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#944
2025年1月5日

「劇場版ドクターX FINAL」公開記念
岸部一徳さんに「ドクターX」について伺いました(後編)

【番組司会】山口豊(テレビ朝日アナウンサー)
      八木麻紗子(テレビ朝日アナウンサー)
【ナレーター】田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】岸部 一徳(俳優)


前編では、劇場版でファイナルを迎えた「ドクターX」について。
後編では、バンド時代、俳優への転身、今のテレビについて伺いました。



<テレビドラマと映画の違いは?>
テレビドラマは、僕が「晶」役としてスタジオで、
カメラの前を通り「ドクターX」の世界に入ります。
テレビは地続きでつながっているように思えて、
スーッと入ってまたスーッと抜ける。


しかし、映画は違う世界に入る感じがします。
スクリーンが大きいということもありますが、
今から「その作品の世界に入る」という気持ちになり、
スーッと入れない感じがします。

「スクリーンの世界に入る」という意識がものすごく強いです。
うまく説明できないのですが、
テレビはスーッと行き来できるような感じがします。



<忘れられない出会いは?>
監督との出会い、俳優同士の出会いもあります。
今回でいえば、“米倉 涼子さんとの出会い”は
僕にとって大きなことです。

残念ながら亡くなられた“西田 敏行さんとの出会い”。
僕がまだ音楽をやめてすぐの時です。
同じ年なんですが、西田さんが主役の連続ドラマに
新人で出演させてもらいました。
その時に西田さんは、すごく面白い人だと感じました。

初めて会ったときのおもしろさと人柄。
映画で共演したり、西田さんがご病気をされていることもありました。
お互いこの年で「ドクターX」でまた出会え、一緒に仕事ができました。

映画「釣りバカ日誌」が終わる時に
「1回ぐらい出演したい」とお願いして、最終回に2人のシーンもありました。

忘れられない出会いは、
西田 敏行さんと米倉 涼子さんです。

<作品での役づくりは?>
「役づくりはしません」と言いたいところですが、
“しません”ではなくて“できません”です。
実在の人物なら、何かを勉強するとか
人物像を身につけるのは、役づくりとは思わないです。
役づくりのために何かをすることは、あまりないですね。

役づくりをして「役に近づきました」というのは、
僕が手法を知らないかも知れません。
俳優としてダメだと思うんですが、
「役づくりの方法がわからない」みたいな…。

優れた俳優さんが、役づくりは“ああだこうだ”って言いますが、
役づくりといものがつかみ切れないです。
役を自然に演じるんですが、
「役づくりをこういう風にしました!」というのは
恥ずかしくて言えません。
実際に役づくりはしてないように思います。

役づくりはすごく難しいことだと思います。
僕は最初から俳優の仕事をしてるわけではありませんし、
通過してきた部分があります。
だから自信を持って“こうなんですよ!“と言えません。



<少年時代はどんなテレビを観ていましたか?>
小学生のころ、テレビで観ていたのは“アメリカのテレビ映画”
「ローハイド」「ララミー牧場」や
スティーブ・マックイーンの「拳銃無宿」。
日本のテレビで放送されるのが楽しみで観ていました。

ご存じないかもしれませんが、
街頭テレビでプロレスを観る時代でした。
力道山とか…。

テレビというものが“時代の最先端”。
“魔法の箱”みたいな感じでした。

初めて衛星中継がつながった時、第一声が“ケネディ大統領暗殺事件”で
「テレビってすごいな」と子ども心に思いました。



<初めてのテレビ出演は?>
「ザ・ヒットパレード」だったと思いますが、
30秒ほど出演させてもらい洋楽を演奏したのが最初でした。
アマチュアで、東京に来てすぐのころです。

― ザ・タイガースが結成された後ですか?

結成はされていましたが、レコードも出してない状況で
初めてテレビに出ました。

― 初めてのテレビ出演時の印象は?

あまり覚えていません。
多分、興奮していたと思います。
当時ビデオは高価で、放送を観るしかありませんでした。

僕らは「ザ・タイガース」というグループで、
活動期間は短かったのですが人気が出ました。
時代だったと思います。
テレビとともに僕らは出てきたのかもしれません。



<なぜ音楽の道に進もうと思ったのですか?>
当時はエレキブーム、みんながギターを持つ時代でした。
僕らのちょっと前に「ザ・ビートルズ」が登場しました。
楽器を持って集まり、何かやると“カッコイイ”だろうとか
“女の子にもてる”だろうとか単純なものです。
遊び友達でメンバーをつのり、それが最初でした。

― なぜベースだったんですか?

