5月5日
男は48度目の誕生日を迎えた
かつてその左腕で手にした、栄光の数々
一方で味わった、2度の戦力外通告
そして、
プロ入りから30年目となる今年、
男が下した決断、野球浪人
なぜ男は今も尚、戦い続けるのか・・・
その姿は、未来の球界へ
いかなる財産を残すのだろうか・・・
現役にこだわる最年長投手
工藤公康 48歳
男の生き様に南原清隆が迫る―
4月23日のJリーグ再スタート。
今季、 ベガルタ仙台は無敗を誇り、J1で快進撃を続けている。
男たちの”使命”。それは・・・
柳沢選手
「サッカーを通じて気持ちを少しでも明るくできる手助けするのが役目」
関口選手
「これからの希望の光になりたい」
手倉森監督
「1つでも上を目指していきたい、旋風を起こしたい」
明るいニュースを被災地へ届け、”希望の星”となること。
だが。
チームの柱の離脱・・・
余震への不安・・・
困難を極めたチーム作り・・・
いろいろな思いが交錯する日々。
苦難を乗り越えれば、また苦難が待ち受けていた。
それでも前へ進もうとするベガルタ仙台。
そこには、負けられない男たちのドラマがあった。
かつて、敗戦で打ちひしがれた日本に
勇気と希望を与えた男がいた…
世界記録を33回も上回り、
「フジヤマのトビウオ」の異名をとった競泳・古橋廣之進。
満足に食料がない時代に
飢えをしのぎながら、1日3万メートルもの猛練習を積む。
そして、人生初の国際舞台、全米選手権に出場した古橋は、
驚異の世界記録をたたき出す。
アメリカの地で誇らしげに揺れる日の丸が、
復興への道しるべとなった。
そして、今…
古橋の精神を受け継ぐのが、北島康介。
「ことばじゃ伝わらない何かを与えられたら」
との思いから、被災地を訪れる。
泳ぎたくても泳げない人々がいる。
そんな現実を目の当たりにした北島は、
勇気付けるため、ある行動に出る。
競泳を通じて男が示したかったものとはー
震災後、様々なスポーツイベントが開催を見合わせる中、
高校野球「春のセンバツ」は通常通り行われた。
出場校の中には被災した地域の学校も。
通常の生活もままならない状態での参加だった。
それでも彼らは必死に白球を追い続けた。
どんなに劣勢になろうとも最後まで諦めなかった。
“被災地に元気を与えたい”
その一心だった。
そしていま…
多くの球児たちが変わらぬ思いを胸に
未だかつてない困難に立ち向かっている。
家を流された球児も…
親族を亡くした球児も…
彼らはみんな、口を揃えてこう言う。
『高校野球をやっていて良かった』
被災地の球児たちを追った。