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#875
2023年7月16日

南極観測隊に密着取材 【前編】

【番組司会】山口豊(テレビ朝日アナウンサー)
      八木麻紗子(テレビ朝日アナウンサー)
【ナレーター】田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】吉田遥(テレビ朝日ディレクター)
     神山晃平(テレビ朝日 記者・カメラマン)

<地球の気候に大きな影響を与えていると言われている南極>
気候変動の最先端研究にテレビ朝日の取材チーム2人が4カ月にわたって密着し、先日、無事帰国しました。
南極観測隊に同行するための準備が始まったのはなんと!出発の1年前。
雪山訓練から始まりました。
極寒の地での野営やクレバスに滑落した時の脱出訓練など、なかなか思うようには行かなかったそうです。
感染症等を南極に持ち込まないために、観測隊全員が9日間の隔離生活を行い、これまでであればオーストラリアまで飛行機で移動していましたが、日本から南極に向け船で出発。
自衛隊が運行する船は、オーストラリアのフリマントル港を経由し南極・昭和基地の近くまで、1カ月と10日の航海。
海上自衛隊の規則正しいリズムで生活を送りました。
南極へ向かう途上、避けることができない荒波が押し寄せるエリアでは、経験したことのない波しぶきと揺れに襲われ、揺れと戦いながらの食事や、想像を超えた船酔いを経験しました。
そんな最中にオーロラが出現。
30~40mの向い風が吹く中、神山記者は甲板に出てオーロラの撮影に成功しました。



<無事に帰ってこられて>
吉田:長い船旅が続いていたので、帰ってきた時は安心しました。
神山:日々の仕事が始まって「本当に南極に行ったんだっけ?」というような。
   南極の時間と日本での時間の進み具合に戸惑ってました。

<4カ月ぶりに帰国して最初に行ったこと>
吉田:私は自分のベッドの上で眠れる幸せを噛み締めました。
   船は常に揺れているし、毎朝毎晩自衛隊の放送で寝起きしていたので、自分のペースで好
   きなだけ眠れる、その時間がすごく幸せだなと思いました。
神山:駅前の牛丼を食べに行きました。
   南極での食事は結構充実していたので海鮮が食べたいとかラーメンが食べたいということ
   はなくて、普段よく食べていたファストフードのものがとにかく食べたくなって、牛丼を
   食べるためだけにわざわざ駅前に行きました。

<南極に行くきっかけ>
吉田:大阪に取材に行っている時に、電話がかかってきて、「南極に行かないか?」と。
   「南極ってなんだろう?聞き間違いかな?」と思いました。
   目の前の事件取材があったので、出張から帰ってきてから話を詳しく聞いて、
   隙間時間で「南極」を調べて、「行ってみたいな」と思って、「行きます」と返事をしま
   した。
神山:取材で警察署にいた時に着信があって、普段連絡が来る人からの着信ではなかったので、
   「異動かな」と最初は思いました。
   その番号に電話したら、「南極に興味あるか?」って言われて。
   南極って行けるところと思っていなかったので、「行きたいですけど行けるんですか?」
   と返事しました。

<南極に行く準備>
吉田:出発の約1年前に寒冷地での生活に慣れるために雪山にテントを張って、御飯を食べて寝
   るという訓練から始まりました。
   クレバスに落ちた時に、自力ではい上がれるような木登りの訓練があったのですが
   もう全然うまくできなくて、南極に行けないんじゃないかと不安になりました。
神山:一生に一度しか行けないであろう南極なので、撮りこぼしがないように、今世の中で流行
   っているカメラを10種類ぐらい持って行きました。
   水中を縦横無尽に撮れる水中ドローンや、持っているだけで360度記録できて、後で自分
   の好きなアングルを切り出せるカメラとか。
   自分が使いこなせる自信がないまま、触りながら、行きながら使い方を覚えようと思いま
   した。
   吉田さんがマイク1本で軽く歩いていく後ろを、三脚やカメラなど大量の機材を担いで
   南極の無音のところをガチャガチャ音を立てて歩いてました。
   私たちが使っているプロ用の撮影機材は、低温でもある程度は大丈夫なように作られてい
   るんですけど、一番不安なのは電源なんです。
   気温が低くなるとバッテリーのもちが悪くなるので、バッテリーだけバッグの中に入れた
   り、とにかくバッテリーを外気にさらさないように気を使いました。



