第8章 心の庭
 

 料理を作る多映子さん

 7月。石川多映子さんは、栃木の実家に、久々に里帰りをした。休みは1週間弱。
 例年は買い物に出かけたり、友達と会ったりするが、今年はほとんど在宅。母と一緒に愛犬の散歩にでかけたり、姪のまひろちゃんと遊んだりした。料理は毎日作っている。
 「昨日はすごかったんですよ。かつらむきとかしちゃった」
 「あじのたたきとかも作ったんですよ。もういつでも嫁にいけますよ」と27歳は誇らしげに言う。
 この日はサラダを担当。大根とツナのサラダ。季節の梅をドレッシングに効かせた。
 父・勝博さんが味見。じっくり味わった後・・・
 「あの・・・もう少し塩を。ヘタするとフォアボールになっちゃう」
 「え〜!何それ!!」
 「フォアボールかデッドボールになっちゃうから、もうちょっと塩入れたほうが三振とれる」
 「私打たせてとるピッチングだもん」
 「これじゃ打ってくんねぇって」
 こんな和やかな時間が、過ぎてゆく。

 ちょっとした時間が空いた夕方。娘・多映子さん、おとうさんを誘った。

 裏庭で、キャッチボールをしよう。

 約8年ぶりに、親子そろって裏庭に向かう。速く重くなった多映子さんの球を勝博さんがとれなくたって、やめた。
 そして今8年ぶりに、13メートル隔てて、向き合う。
 バシッ!
 「もう捕れないのかと思ってたよ」
 「歳とったって負けねぇよ」
 二人とも、負けず嫌いである。
 チェンジアップを投げる。
 「もうちょっと高めから落ちてくればね」
 「知ってます」
 もう一球。
 「ほらナイスボール」
 「でも今のボールになるよ」
 「でも振るでしょ」
 さらに。
 「OK!これはもっていかれるな、センターに」
 「もっていかれないでしょ。低いから」

 二人とも、妙に楽しそうである。特に勝博さん。
 バシッ!
 「いい音だ。グラブがいいんだな」
 「そうだよ。それ私のグラブだから」
 「よっしゃ、ここ投げてみ!」
 低目をお父さん、はじく。
 「そういう所捕らないとキャッチャーじゃないから」
 「昔は構えた所以外捕らなかったけどな」
 「それ良くないんじゃない。精神的にやられる」
 「精神的に強くないとピッチャーはできないの」
 「でも私はヘコたれなかったな」
 「だから今があるんでしょう」
 バシッ!
 「本当厳しさは天下一品だったからな」
 「本当だよ」
 「こんなふうに練習できてたらもっと楽しくやれてたかもな」
 「本当。それは言えてるかも」
 「ここで厳しくやってたから楽しさを見つけられたんだよ」
 「そうだよね。きっと」

 いつの間にか30分が過ぎていた。
 「こういうふうに投げれてたらよかったね。ひたすらだったよね。黙々と・・・」
 バシッ!
 「こういうのが必要だったかもしんねぇな」
 「あ、それ反省?」
 「反省。」
 「後悔?」
 「後悔。」
 「あららら・・・」
 バシッ!
 「でもいいでしょ。今楽しくできてるんだから」


 キャッチボールをする娘
 キャッチボールをする父


 娘と、父。それぞれに、それぞれらしい形で、本音をぶつけ合った。
 それぞれに、残り少ない時を、感じながら。

 キャッチボールは1時間に渡った。
 「久しぶりに捕ったら手が痛いこと。豆が血豆になっちまったよ」
 「こんな所にできるのがおかしいよ」
 「おかずに食べるよ」
 「(失笑)まずいから」
 話を聞いた。
 「楽しかったです。たまにはいいかもね」
 「酒より、こっちのほうがいいかもしんない」
 「トークできるしね」
 「こっちは真剣だよ。20球くらいが限界だよ。・・・もう、老兵は去るのみですよ」
 その言葉を聞いて、多映子さん、黙って空を向く。
 蝉の音だけが、しばらく響いた。

 そして物語は、クライマックスへと、向かってゆく。
 (後編に続く)