマ」だったというように自分の中では垣根がない。
具体的な仕事の内容は変わってくるが…。
「ドラマ」は、設計図を書く作業。
ほぼ、書いたままに出来上がるので、書きながら編集をしている感じ。
「バラエティー」は、基本的な流れしか作らない。それを基に変化していくもの。
おちまさと氏の作る「バラエティー」は「ドキュメンタリーバラエティー」といわれている。
「ドキュメンタリーバラエティー」:台本もあり、進行も決まっている。
しかし、この中に起きる「どんでん返し」。それによっておきるハプニング。
その時の「素のリアクション」が、番組の面白さになる。
Q.
「エンターテーメント」としてのテレビの魅力は、どこにあると思うか?
A.
「図々しいところ」。毎日の生活の場であるお茶の間に
入り込んでいく情報だから。
それに比べて映画はわざわざ映画館に行き観る…。それぞれの特性が違うように思
う。
Q.
プロになる前には、どんな番組を見ていたか?
A.
テレビが好きだったので、いっぱい見ていた。
「8時だよ!全員集合」だったり「オレたち ひょうきん族」「ふぞろいの林檎たち」…ドラマも見ていた。
自分がどこまで戻るだろう…?と考えた時、一番印象に残っているのは「あさま山荘事件」だった。
幼稚園ぐらいだったと思う。詳しいことは分からなかったが、強い印象で残っている。
テレビの原点って「一体なんだろう?」と考えるとき、テレビが誕生した50年前の一番大きな役割=「遠くのモノを近くに感じることができること」この事なのだろうと思う。そして、このことは忘れずにいたい。
2002年、テレビは変わったと思っている。
昨年は「激動の年」だったと思う。
「ワールドカップ」、9月17日の日朝首脳会談から始まった一連の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)報道…と、現場に行かずとも「お茶の間」で最新の情報が手に入る。これらの事実は、「ドラマ」「バラエティー」(作り上げたモノ)より
はるかにインパクトが強い。
テレビが「事実をこんなに鮮明にみせるモノだった」ということを再認識させてしまう年だったように思う。
2002年は、「何かを仕掛け、作り上げていく作業の自分たち」にしては、その事実映像よりも「強いインパクトあるもの」を作っていかなくてはならなかった年なので、大変だった。
「あさま山荘事件」:1972年2月。長野県軽井沢の別荘地に過激派の学生らが
一人の女性を人質にして立てこもった事件。
8年前ぐらいから、企画会議の際に「視聴率表」がテーブルの上にのるようになっ
た。
「1分刻みの視聴率表」を分析し、番組の内容を考える。
視聴率が落ちている部分は検討され、時に排除されていったりする。
この「視聴率」を気にすることが「良い方向に出る」場合と「そうでない」場合 とがあると思う。数字に関係なく「やるべきモノ」(テレビの使命)もあるのではないかと思う。
テレビを作るときのキーワードとして「こだわり」と「サービス」この2つを大切にしている。
自分の「こだわり」を視聴者に見せたいという思いがあっても「サービス」を考えずにつくれば、それは「自己満足」になってしまう。
だから「サービス」を考える。
「サービス」だけを考えて「こだわり」を無くしてしまったら「何もない」番組になってしまう。これも危険なこと。
「こだわり」と「サービス」、2つのバランスが重要だと思っている。
Q.
2つのバランスは?
A.
やはり「こだわり」の方が割合は大きいかなぁ?
「サービス」についていえば、画面上の「テロップ」。
「テロップ」が多用されていること、自分はあまり好きではない。
しかし、現代では必要であり「サービス」になるから仕方がないと思う。
Q.
これからどんな番組を作りたいか?
A.
今以上に「こだわり」があったり、「普遍性」があったりする番組。
視聴者が「自分が1番のファンだ」と言い合うような強いインパクトのある番組を作りたい。その為には「キーワード」探しを続けなくてはいけない。
自分は「あまのじゃく」だったりするので、良い意味で視聴者を「裏切って」いきたい。
「裏切らず」に「裏切る」…「やられた感」を提供していきたい。
「ブロードキャスター」(TBS 土曜日 夜10:00放送)
「週刊こどもニュース」(NHK 土曜日 夜 6:10放送)
「ブロードキャスター」は、切り口が面白い。
「週刊こどもニュース」は、すべてが「ひらがな」のニュースになる。
これが、わかりやすい。実は、大人もこれを見て分かったりすることもあったり…。
本当にうまいと思う。
すべての番組が、全部違うモノであればいい。
視聴率至上主義になってくると、すべての番組の傾向が似てきてしまう。
「テロップ」「ナレーション」…等、番組の作り方が似てしまっては、つまらない。みんなが違うモノを作るということが「ブーム」になってくれたら…。
【「集団的過熱取材」(メディアスクラム)に関しての報告】
先日、「集団的過熱取材と人権」と出して
(社)日本民間放送連盟主催の公開シンポジュームが開かれました。
シンポジュームではまず、集団的過熱取材に対するこれまでの取り組みを検証する中で、拉致被害者問題や川崎市の筋弛緩剤投与事件について、取材現場でどのような混乱防止策が取られたのか、具体的な報告や率直な議論が展開されました。
パネリストからは、民放連が新聞協会などと連携して、集団過熱取材の防止に努力してきたことへの評価が寄せられましたが、
「なぜ過熱取材が起きるのか、現象面だけでなく、さらに踏み込んでマスコミ側は考えて欲しい」
「何のために犯罪報道をするのかを改めて確認して欲しい」といった意見も出されました。
【「放送番組審議会」報告】
対象番組「旅の香り 時の遊び」