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#979
2025年9月21日

50年目の「徹子の部屋」(後編)

【番組司会】菅原 知弘(テレビ朝日アナウンサー)
      桝田 沙也香(テレビ朝日アナウンサー)
【ナレーター】田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】田原 敦子(「徹子の部屋」プロデューサー)
     三ツ木 仁美(「徹子の部屋」プロデューサー)
     江部木 和美(「徹子の部屋」ディレクター)
     池田 由紀(「徹子の部屋」ディレクター)
前回に引き続き、
今年放送開始50年を迎えた「徹子の部屋」について
番組スタッフのみなさんにお話を伺います。



<思い出の放送回「きんさんぎんさん」>
当時、最高齢の双子「きんさん ぎんさん」として
お茶の間の人気者だった、成田きんさんと蟹江ぎんさん。
最初の出演は1992年、2人が100歳の時でした。
100歳とは思えない軽妙なトークで
徹子さんとの時間を楽しんだ、きんさんぎんさん。
その後、1998年、106歳の時に2度目の出演。
「徹子の部屋」最年長ゲストの記録は未だ破られていません。
(江部木)
本当に可愛らしくて、ただご高齢でしたので、
それぞれにご家族がついてきてくださって
ケアをしてくださるんですけれども、
名古屋からいらっしゃるので東京駅まで迎えに行きまして、
バスを用意しておいて、ご一行様を案内したというのを
今でも覚えております。
― 106歳の時にも2回目の出演をされたんですね?

(江部木)
この時にも担当させていただいて、
「皆様から注目されると日に日に元気になるんだよね」って
きんさんのご長男の方が私に伝えてくださって、
じゃあおいでいただきましょうって言っていたら、
本当に何かシャキっとされていて、ちょっとマスコミも慣れていて、
本当にそういうことなんだなって私も肌で感じました。

<複数回出演されたゲストとのトーク内容>
― 何度も出演されるゲストの方について、
 トーク内容や展開はどのようにされているんですか?

(三ツ木)
日々の変化みたいなことを話していただくので、
何かしらはあるんですけれど、
でも一方で徹子さんが何回も聞きたい好きな話というのがあって。
たとえば野際陽子さんの「名古屋で強盗に遭った話」があるんですけど、
それを毎回来るたびに話していただいたり。
徹子さんって何か映像的に記憶される方みたいで、
その時のトークが映像として残ったら、もう忘れないみたいなんです。
それで話していて途中で思い出して、
「あの時のあのお話して」みたいな感じで。
食事もそうですけど、やっぱり凝り性だったり、
何か一つのことを気に入ったらそれをお話していただくとか、
もう落語みたいな感じで。
だんだん話す方も練られていて、すごく短く面白く、
ブラッシュアップされていっています。



<招きたいゲスト>
(三ツ木)
私は俳優の真田広之さんに来ていただきたいと思っていて、
やっぱり俳優さんって自分のことを話したくないって方も
いらっしゃるんです。
真田さんも今まで一度もいらしてなくて、
ああやって(時代劇ドラマ「SHOGUN」が大ヒット)
海外で活躍されたんじゃないですか。
なので今、徹子さんとお話したら面白いんじゃないかなって思っています。

(江部木)
私はザ・ローリング・ストーンズが大好きなので、
メンバー全員をお招きしたいと思っています。

(池田)
私は、黒柳さんが黒柳さん自身を呼ぶ。
たしか10年くらい前にご本人が仰ってたんですけど、
自分が司会をして自分が答える番組を作りたいっていう。
今ならAIなどを使ってできるのかなって。

<番組作りで大切にしていること>
(田原)
やっぱりテレビの原点でもある、
現在の様々な世界中のニュースとか、いろんなことがあるけど、
原点でもある見ている人を勇気づけたり励ませるような、
何か見てる人が良かったって思ってくれるような、
魂がある番組がこの後も作れればいいなと思ってます。


(三ツ木)
視聴者の方がどう思うんだろうかとか、
視聴者の方が何を見たいのかっていうのが、
やっぱり自分の制作の原点なんですけれども、
とくに「徹子の部屋」ですと、黒柳さんの名前で
何でもできちゃうところがあるんだけれど、
そこは頼りたくないなというか。
黒柳さんに甘えないで番組を作っていきたいなと思っています。


(江部木)
私はゲストの方がこの番組に来て、
お話ししたいであろうことを引き出し、
また、徹子さんがゲストの方から聞きたいであろうことを聞き出し、
それを本番に生かす。そうすると
自然に楽しそうにお二人がお話をされるので、
そういうのを視聴者の方がご覧になってくれて、
楽しんでいただけたらいいなと思っています。


