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#791
2021年9月26日

「戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭2021」

【番組司会】寺崎貴司(テレビ朝日アナウンサー)
      八木麻紗子(テレビ朝日アナウンサー)
2019年に放送されたテレメンタリー「史実を刻む~語り継ぐ“戦争と性暴力”~」が広がりを見せていることをご存知でしょうか?

第53回「アメリカ国際フィルム・ビデオ祭」※でドキュメンタリー・歴史部門で銀賞に値する『Silver Screen』を受賞。


先月には、開催10回目を迎えた「戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭2021」で上映される9作品の一つに選ばれました。

※「アメリカ国際フィルム・ビデオ祭」
1968年にアメリカのシカゴで創設された世界最大級の映像祭。
ドキュメンタリー、エンターテイメント、教育など多岐にわたるジャンルの映像作品を表彰。世界26か国から1000作品以上が参加。
「史実を刻む~語り継ぐ“戦争と性暴力”~」の1時間版が受賞。

<戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭>
戦争を記録した映画は「最大の戦争抑止力」になることを信じ、ヒロシマ・ナガサキ・沖縄戦などをテーマにした映画を上映。

上映だけでなく、映画の背景や、歴史を深く知ってほしいとの思いから、ゲスト登壇や偲ぶ会などのイベントも開催されました。

※他の上映作品
映画『ひろしま』1953年公開
映画『ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに』2020年公開
映画『第五福竜丸』1959年公開
映画『ひめゆりの塔』1953年公開
映画『TOMORROW 明日』1988年公開
映画『海辺の映画館?キネマの玉手箱~』2020年公開
映画『おかあさんの被爆ピアノ』2020年公開
映画『杉原千畝が繋いだ命の物語』2017年公開

<「史実を刻む~語り継ぐ“戦争と性暴力”~」内容>
戦争直後、中国・旧満州で起きた「性接待」という名の性暴力。
岐阜県・旧黒川村から入植した開拓団で起きた悲劇。
生き延びるためにソ連軍を頼り、見返りとして未婚の女性たちに性の相手を強要。
封印されてきた事実を女性たちが告白し、去年、遺族たちが碑文に刻んだ。
遺族会会長が取った行動は、「犠牲になった女性たちに寄り添うことは、史実として残すこと」。
記録に残すことが問われる時代に真正面から歴史に向き合う。
碑文ができたことで、大学生たちも訪れた、女性たちの思いは確実に後世に伝わっている。

ナレーター:林美沙希(テレビ朝日アナウンサー)

<上映後のイベント>
~黒川開拓団の関係者と高校生が話す機会が設けられた~

ゲストスピーカー:
黒川開拓団 遺族会会長 藤井宏之さん
小学校6年生まで現地にいた安江菊美さん


安江さん:
私たちは日本の兵器に使われたといっても過言ではない。
満州へ行けば豊かな土地がもらえ生活は楽になると聞いて行ったけれども、そうではなかったのです。


満州は日本の国で、陶頼昭(とうらいしょう)は自分たちの家だと思っていたが、満州の人達から襲撃を受け私たちは侵略者として入ったことを初めて気づかされました。

襲撃を受け丸裸になってからは、飢え・寒さ・シラミの大群にやられ、食べるものがなくなり3年前の馬の飼料を炊いて食べたけれども、とても食べれるかたさではありませんでした。

黒川開拓団として出て行く時には、日本政府から1軒あたり3,000円のお金が配られた。
当時の3,000円はすごい金額だったのですが、実際に貰って満州へ行った人は一人もいませんでした。
黒川の偉い人達がどんなことに使ったのかわかりません。
終戦になり私たちが帰ってくる時には、書類も全部燃やされ、当時の村長は東京の病院に逃げ込みました。

満州で若い青年が日本政府に「開拓団を引き揚げさせるように」と頼んでくれましたが、日本政府は「外国へ出た人は帰ってこなくてもよい」と返事をしたと聞きました。

その時アメリカの偉い人が「アメリカの船を回すから、それに乗って引き揚げなさい」と手配してくれたのでみんなで引き揚げることができたのです。

引き揚げる際にはアメリカのDDT(害虫の駆除剤)を振りかけてもらいシラミは一気に死にました。敵国であるアメリカに私たちは助けられたのです。
今は日本政府にお世話になっているのでこんな話をしても始まらないと思いますが、私たちは政府の犠牲者だと思っています。

“上の人”は上手に逃げ、下の者は男も女も本当にひどい目にあって泣かされた。
そのことを高校生の皆さんにも知っておいて欲しい。

藤井さん:
碑文の横にある「乙女の碑」は性接待で現地で亡くなった4人の方々を慰霊するために建てられたのですが“そこで何があったのか”ということは、ひと言も文字としては書かれていなかった。
そのため、我々のような戦後生まれの者は本当の事を深く知ることもなく生きてきました。
史実を知った時に「これではダメだ」と思い、言葉として「碑文」を掲げようと思い行動に移ったのです。



<高校生の感想>
男性A:
僕たちの社会が閉ざされているかを思い知った。
僕たちの社会は一瞬の輝きでしかない。
当たり前の中に閉だされた社会であることが身にしみている。

男性B:
性接待の被害者の方々の発言がなければ、この事実を知ることはなかった。
教員を志望しているので将来この事を語り継いで未来に残したい。

女性C:
言葉も通じない知らない人たちにひどい経験をさせられたのは、私たちには計り知れないつらい思いだったと思う。

<イベントに参加してみて>
テレビ朝日 松原文枝ディレクター:
戦後76年、生きている当事者が少なくなる中で生きているうちに“生きている言葉”を伝えたい。

学校の先生などから話を聞くと「この人、同じ時代に生きていたんだ」という反応が子供達から返ってくるそう。アーカイブ(保存記録)は大事だが、同じ時代に体験している人の話を聞くことは色々な事がものすごく伝わる。