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#883
2023年9月24日

関根勤さんとテレビ(後編)

【司会】山口豊(テレビ朝日アナウンサー)
    八木麻紗子(テレビ朝日アナウンサー)
【ナレーション】田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】関根勤



<“ラビット関根”の由来>
桂三枝さん、今の文枝師匠が「ヤングタウンTOKIO・桂三枝の大放送」というラジオをやっていた頃、「関根君、前説で修行しなさい」って言われて。
公開番組のお客様をあたためて、オープニングからワーッと盛り上がるように。
そしたら三枝さんが「吉本でもないのにね。僕の番組を盛り上げようとしてくれてる!」と。
当時僕はまだ大学生だったので「僕も大学から落語家になったし、ありがとう」
って言ってくださり、かわいがってくれたんですよ。

うちの社長が「関根勤」という名前がちょっとカタイと…
「ぎんざNOW!」で、せっかく勝ち抜いたんだからと、番組の視聴者から芸名を募集したんです。
“ガッツ関根”とか来ていたんですよ、ガッツ石松さんはすでにいらっしゃるのにw。

僕の芸名が決まらないことが、三枝さんの耳に入ったんですね。
「君、芸名募集してるんだって?じゃ僕がつけてあげるよ」と。
「今年はうさぎ年だ。君、ちょっと顔もうさぎに似ているし、前歯もあるし。
うさぎというのは後ろ脚が長いから坂を上っていくのが得意なんだよ。“ラビット関根”どうや?」と言われまして。
時の売れっ子に言われるとね。いいなと思うんですよ。
これが普通の中学生に言われたら、「ラビット関根?ちょっと違うかな」と思うんですけどw

三枝さんがおっしゃるには、「十二支だから。もしラビットでダメだったら、来年は辰年でドラゴン関根、それでもダメならスネーク関根、シープ関根、十二支やってダメならあきらめる。
そういうちょっと面白味がついた感じで芸名が決まったんです。

それで1982年「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に僕が29歳の時に出演するにあたって、欽ちゃんが「“ほのぼのした番組”だから字幕スーパーで“ラビット関根”って出るのは嫌だな。変えてくれない?」って。
「この番組だけ変えてくれ」っておっしゃったんですよ。
芸名自体を変えろというわけではなかったんですけど、うちの社長が勘違いして、じゃあ「関根勤に全部戻そう」と言って各所に発信しちゃったんです。
でも良かったです。29歳で関根勤に戻って。



<小堺一機とコンビ結成>
小堺くんは僕の2年後に「ぎんざNOW!」のチャンピオンになっているんです。
彼もすぐ「ぎんざNOW!」のレギュラーになって、一緒に仕事をしていました。
小堺くんとは2歳しか違わないし、趣味も合って、同じものを観てきたんで、お笑い好きだし、映画行ったりしてたんですよ。
彼が色んな事務所を経て浅井企画入ってきた時、僕は27歳で、彼は25歳。
「仲良くしてるだけじゃだめだ、二人でコンビを組めっ!事務所の社長の熱海の別荘で合宿して、ネタを作れ」って言われて。

萩本欽一さんが、その時に「潜った方がいい」と。
「君らは小屋で修行していない。だから面白い時と面白くない時の差が激しい」と。
萩本さんはコント55号時代に100人か50人ぐらいの小屋で、振り幅を安定させて80点になってから世の中に出た。だからコント55号として売れたんだって。
「君らは30点の時もあれば、80点の時もある。それではダメだ」とおっしゃって。
2人で下北沢のスーパーマーケットというライブハウスで毎週金曜日2時間。
夜10時から「ミッドナイトコント」っていうのをやって、改めて修行したんです。
そしたら1年後に萩本さんが「お!俺のアドバイスを聞いたな」と。
「じゃあ、あんまりテレビに出ていない小堺から使おう」ということで、小堺くんが先に「欽どこ」に出演したんです。



<転機になった「欽どこ」>
1982年29歳の時、関根さんは「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に初出演。
しかし、その1カ月後、本番中に担当していた「学生役」から降ろされてしまいます。
その翌週の放送で、小堺さんが演じていたグレ子の相方・クロ子として再登場しました。

「欽どこ」に出演した当時は、まだ“ラビット関根”のイメージが強くて、しかも「カックラキン大放送」で“カマキリ男”って車だん吉さんを殺す「殺し屋」役をやっていたんです。
「おい、ゴロンボ! カマキリ~(拳法)」ってやってたんですw。
そのオンエアと並行して「欽ちゃんのどこまでやるの!?」で「学生役」を演じていました。
「カックラキン大放送」で“カマキリ男”を観ている視聴者が、公開収録を観に来るわけです。
“カマキリやってる殺し屋のラビット関根”が、“かなえちゃん”に何しに来たんだ!?と。
もう異様な雰囲気でしたよ、客席。シーン。サスペンスみたいになっちゃって。それを萩本さんが嗅ぎ取ったわけです。
「何だ?」と。「関根いくつなんだ?」と。
“かなえちゃん”は中学3年生です。
僕29歳ですよ。
「そんな奴に、かなえの恋人役なんかやらせられない」っておっしゃって、舞台上で「学生役」をおろされたんです。



<萩本欽一さん>
萩本欽一さんは、神様みたいな人です。
3番組?もっと4番組かな?合わせて視聴率が100%男って言われていたんです。
テレ朝が「欽ちゃんのどこまでやるの!?」、フジテレビが「欽ちゃんのドンとやってみよう!」、TBSが「欽ちゃんの週刊金曜日」。
全番組人気があったんです。歌も出してて。
あまりにも人気があるので、局の垣根を越えて“欽ちゃん祭り”というのをやって。
順番に3番組でオールキャストで。そんなことは今あり得ないですよね。
あまりに人気があるから、お互いにウィンウィンなんですよ。

― 萩本欽一さんの凄さとは?