(池田)
私は最終的に放送が終わった後で、
出られたゲストの方が「出て良かった」って
おっしゃっていただいた時が一番嬉しいです。



<変わったこと 変わらないこと>
(田原)
変わったことより変わらないことの方が多いです。
やはり最終的には、どのゲストの人も黒柳さんが納得をして、
この人で行きましょうっていう、
最終決定を黒柳さんが持っているので、
黒柳さんの好奇心で続いているというのは変わらないです。

(三ツ木)
私も変わらないことが本当に多いんだなと思うんですけれど、
たとえば50年前の映像を見ても、
♪ルールルっていうとこから始まって♪ルールルで終わるとか。
そういう根本的な部分が結構変わってないんです。
セットの雰囲気ですとか、構成作家さんもいないですし。
黒柳さんが作ったメモに沿ってディレクターと打ち合わせをして、
それをメモにして、それを元に本番に向かうっていうところも
50年変わってないみたいですし。

(江部木)
あえて変わったところを申し上げようと思いますが、
毎週金曜日が黒柳さんとの打ち合わせの日なんですけれども、
いまリモート打ち合わせを導入しました。
ですから、毎週金曜日は画面の中の徹子さんとお話しするという、
まさかそういう打ち合わせになるとは思いもよらず、という感じです。
徹子さんのすごいところは、もう2回目ぐらいでは
完璧にご自分のものにされていて、もう昔からやっていたかのようです。
そういうところが徹子さんのすごいところです。

(池田)
江部木さんの続きでいくと、
変わらないことが、そのリモートでの打ち合わせでも
間に「おやつタイム(おやつを食べる休憩)」があることです。
「皆さん、ちょっとおやつタイムに入りますか」って言ったら、
「じゃあ15分後に」って言われて。

<黒柳徹子の魅力>
(田原)
もうとにかく好奇心脳も旺盛で、
テレビで夜中に開くパン屋さんていうのを紹介していたことがあって、
これをみんなで食べに行きましょうっていうことになったんです。
結構遠いところだったんですけれど、もう大行列なんです。
そこに普通に並んで、いろんな人から「黒柳徹子ロケですか?」って。
「いや、ロケじゃないんです」って。
本当に好奇心をそのまま実行する人です。

(三ツ木)
以前は別の番組にいたもので、そこから来た時に
あ、こんなに仕事だけじゃないっていうか、
何かこう人生を楽しんでいる女性の先輩として
すごく素敵だなと思いましたし、
失敗しても怒らないところがあります。
ミスをしたからって、それを責めたり、どうしてできなかったの?
っていうのは聞いたことない。
ミスがあったら、じゃこうしましょうとか
こうしたらいいんじゃない?みたいな、
次のことを提案してくださる、前向きなんです。

<50年目の特別企画>
(田原)
毎年恒例の徹子の部屋コンサート。
今年も11月に東京国際フォーラムでございます。
50年ということですね、おなじみの方々とか、
南こうせつさんは1回目からの出演で今年19回目。
そのほかにも中尾ミエさん、いろんな方が出演します。

それと、いま徹子さんのお顔がプリントされた
純金メダルも「徹子の部屋」50年ということで販売しています。
何か記念のものを作るのに、
エリザベス女王のお顔とかが入っているコインとかあるじゃないですか。
何かそういうものが素敵じゃないかっていう話になって作りました。

<これからの番組作り>
(田原)
今まで通りで大きく変わらず、
見てくださる方も徹子さんもゲストの方も
みなさんが満足してくれるものができればいいかなと思っています。

(三ツ木)
お昼になると「徹子の部屋」だよって言って
「徹子の部屋」をわざわざ見てくれている方がいるっていう話を
いろんなところから聞きます。
だから、そういう方たちを裏切らないように、
みなさんの心に届くような番組を作っていきたいなと思います。

(江部木)
もう老舗ですから“変わらず手前どものお味はここでございます”
という感じで、変わらないものを作り続けたいなと思っています。

(池田)
黒柳さんが元気で好奇心がある限り続けていただいて、
がんばれるかなと思います。

<「徹子の部屋」とは>
(田原)
私はもう会社人生の半分以上を徹子さんと一緒に過ごしているので、
もう何かみなさんもそうかもしれないけれど、
いまは「徹子の部屋」が全てです。

(三ツ木)
私にとってはやっぱり生きがいですし、
自分の人生の指針になっているような気がしています。
ゲストの方が自分たちの人生についてお話してくださるので、
それが自分にとっても生きるヒントになったりしていると思います。

(江部木)
私は自分の人生の半分以上が「徹子の部屋」ですので、
もうないことはが考えられない。
小学校の時に学校に行くように、朝起きて学校に行って帰ってきて、
また次の日行ってというような、もう染み付いているものです。
本当に1日でも長く徹子さんにお元気でいただいて、
長く続けさせていただきたいと思っています。

(池田)
たしかに人生そのものって感じです。
私が入った時に江部木さんのお子さんが生まれたんですけれど、
その子がもう25歳になりました。