ジュリー(沢田 研二)は後からメンバーに入ったんです。
メンバーのうち2人はギターを演奏していました。
僕と瞳みのるが何も楽器をやっておらず、
4人でバンドを組むにはベースかドラム
どちらかをやる必要がありました。
瞳が「ドラムを習いに行ってくる」と…
残ったのがベースなんで「僕がやるよ」と言い、
4人で演奏をしていました。

「ザ・ビートルズ」が演奏と同時に歌うスタイルでしたので、
ボーカルを探し、ジュリー(沢田 研二)に「一緒にやりませんか?」と聞き、
5人のスタイルができて東京を目指しました。

― ザ・タイガースを再結成されての音楽活動はいかがでしたか?

音楽は楽しいです。
2011年と2013年に集まって、
全国ツアーをやりました。
その時に思ったのは、音楽は楽しいことに加え
「音楽少年なんだな」と再確認できました。

音楽少年に戻れる機会をメンバーがつくってくれて、
本当にありがたかったです。


― 年齢について意識することは?

意識します。
70歳ぐらいまではあまり考えませんでした。
やっぱり77歳、来年は78歳になる ※2024年収録

元気でいようとは思います。
「残り何年もあるわけじゃないな」とか、
「あと何年だろうなぁ」ということは考えます。

着地をどうするか…。
よく整理しだすという話はあるじゃないですか。
整理はしませんが、
“俳優としての着地”は考えたりします。

人それぞれだと思いますが、
僕は僕なりの僕らしい着地の仕方を。
知らないうちにゴールを切るわけですから、
それに近づいたら「こんな風に俳優としていないといけない」。
「それが僕の着地だ」っていうものを、
ちょっと意識するようになりました。

そういう意味で、西田 敏行さんが急に亡くなって、
ものすごいショックです。
ちょっと前にもお会いして、
全然元気だったのに、そういうこともあるんだと…。
だから「大事な人には会っておかないといけない。」と
考えるようになりました。


“自分にとっての前向き”とは何かを考えるんです。
他人にとっての前向きとは、前に進むことだと思うんですけど
僕はまだ答えがありません。
「ドクターX」が映画で終わって、米倉さんが先に行くのは
前向きだと思います。
僕も前向きの経験は何度もあります。
ザ・タイガース解散も哀しい出来事ではなく、
先に進むために解散しました。
僕が音楽をやめた時も、「この先に何かを見つけよう」と
前向きでした。

この年齢の前向きって何だろうなと思います。
かたちとして具体的にはわかりませんが、
“前向きに着地したい”とは思います。



<未来をどう考えていますか?>
自分の未来はわからないですが、世の中がどうなっていくのか…。
僕らの世代はそんなに変化せず終わるかもしれませんが、
「今の子どもたちは、どうするんだろう」とはものすごく思いますね。

「今の子どもたちの十年先何十年先に、この国がどうなっているんだろう」
と、何ができるわけでもありませんがそんなことを考えます。

僕らが初めて出会ったテレビというもの、それに変わるものが
また違うものがあるんでしょうけど。
世界を知る方法が増えた分だけ心配になったりします。

<岸部一徳さんにとってテレビとは?>
僕らはテレビというものを、すごく大事な場所に置いてきました。
今はテレビの代わりになるものが山ほどあるので
「テレビの将来はどうなるんだろう」と思います。
テレビに関わる人が、テレビの将来をもう1回考え直すことが
大事なのではないかと…。

娯楽も報道もごっちゃになりだしていると思います。
それが観やすいことで、そうなってると思うんですが、
「1つ1つが確立して信頼できる番組を観たい。」
今良質な番組を探すのが大変です。

誰が出てるのか、誰がコメンテーターなのか。
何を報道しようといているのか。
少ないですけどまだあります。
「ドラマはドラマで“いいドラマ”とは一体なんだ?」というのを
もう一回考えて、僕らもそうですが、
「良質な番組を目指してテレビが生き残って
新しいテレビが生まれればいいな」と思います。



<大ヒット公開中「劇場版ドクターX FINAL」の見どころ>
「大門未知子」演じる米倉涼子さんが、
テレビドラマの中で12年の時間を使いたどり着いた映画版。

この映画で、米倉さんの今までにない魅力を
見つけられると思います。,
テレビドラマを観てた方は「最後にどうなるのか」の楽しみと、
映画で初めて「ドクターX」を知る人は、
映画の作品として残るものになっていると思います。
「ぜひ劇場で観ていただきたい」と思います。