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#876
2023年7月30日

南極観測隊に密着取材 【後編】

【番組司会】山口豊(テレビ朝日アナウンサー)
      八木麻紗子(テレビ朝日アナウンサー)
【ナレーター】田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】吉田遥(テレビ朝日ディレクター)
     神山晃平(テレビ朝日 記者・カメラマン)

<地球の気候に大きな影響を与えると言われている南極>
気候変動の最先端研究にテレビ朝日の取材チーム2人が4カ月にわたって密着し、先日、無事帰国。後編は、上陸してからの取材や経験談を伺いました。



<南極観測隊としての役割>
吉田:第一前提として「昭和基地の維持を隊員としてしなければならない」、ということがあり
   ました。物資の運搬ですとか、建築作業、建物の管理、手伝えることはみんなで分担して
   いこうと。
   昭和基地を維持するための仕事っていうのがこんなにあるんだというのは、すごく勉強
   になりましたが、取材や中継のスケジュールとどう両立していくかというところが、す
   ごく難しかったです。

<南極での取材について>
吉田:昭和基地で隊員がどのような生活をしているのかを取材、中継。
   研究者の皆さんがどういう研究をしているのか?どういうサンプルを取るために来て
   いるのか?など。隊員としての仕事と取材の仕事は、半々ぐらいでした。
神山:吉田さんが原稿書いてる間に、私が隊員として、コンクリートを作ったりしていました。
   まさか南極でコンクリートを作るとは思っていなかったです。
   昭和基地維持のために一番大切な作業だったらしいです。



<南極観測隊の密着取材>
昭和基地から100キロ離れた内陸で “空気の化石”とも呼ばれるアイスコアを採取する研究に密着。GPSを頼りにルート上を進んで行くのですが、景色が全然変わらないので、道なき道を走っているという感じがしたそうです。
現場には、8人の隊員しかいないため、取材の他に観測隊員としての重要な任務がありました。
吉田ディレクターは、8人分の食事を毎日作り、神山カメラマンは、観測隊員の中の報道担当という感覚だったそうです。
神山:2日間かけて雪上車で移動するのですが、小刻みに振動するので、眠気が襲ってきてしま
   うんです。南極なので交通事故は起きないのですが、ルートから外れたら戻れなくなって
   しまう
ので、GPSで確認しながらみんな眠気と闘いながら交代交代でナビゲーターを務
   めていました。

<あそこで何をしていたのですか?>
吉田:専用のドリルを南極の氷に突き刺して、氷の柱を20~30m採取します。
   採取したアイスコアは、日本に持ち帰って、溶かして大気中の成分を分析することで
   過去の気候を復元できるという研究です。
神山:このアイスコアの映像はドリルの部分に小型カメラをつけて撮影しました。
   こういう映像を撮れると思っていなかったので、後でみんな見た時に「うわー」ってなり
   ました。これは撮った中でも面白かったなって思う映像の中の一つです。

<吉田さんは料理をしていましたが?>
吉田:力仕事がすごく多いので、自分ができることは何だろうと考えた時に「料理」を担当しよ
   うと。8人分の「1日3食プラスおやつ」を1週間ほど作っていました。
   やっぱり食事って唯一の楽しみなんですよね。
   すごく寒いところで、激しい作業をしていると、すぐお腹が空いてしまうので、何が食べ
   たいかと聞き取りながら準備をしていました。

<お風呂はどうしてたんですか?>
吉田:お風呂は昭和基地にはあるのですが、遠征中はお風呂もトイレもないので、1週間強お風
   呂無しでした。トイレも雪の。。。
神山:遠征先では簡易トイレを作ります。排泄物は持ち帰らないといけないのでドラム缶に溜め
   て基地まで持って帰って焼却していました。



<昭和基地での生活>
吉田:昭和基地では建物と建物のあいだが結構離れていて、女性は、お風呂まで行くのに
   10分くらい歩いていかなきゃいけないんです。
   ある時に風呂から出たらブリザードが来てしまって、自分の寝床に帰れずその建物で徹
   夜
したこともありました。
   南極の気候は本当に変わりやすく、吹雪がくると建物の外に出られないんです。ドア
   がすごい勢いで閉まったりするので、開け閉めも危ないですし、顔中が砂だらけになっ
   たりして、南極のブリザードは本当に怖いと思いました。

<ゴミもかなり細かく分別してましたよね?>
吉田:南極の環境を破壊するわけにはいかないので、ごみは細かく分別して
   全て日本に持ち帰るという方針で、かなり細かく分別していました。

