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#946
2025年1月19日

気象予報士・今村涼子さんに聞く
テレビと天気(後編)

【番組司会】山口豊(テレビ朝日アナウンサー)
      八木麻紗子(テレビ朝日アナウンサー)
【ナレーター】田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】今村 涼子(気象予報士)
【VTR】渡辺 宜嗣(2010~2020年「スーパーJチャンネル」キャスター)
毎週月曜から金曜午後4時48分から放送している「スーパーJチャンネル」に出演中の
気象予報士・今村涼子さんに20年担当しているお天気コーナーやテレビについて伺いました(後編)。



<天気に興味をもったきっかけ>
今村:
大阪で損害保険会社に勤めていました。
勤めながら気象予報士の勉強を続けて受かったので、気象予報会社に就職し、
そこからテレビ局に派遣されるようになりました。

<初めてのテレビ出演>
今村:
デビューしたのは仙台です。
NHK仙台放送局に気象予報会社から派遣され、天気キャスターとしてデビューしたんで
すけども…
ちょっと経ってから、自分の一番最初に出演した日のVTRを観たんですよ。
びっくりしました。
下手すぎて!
もうこんな出来で皆さんにお届けしていたのかって思うくらい、喋りがまず変だし、
内容もちょっとなんか変だし、みたいな。
その時のNHK仙台放送局の方がすごく温かくて、
「うちで育ってくれればいいから」みたいな、
そういう感じで受け入れてくださったので、のびのびとさせていただいて。
天気キャスターをやりながらアナウンサーにアナウンス講習とかもしていただいて。
2年間本当にいろいろ勉強させていただきました。


― 仙台で天気コーナーを担当後、2005年から今日まで、およそ20年
  テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」を担当。
  2010年から10年間、今村さんと仕事をしていたのが渡辺宜嗣さん。



<V T R:渡辺宜嗣さんに今村さんについて語っていただきました。>
― 15年前、最初にあった時の今村さんの印象

渡辺:
背が高くて、シャキっとしていて、僕はこの人「侍みたいな人だな」って思いました。
曲がったことが嫌いでね。もうまっすぐな人ですよ。


― お天気コーナーの劇的な変化

渡辺:
僕が番組を始めた頃は、天気コーナーが6時台の後半だったんです。
昔は「お天気」っていうと、ま~るい柔らかいイメージがあるんですけど。
とがってるような天気の時が多くなってきて、これはもうニュースのようだと。
完全にニュースの一部としてとても重要な情報だから、5時台にも天気をやろうって、
僕が言い始めて、天気コーナーが2回になったんですよね。
今村さんの負担は大きくなったと思うんですけど、見事にこれに応えてくれました。
― 渡辺さんから今村さんへメッセージ

地球温暖化、気候変動がこんなに激しい時代に入っていますから、気象情報はますます重要な情報になると思うんです。
だから、「スーパーJチャンネル」で一番ベテランになった今村さんが、これまでの経験を生かして、ますます活躍できる時代がやってくると思うので、どうか長く親しみやすい気象情報を続けていただきたいなと思っています。



<V T Rを観て>
今村:
嬉しいです!
さらに頑張ろうと思います。
宜嗣さんって面白いことが好きじゃないですか。
天気の解説コーナーでも、なんか物を出して説明できないかな?っていうのを
すごく提案してくださるんです。
例えば夏の暑さの原因として太平洋高気圧とチベット高気圧が2段重ねな時があるんです。それをCGで描いてしまえばそれだけなんですけど。
これを例えると「寝ている時にお布団2枚がかかっている感じなんですよ」って
打ち合わせの時に私が言ったんです。
そしたら宜嗣さんが「本番の時にさぁ、俺が布団2枚重ねて寝るっていうのはどうかな?」って言い出したんです。
斬新ですよね。
しかも午後1時ぐらいの打ち合わせで急に言い出す時もあるので
オンエアまで3時間くらいしかないですよね。
そこからもう大慌てで用意して。
よくやっていたなと思います。