<南極までの航海>
船は自衛隊が運航。オーストラリアのフリマントル港を経由し南極・昭和基地の近くまで、1カ月と10日かかります。
その間は海上自衛隊とともに規則正しい生活、毎朝6時に起床し夜は10時に消灯でした。
吉田:普段接することのない研究者や設営隊員と交流ができたので、それはすごく楽しかったで
   す。往路では、私たちの「報道の仕事」を理解してもらう工夫ができたのかなと思いま
   す。
   観測船には、基本的にインターネットがない(容量制限がある)ので情報が入ってこない
   んです。
   日本で何がニュースになっているのかわからなくて、皆さん情報に飢えていたので、私た
   ちはテレビ朝日の本社から今日のニュースをメールで送ってもらって、それを共有スペー
   スに張り出したら「本当にありがとう」と感謝してもらえました。
   特にサッカーW杯の時期だったので、いち早く速報を船の上で流せるように頑張ってまし
   た。
   ニュースってやっぱり大事なのだという「報道の原点」をそこですごく感じました。

<船の揺れ>
南極への航路には避けることができない暴風圏があります。
神山:ジェットコースターのような揺れが一日中続きました。
   さっきまで自分が歩いていたところが5秒後には壁のように反り立ち、その5秒後には逆
   が反り立つんです。もうどんな態勢を取っても無理だったので、食事もハンバーグの上に
   お味噌汁が乗っかったりするような状況でみんなひっくり返しながら食べていました。
   食事の時間は決まっているので、「お願いだから食事の時間に揺れないでくれ」って祈っ
   てたんですけど、食事の時間が一番揺れる時間にあたってしまって。。。
   悲鳴を上げながら食事をするという。
   揺れは1日24時間続いてました。
吉田:船酔いのせいでとにかく眠くなってしまい、オーロラが出た時も見に行けませんでした。



<南極を感じた時>
吉田:最初は氷山が見えた時に「南極海に入ったんだな」と感じました。
   しばらく氷山が見える領域を進むと、流氷が増えていって、どんどん氷が増えていくとい
   う変化が面白かったです。

<オーロラ>
神山:船の揺れが激しいところ(暴風圏)を通過している時にオーロラが出たんです。
   撮影のためにお願いして船の外で撮影しました。
   向い風が30~40m吹いていて、柱にしがみつきながら船から落ちないように気をつけな
   がら撮ったオーロラなんです。

<南極が見えた瞬間>
吉田:朝起きて甲板に出たらもう真っ白な世界が広がっていました。
   「来ちゃったなぁ」という。
   白い氷しかない世界で、本当は人間が来ては行けないところにこの船は突っ込んで行った
   んだなぁと感じました。



<砕氷艦「しらせ」>
神山:船の先端から水を出して雪を溶かし、氷を砕きながら進んでいく姿を撮影するため、棒の
   先にカメラをつけて、タイタニックのような状態で後からおさえてもらいながらあの映像
   を撮りました。

<南極上陸>
吉田:船は、昭和基地がある島から少し離れたところに停泊します。
   「しらせ」からは、自衛隊のヘリコプターで昭和基地に向かいました。
   こんな白い世界の小さな島に人間が作ったアンテナや小屋みたいなのが見えた時は、日本
   人が60年前に開拓した場所なんだな
という感動がすごくありました。
神山:吉田さんは、景色を楽しめたと思うんですけど、南極の基地に降り立つ瞬間を絶対に撮り
   逃すわけには行かないので。
   「もう一回いいですか?」とは言えないので、とにかく最初の一歩目を撮るということに
   意識を集中していました。
   撮り終えてから、やっとカメラを下ろして「ああ昭和基地へ着いたんだ」と。
   そんな感じでした。
   先輩からは「一生残るぞ」と言われ続けて、「本当?」と思いつつも、近づけば近づくほ
   ど、「一生残さなきゃだめだな」という思いが増してきました。


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