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#816
2022年5月1日
きたろうさんとテレビ(前編)
【番組司会】寺崎貴司(テレビ朝日アナウンサー)
八木麻紗子(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】きたろう
【VTR出演】大竹まこと・斉木しげる
【ナレーター】田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
八木麻紗子(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】きたろう
【VTR出演】大竹まこと・斉木しげる
【ナレーター】田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
シティボーイズのメンバーとして、俳優として長年活躍するきたろうさんが思う「テレビ」「お笑い」「役者」、「シティボーイズのこれから」について伺いました。
<プロフィール>
1948年8月25日生まれ 74歳
「俳優小劇場」で大竹まことさん、斉木しげるさんなどと出会う。
1971年 劇団「表現劇場」を立ち上げ。
1979年 コントユニット「シティボーイズ」を結成。
1981年 オーディション番組「お笑いスター誕生!!」に出場。
グランプリを獲得し一躍有名に。
その芸風は80年代のサブカルチャーシーンに大きな影響を与えました。
1998年 映画「マルサの女2」に出演。
俳優として数多くの映画・ドラマに出演。
「俳優小劇場」で大竹まことさん、斉木しげるさんなどと出会う。
1971年 劇団「表現劇場」を立ち上げ。
1979年 コントユニット「シティボーイズ」を結成。
1981年 オーディション番組「お笑いスター誕生!!」に出場。
グランプリを獲得し一躍有名に。
その芸風は80年代のサブカルチャーシーンに大きな影響を与えました。
1998年 映画「マルサの女2」に出演。
俳優として数多くの映画・ドラマに出演。

<シティボーイズ>
シティボーイズの笑いはモンティーパイソン的な「今まで誰もやったことのない笑い」をやりたかったそうで“人はこんなことで笑うんだ”というところを攻めていったそうです。
メンバーとの出会いは劇団「俳優小劇場」から始まったが、“当時の演劇”は人を啓蒙するような芝居が多く自分にはつまらなく感じ嫌になっていたそう。
29歳くらいのときに周りを見たらコントグループがあまりなかったので、「これならいけるのでは?」と生活するためにコントを始めたのがきっかけだそうです。
メンバーとの出会いは劇団「俳優小劇場」から始まったが、“当時の演劇”は人を啓蒙するような芝居が多く自分にはつまらなく感じ嫌になっていたそう。
29歳くらいのときに周りを見たらコントグループがあまりなかったので、「これならいけるのでは?」と生活するためにコントを始めたのがきっかけだそうです。


<VTR>
Q.シティボーイズにきたろうさん・斉木さんを誘った理由は?
大竹まことさん
「当時はきたろうさんも斉木さんも二枚目だった。
特に斉木さんは西城秀樹みたいな顔をしていた。
きたろうさんは楽屋にいたら鏡しか見ないナルシストで自分のことを柴田恭兵の再来だと思っていた。」
Q.きたろうさんはどんな人物?
斉木しげるさん
「裏の総帥 表には出ないがリードする人ですね。
大竹まことさんの方向を決めるのは実はきたろうさん。
パッとそうは見えない、そこが闇の総帥たる所以なんです。」
大竹まことさん
「当時はきたろうさんも斉木さんも二枚目だった。
特に斉木さんは西城秀樹みたいな顔をしていた。
きたろうさんは楽屋にいたら鏡しか見ないナルシストで自分のことを柴田恭兵の再来だと思っていた。」
Q.きたろうさんはどんな人物?
斉木しげるさん
「裏の総帥 表には出ないがリードする人ですね。
大竹まことさんの方向を決めるのは実はきたろうさん。
パッとそうは見えない、そこが闇の総帥たる所以なんです。」

<3人の関係性>
「3人いれば、人を笑わせられる仕事仲間という感じ。誰か1人かけても笑わせられないと思う。」
「怒って人を笑わすことは難しいが、“大竹まことさんのキレる”という芸はものすごくおかしい。」
「斉木しげるさんは宇宙人みたいで、人の笑いをとるなんてことを一つも考えない。自分が面白ければいい人。自分を含め3人とも根底には“秘めた狂気”があると思う。」
「怒って人を笑わすことは難しいが、“大竹まことさんのキレる”という芸はものすごくおかしい。」
「斉木しげるさんは宇宙人みたいで、人の笑いをとるなんてことを一つも考えない。自分が面白ければいい人。自分を含め3人とも根底には“秘めた狂気”があると思う。」
<VTR>
Q.50年の付き合いで忘れられないことは?
斉木しげるさん
「きたろうさんは、お酒飲むと喧嘩早い。すぐ表出ろ!と怒鳴っていた。」
大竹まことさん
「演劇的なことではよく喧嘩した。きたろうさんが考えたシティボーイズのスローガンは『思想のない演劇よりも、粗相のないコント』。
当時はコントにも思想があると思ってやっていたが、関西の芸人さんが死ぬほど笑わせて何にも残さないで帰っていくのを見て3人で愕然とした記憶がある。」
斉木しげるさん
「きたろうさんは、お酒飲むと喧嘩早い。すぐ表出ろ!と怒鳴っていた。」
大竹まことさん
「演劇的なことではよく喧嘩した。きたろうさんが考えたシティボーイズのスローガンは『思想のない演劇よりも、粗相のないコント』。
当時はコントにも思想があると思ってやっていたが、関西の芸人さんが死ぬほど笑わせて何にも残さないで帰っていくのを見て3人で愕然とした記憶がある。」

<シティボーイズの笑い>
昔、吉本の舞台で2,000人くらいのお客の前でコントをしたが、全く笑ってもらえず、自分達の笑いは通じないのかと10日の興行の間中、悩み続けて終わったのですが、後に、関西の別の場所でやったら、客層が違いドッカンドッカン ウケた。
吉本の大きな舞台に出て学んだことは、「一生懸命なにかを演技しようとしたらその一生懸命さに対して客は笑わない」ことでした。
吉本の大きな舞台に出て学んだことは、「一生懸命なにかを演技しようとしたらその一生懸命さに対して客は笑わない」ことでした。
