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#965
2025年6月8日

加藤登紀子 歌とテレビ(後編)

【番組司会】山口豊(テレビ朝日アナウンサー)
      八木麻紗子(テレビ朝日アナウンサー)
【ナレーター】田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】加藤 登紀子(歌手・シンガーソングライター)
前回に引き続き、今年歌手活動60周年を迎えた
加藤登紀子さんにお話を伺います。



<「徹子の部屋」の思い出>
― 1979年7月、「徹子の部屋」に初めて出演した加藤さん。
  ご両親家族のことについてお話しされていました。

徹子さんがユニセフの活動で海外に行かれていて、
いつも番組が終わった後にそういう話を2人で夢中でしました。
番組の中ではそういうことはあんまりできませんが、
「このあいだ行ったところの子供がこんなにかわいそうだった」とか、
いろんな話をいっぱいしてくださって。
私は徹子さんの話をいっぱい聞いて、
歌を作りたいなと思ったりしたことがありました。
徹子さんのお芝居も必ず観に行っていましたので、
いろいろ刺激を、教えていただいたことがいっぱいあります。



<「題名のない音楽会」の思い出>
― テレビ朝日の音楽番組では「題名のない音楽会」にご出演いただいています。

オーケストラは、昔はやっぱりまだ自信がないですから。
なかなか大変だと思ったんですけど、わかってきてからは翼のよう。
鳥が飛ぶ時に風が必要じゃないですか、翼と風がね。
その関係みたいな夢のような世界なんです。
ものすごく幸せな気持ちですね。
わぁっと歌がだんだんと広がっていく感じ。
― 中森明菜さんに提供した「難破船」は
  どんなきっかけで生まれた曲なんですか?

難破船は、わりあいと意識して作った曲なんですよ。
経験としては20歳の時の恋の終わり。
20歳の時の恋の終わりを思い出して40代に作った曲で、
あの頃の出来事を物語としてちゃんと描こうという気持ちで、
ただあの歌はメロディーが先だったんですよ。
ある時「♪たかが恋なんて」“ああ、これでいける!”って
もう一気に詞を作ったんです。



<80歳を超えて思うこと>
去年『「さ・か・さ」の学校』っていう本を出した時、
帯に「81歳は18歳です」って書いたんです。
口で言ってしまうってなかなかいいですよね。
18歳の人をすごく身近に感じるようになりました。
そうすると、今思うのは18歳でも81歳でも同じですよ。
同じなんだって思えばいい。まだまだ人生はこれからだって思っています。


『「さ・か・さ」の学校』に書かれているのは、
「困った時はまず笑ってしまおう」
「さっき言ったことと反対のことを平気で言おう」など、
ユーモアに富んだマイナスをプラスに変えるポジティブな内容。
加藤さんの人生経験から生み出された、生きていく上で役立つ虎の巻です。


私はいま「人生四幕目」と言っているんだけど、
四幕目はもちろん最後の終幕なんですよ。で、もう覚悟はあります。
年齢的には少しずつ終わっていく年齢だなっていうこと。
何か山登りでいうと、降りていく感じ。
降りて行くときというのは、
過去もいっぱい見えているし見晴らしのいい場所にいて、
だから一生懸命登ったってすると、
いま逆さへ、逆さの人生を楽しんでいるわけなんです。
「若い時にそういう気持ちでいたら、
もうちょっと楽だったかもしれないな」と思うと、
若い人にも読んでほしいなっていう気持ちで。
軽い気持ちで書いたんですけど、ぜひ役立ててください。
― 逆さに考えるという発想は、どういう思いで至ったものなんですか?

開き直りですよね。
今までずっと「これ怒られちゃうかしら」とか思いながらも、
実際はそうやってきているわけだから。
あとはね、普通に考えれば砂時計ですよ。
時間が流れるでしょ・落ちていくでしょ・そうすると止まるでしょ。
だから時々逆さにしないと時間は始まらないんですよ。
やっぱりいろんな意味で奮い立ちたいっていう。
ちょっと寂しいなっていう時期に、
何か自分をリフレッシュしてくれるきっかけ。
何かキュンとくるきっかけみたいなものがあると
すごく元気になりますよね。
そのきっかけが欲しいんです。
砂時計を逆さにしてみると
勢いよく砂に落ちているよっていう、
あんな感じを日常の中にちょっと。
朝起きたら砂時計の新しい砂を落とさないといけない。
そんなような気持ちで理解してもらえばいいですね。

<これからの人生で大切にしたいこと>
歌ですね、歌いたいです。いま振り返ってみると、
歌手は体で歌うものだから限界がある、だから何か他のことで表現する。
本を書いたりもちろんあるんですけど、
やっぱり歌で伝えることができるっていうことが、
私の人生の中でずっと続いてくれたらいいなとは思っています。
元気で歌えるうちに終わりになってほしいかな。
なんらかの方法で歌を歌って言葉を伝えていきたい。
出会いですね。
たくさんの人と一緒に生きてきたんだなっていうのが60年の感慨ですし、
いま歌う場所に立つことによって、新しい人達たちといっぱい出会える。
こんな素晴らしい仕事はないなと思います。ありがたいです。



<60周年を記念したアルバム>
初めは60周年なので、過去の曲もたくさんあります。
その中からセレクトしようと思っていたんですけど、
実は去年の暮れくらいから、この時代の激しい動きの中で、
いっぱい曲が生まれてきたというか。
どうしてもいま歌いたい歌っていうのがあるので新録をしました。
2020年コロナでみんなおうちにいた頃、
競馬馬が逃げ出して運河を泳いだっていうニュースがあったんですね。
その時の馬が“サルダーナ”という馬で、
フェンスを越えた“サルダーナ”をテーマに作った歌があるんです。



<これからのテレビ>
私たちはテレビ世代なので、
家族と一緒にいるっていうのがテレビとの出会い。
音楽もテレビからみんな同じものを聴くっていう時代がありましたが、
テレビがヒットソングを生み出すっていう。
いま、バラバラのメディアの中で、みんながバラバラに聴いているっていう
時代になってきたので、是非それに惑わされずに、
テレビがやってきたことっていうのをやってほしい。
テレビだけできることっていうか
テレビっていうのはずっと点いている、流れてきている。
私たちの生活にとっては、都会で住んでいたりすると風が吹いたり、
山から鳥の鳴き声が聞こえたり、それのような役割も果たしているんですよね。
テレビってすごく気持ちが軽くなる。一緒の話ができる。
「うん、ひとりぼっちじゃないなって。」
すごくそのあたりはね、重要なんですね。
ひとりぼっちじゃないなっていう気持ちは
すごくテレビの役割の中にあるような気がするんです。



<加藤登紀子さんにとって「テレビ」とは>
ちょっと時間をあけると、年を取ったなって見えたりするから、
頻繁にテレビに出ている方がいいかなと思ったことがありました。
テレビは親戚に会いに行くように、お友達に挨拶するように、
出させていただける限りは、
時々こうやってみなさんに会いに来るツールとして
テレビを大事にしたいなと思っています。