<髪の毛も伸びちゃうし、水とか、どうしてたんですか?>
吉田:髪の毛に関しては、1年間昭和基地で過ごす越冬隊の方が、渡航する前に研修を受けて、
   隊員の髪をお互いに切り合います。美容室があるんです。
   ヘアカットやカラーもできます。
   娯楽が少ないので、日本ではできないような髪型にされたり、カラフルな髪の毛にしてい
   る方がいました。ピンク色の方とか。
吉田:昭和基地には造水装置があるので、雪解け水を使って生活していましたが、1日に使える
   量が限られています。私たちが滞在している時も水が足りなくなってしまって、入浴禁止
   になってしまった日もありました。
   洗濯機も1日3人までとか、かなり厳しい節約のルールがありました。
   遠征先では雪を溶かして水を確保していました。
   雪がない場所では、池の水を汲んで飲んだりしてました。

<南極の氷を溶かした水ってどんな味?>
吉田:すごくおいしかったです。
   「こんなにおいしい水があるんだ」というぐらいおいしかったです。
   いろんな石を通ってきているので、いろんな成分・ミネラルが含まれていて、美味しく感
   じると言われています。

<バーもありましたね?>
神山:昭和基地にはバーがありまして、隊員同士でバーテンダーをやったりしていました。
吉田:バーテンダーの方が南極の氷を使ったりとか。
   昭和基地で野菜の水耕栽培をしていたんですね。そこで採れたミントと南極の氷を使っ
   て、モヒートを振る舞ってもらいました。

<バー以外にも何かありましたか?>
神山:「娯楽室」がありまして、ビリヤード台があります。そこに第九次隊って書いてあって、
   1967年から50年以上あるビリヤード台とか。
   昔から受け継がれてきたおもちゃとか。

<南極で感じた気候変動>
吉田:氷がもともとあったところの岩がむき出しになっているところを見て、本当に氷が後退
   している現場があるんだなと。
神山:トッテン氷河という巨大な氷河がありまして、そこの氷河が今かなり溶けているという
   撮影に行ったんです。
   撮影のイメージとすると、氷河がガラガラと崩れるようなイメージがあったのですが、
   実際はそんなことはなくて、実は氷の裏側の見えないところが溶けてると。その見えな
   いところの溶けているスピードが著しい。と言われた時に、
   気付かないうちにっていうのが、この気候変動の怖いところなんだなと感じました。
吉田:研究者の間では南極の氷が溶けていると言われているんですが、私たちは4か月間しか
   南極に滞在しなかったですし、研究者の方も1年に1回しか行けないということで、
   なかなか1回の経験で気候変動を感じるのは難しかったなと思います。
   ただ、毎年同じ地点でサンプルを取り続けることによって、経年でどう変化しているの
   か、そういう変化を知る大切さ、観測の意義はすごく分かりました。
神山:長年引き継いできたことをやり続けて、その地球の健康診断みたいなのを毎年やることに
   よって、自分が生きている間じゃないけれども、いつか困ったことにならないように、そ
   のために頑張っている方々がいる。私たちも放送して、この活動が続けられるように何か
   したいなと今回思いました。

<もう1度「南極取材」に行けるなら…>
吉田:結構行けていないところがあって、内陸100キロのところまでは行ったのですが
   さらに奥に「ドームふじ基地」があります。
   そこはー40℃になるようなところで、標高も高いんです。
   そこで今、世界で最も古い「アイスコア」を掘削するという計画が立ち上がっているの
   で、そこは見てみたいなと思いました。
神山:私たち夏で帰ってきたんですけど、次回は、越冬したいです。
   夏の景色って越冬したことがある人にとっては一部でしかなくて、
   「越冬しなきゃ南極はわからないぞ」と、「越冬してこそ1人前だ」と言われたので、
   いつか機会があれば越冬したいです。
   帰ってきたばっかりは、ちょっともういいかなと思っていたんですけど…
   1か月ちょっとたってくらいから「あれ?行きたいかも」って不思議な感じが芽生え始
   めまして…



<南極取材4カ月を経て思う「テレビ」とは>
経験できない場所や人、情報を
代わりに伝えることができる手段 吉田 遥

遠くの色々なものを
見てもらうという原点  神山晃平
(未来をここからプロジェクトX南極ノート 南極ノート 検索)
https://news.tv-asahi.co.jp/feature/01/0057/