<V T R:渡辺宜嗣さんに聞いた今村さんとの思い出>
渡辺:
これ実は、僕が「スーパーJチャンネル」を離れる時に
今村さんが作ってくれたアルバムで、宝物です。
この袋もね、今村さんが作ってくれたんですよ。
アルバムの中に、雪の日は外から中継をやった時のことや、スタジオで実験したことなど
をまとめてくれたんです。


― 最も記憶に残っている2015年のクリスマス

渡辺:
ニュースが特集に入ると、天気予報のコーナーまで20分ぐらいあるんです。
その間に六本木ヒルズから表参道の歩道橋まで車で移動して、中継をやって、
すぐまた戻ってきたんですね。
そういうライブ感と季節感をふんだんに感じてもらえる番組にしたいという強い
気持ちがあったんですが、今村さんはことごとく応えてくれたんですよね。



<V T Rを観て>
今村:
本当に宜嗣さんはいろんなことをやりたいっていう気持ちが強いですし、
天気にもすごく興味を持っていただけたので、それに応えたいっていう気持ちに
させてくれる方なんですよね。
スタッフ一丸となって「やってやろう」という気持ちになりました。

<25年見てきた天気の変化>
今村:
皆さんも感じていると思いますが、大雨とか猛暑とか大きな災害が目立ってきています。
昔は本当に暇ネタとかも、よく放送できたんですけれど、ここ数年は防災情報がすごく
多くなっています。
大雨とか猛暑とか、そういうことに対してより重要な情報を伝えなきゃいけないという
立場になってきたというのは、本当に身に染みて感じています。
毎日のように「今日も記録的な暑さになりました。」
「観測史上最高を更新しました」というようなことを言っているわけです。
このままいくと本当に怖いなと、非常に感じています。
そのことについて、視聴者の皆様にもより理解いただきたいです。
防災情報もいっぱい増えてきているんですよね、
ですから、的確に情報を選択して見極めないといけない状況になっていて、
より責任が重いですし、より考えないといけないなっていう段階に来ていると
思っています。



<気象予報士になってよかったこと>
今村:
全ての歯車がうまくいってオンエアできた瞬間ですね。
最初はこういう構成で行こうと言ってたんだけど、途中で天気の状況が変わったりし
て、じゃあここを変えた方がいいねみたいになった時に、なんかすごくハマって、いい流
れで伝えられて、私もディレクターもCGさんもみんな満足度が高くオンエアできた時
は喜びを感じます。
― 予報が当たると嬉しい?

今村:
やっぱり嬉しいですね。
しかも他のテレビ局とちょっと違う予報を出した場合に当たったっていう時が
すごく嬉しいです。
でも、誰かが褒めてくれるってことはないんですよね、この予報に関しては。
だからもう内々で「やったな」と、ほくそ笑んでいます。
― 予報が外れた時は?

今村:
「あちゃ~」ってまず思います。
前日に割と人の行動に結びつくところまで言及している場合ですね、
例えば「洗濯物は、干しっぱなしでも大丈夫ですよ」って言っておきながら、夕方降っちゃった
みたいな時とかあるじゃないですか、そういう時とかは放送でちゃんと謝ります。
― 各局で天気予報が微妙に違うのは?

今村:
読み取り方の違いなんじゃないかと思います。
同じスーパーコンピューターのデータを基に予想していますので、同じなんですけど、
晴れでも雲よりの晴れなのか、すごい晴れなのか、その中のどこを取るかっていうの
が、やっぱり人によって違うこともあるので、伝え方のニュアンスも変わってくることに
なるんです。
そこの違いは予報士の判断ということになります。
当然こだわりも責任感も生まれます。
でも、勝負できる時は勝負して、その勝負した時に当たったらもう本当に快感なんです!


― 宜嗣さんが言っていた「サムライ」気質が!?

今村:
本当に気象に関しては力を抜かずにやっているんですけど…
それ以外の日常生活は結構ヘッポコなんですよ。
何かすぐ食べこぼすとか、すぐ水こぼすとか…
その分、「天気を予報する時に全部力を使っちゃっているんで勘弁して」って
周りには言っているんです。




天気予報とは
飽きない事
同じ天気予報は絶対にない
気象予報士 今村涼子