「プロデュース力」なのかなぁ。
アマチュアを扱うのがうまかったですね。
結局、坂上二郎さんもずっといじってたんです。
だから「いじりの天才」

― 欽ちゃんと出会ったことがターニングポイントになりました?

これはもう完璧ですよね。
事務所の社長に会ったのが芸能界の第一歩です。
次がやっぱり欽ちゃん。
これは大きいです。

― 何が関根さんの中で変わったんでしょうか?

「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に小堺君はぼくより10カ月先に出演していて、僕が出始めた頃には、すっかり「欽どこ」のメンバーだったんです。
昔コントをやっていた時は、僕がボケだったので、僕が6割で小堺君が4割ぐらいのウケだったんですよ。
ところが、「クロ子とグレ子」で出ていくと、僕は全然ウケないんです。
カマキリのイメージがあるから。
小堺くんだけがウケるわけで、「これはまずい。欽ちゃんにクビになる」って焦って、どんどんオーバーアクションになっていったんです。
そしたら欽ちゃんが「ちょっとこい」って。

「関根。お前は100万円持っているとしたら100万円を目の前にかざすような芸をしている」と。
「5万円だけ出して見せて、あとの95万円はポケットに入っていますよっていう余裕のある芸をしろ」って
言うんですよ。
僕29歳の時だったんで、「はぁ?」っと思って。
どういうこと言ってんのかなと…。
つまりオーバーなことやめろって言ってんだなと思ったんです。
クロ子とグレ子で出演するときは、小堺くんが喋る時は「そうだね。ああそうだね。ああ、そうだそうだ」ってやってみたら、欽ちゃんは何も言ってこない。
じゃ今度はひじから先を動かしてみようかなって。
それで徐々に徐々に開放していって2カ月後には元へ戻っていたんですよw。

そしたらね。今までの“カマキリ男”のイメージを持っていた視聴者が「ああ、関根勤ってこんな感じなんだ」って安心して観てくれるようになって。
その時にオーバーアクションをするなっていう欽ちゃんのアドバイスが理解できたんです。
その辺がすごいですよね。
他にもいろいろ教えてくれました。
誰かがやってる時に、こっちで邪魔したら目線が散るだろうって。
だからこっちがやってる時には、ほとんど動かない、気配を消す事も大事だって教わりました。

<YouTubeデビュー>
「TikTokをやらないか?」って言われたんですよ、
TikTokを見て思ったことは、これをやると年寄りが媚びてるように思われるんじゃないかなぁと。断ったんです。
「それじゃYouTubeはどうですか?」って。
「YouTubeは話するだけでいいですから」って。
じゃあやってみようかなって。

うーん、結局僕ね、自ら飛び込んだってことがあんまりないんですよ。
芸能界も事務所の社長が引っ張ってくれて、修行も欽ちゃんがやれって言って、
ラジオもアナウンサーがテレビに出演することになったんで、僕と小堺くんがどうだってことで入ったんで。

結局ね、自分の価値って他人が決めることでしょう?
自分がこれだけのものだって言ったって、他人が低く思っていればすごく格好悪いじゃないですか。
周りが見たいって言うんだったら「じゃあ1回やってみて、ダメならやめればいいか!」で始めたんですよ。

そしたら、やっぱりいましたよ。アンチが…

「ジジイのくせにYouTube始めたよ。」
で、1週間後、「ほら、たった4000だよ。ほら見たことか。」

おいおいちょっと待ってくれよと。
俺は49年間芸能界でやってきたんだ!
俺はマラソンランナーなんだと。もうちょっと見てくれよと。
そしたら1年経たずして登録者が10万人を突破して。
今、14万人になって。10月にYouTubeライブをやることになりました。



<テレビとYouTubeの違い>
テレビはチーム戦ですよね。
司会者がいて、ディレクターとかスポンサーの方向性があって、演者が何人かいて、自分はどの役割なのかなって。
ギアの一つになるわけですよ。
それをやるのもプロの仕事。
自分の持っている全てをぶつけることはできないわけです。

ところが、YouTubeは1対1。
だから好きなことを言えるわけです。
例えば千葉真一さんのいろんなエピソードをみんなが知らないことを、いっぱい言えるわけです。
テレビじゃそんなに言わせてくれないですよ。必要ないってことで。
YouTubeっていうのは本当に僕だけを見に来てくれるから。
舞台に似ていますよね。
映像なんだけど、ちょっと異なりますよね、テレビとは。
YouTubeの方がより専門的だと思います。



<テレビとは>
保健室の先生 関根勤