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#705
2020年1月12日

徳光和夫さんとテレビ(前編)

【司会】寺崎貴司(テレビ朝日アナウンサー)萩野志保子(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】徳光和夫(フリーアナウンサー)
【ナレーター】田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
毎週日曜日、午後3時20分から放送中の「路線バスで寄り道の旅」に出演中のフリーアナウンサー・徳光和夫さんに、テレビに関する様々なことをお聞きします。

【内容】



●テレビの記憶
徳光さんの記憶に残る、テレビの本放送が始まった1953年当時、記憶に残っているのは民間放送で初めて放送されたテレビコマーシャル。
そして、ドラマ「日真名氏飛び出す」「ダイヤル110番」、相撲や野球のスポーツ中継だそうです。


●巨人ファン
大の巨人ファンで知られる徳光さんは、東京六大学野球で活躍する長嶋茂雄さんに憧れ、「後輩になりたい」と立教大学に入学。
なんとか長嶋さんに近づくため、応援団に入るも、グラウンドに背を向けているため野球が見えない。試合終了後に観客席で片づけをしていると、グラウンドに一番近いところに放送研究会を発見。
そこで、球場で実況を担当する放送研究会に入会。
その後、「プロ野球選手になった長嶋さんに会いたければ、アナウンサーの試験を受けたら良いのでは?」とアドバイスされ、日本テレビに入社しました。
長嶋茂雄さんとの出会いがなければアナウンサー・徳光和夫は誕生しなかったと振り返ります。


●1963年 日本テレビ入社
日本テレビに入社した徳光さんがやりたかったことはもちろん、野球中継の実況でした。
先輩アナウンサーから、「目に映ったものを描写できるようになれ」とアドバイスされた徳光さんは、通勤電車で車窓を見ながら実況の練習をしたといいます。
そして、番組の収録で憧れの長嶋さんと初めて言葉を交わした徳光さんは「がんばってね!」と声をかけられ全身から汗がふきだしたんだとか。
野球中継の実況アナウンサーになろうと決意する徳光さんでしたが、担当することになったのは、プロレス中継の実況でした。


●プロレス実況
プロレス中継の実況を担当することになり、落胆した徳光さんでしたが、救ってくれたのは昭和の名レスラー、ジャイアント馬場さんでした。
馬場さんは徳光さんに、「親しき仲にも礼儀あり」「相手の懐に入ってはいけない」「相手に土足で上がり込むと友情が壊れる」と人との接し方について、多くのアドバイスをしてくれたそうです。


●ズームイン!!朝!
徳光さんの代名詞ともいえる、朝の情報報道番組「ズームイン!!朝!」。
徳光さんは1979~88年まで司会を担当しました。
担当していた当時、テレビ局の近くにマンションを借り、毎日の生放送に挑んでいた徳光さんですが、寝坊し上半身はポロシャツ、下はパジャマズボンのままで出演したなど、多くのハプニングがあったそうです。
そして驚くことに、徳光さんは番組にのぞむにあたり、ほとんど打ち合わせをしたことがなかったといいます。
徳光和夫は司会者としてキャッチャー型、その場でどういう風に受けるか?
返すのか?という番組のスタイルが大きな魅力になったと分析します。
そんな緊張感ある毎日を過ごしていた徳光さんですが、仕事ではストレスを感じたことがないそうです。プライベートでたまったストレスを徳光さんは仕事で発散しているといいます。