| 第7章 ルーツ | |
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栃木県大平町にある石川さんの家。 その裏庭には、密かなブルペンがある。 ここは、ソフトボールピッチャー・石川多映子誕生の場所である。 ソフトボールをはじめたのは小学校4年。あまりにおとなしすぎて、いるかいないかわからない。何かさせたらどうですか?と当時の先生に言われたのがキッカケだった。 たくさんの輝きを放ってほしい。そんな願いで付けられた多映子という名前だったが、それに反して、小さいころはとてつもなく、地味だった。 そして親子2人で、ソフトボールのピッチングを始めた。 次第にのめりこんでいったのは、父・勝博さん。裏庭での練習は、日を追うごとにエスカレートしていく。負けず嫌いだった。 当時、裏庭でどんなトレーニングをしていたのかを勝博さんに聞いた。 「毎日毎日、決まったコースに投げられるような特訓をしました。真ん中投げるのは誰でも出来るから、ベースにかかる練習をずっとさせましたね」 多映子さん、はじめのころはノーコンだったが、勝博さんは「コントロールロープ」なるコントロール器具を編み出した。2本の棒にストライクゾーンを象った4本ヒモをくくりつけ、そのひもの中を通せるように、投げさせた。たとえは難しいが、巨人の星で、飛雄馬が小さいころ使っていた、ボール1個分のカベ穴みたいな感じという感じか。 再現をしてもらったが、投げるほうはかえって意識してしまい、はいらなくなってしまいそうな感じである。これを使って多映子さんは、ひたすら投げ続けた。できないと、容赦なく勝博さんは殴り蹴った。 当時のことを、母・美千代さんはこう語っている。 「投げる時間?決まってませんでしたね。毎日毎日、課題を出してそれが出来るまで続けさせるんです。できなかったら、夕食も遅くなるんですよ。見ていると、巨人の星みたいな感じっていうんでしょうか・・・ 多映子さんにも以前シドニー直前の取材で、この場所について取材したことがある。 「来る日も来る日もピッチング。友達と遊んでても、ごめんピッチングがあるから帰るって。で帰るとお父さんが裏庭で仁王立ちで待ってる。ひたすら考えずに、投げ続けました。・・・あんまりいい思い出はないんですよね」 それでも多映子さん、ひたすら投げ続けた。娘もまた、負けず嫌いだった。 スピードボールは投げられなかったが、緻密なコントロールと、見分けのつかないチェンジアップが構築されていった。 多映子さんには「楽しく!!」という座右の銘がある。 サインなどにも必ずこの言葉を書く。 それも実は、こうした時期に味わった苦しさが根幹にある。苦しさに苦しさを、つらさにつらさを味わった後、妙に楽しい気分になった。以来この言葉を大事にする。 本当の楽しさは、困難の先にあるものだ、と。 やがて多映子さんは裏庭から巣立ち、実業団のエースへ。そして日の丸を背負う。 そんな中、挫折もあった。 ソフトボールが正式種目となったアトランタ五輪、その最終予選、出場のかかった大事な一戦に多映子さんは登板。見事勝利し、五輪出場を決定した。 しかしその後代表監督が突然辞任。監督交代の中で技巧派・石川多映子は切り捨てられ、五輪代表直前落選。失意の日を送った。 それでも、あきらめず・・・ 自分なりの努力を繰り返した。 あの裏庭での苦労の日々を糧に。 所属チーム・日立ソフトウェアの磯野監督は、失意の中で立ち直ろうとした石川多映子を見て、その強さを感じた。 「あんまり表には出さないんですけど、努力してましたね。努力ってみんなしてると思うんです。でも人に負けない努力っていうとどうか。あの子は、そういう人に負けない努力ができてた子でしょうね」 宇津木代表監督は、各代表選手に練習日誌を提出させている。そこにも、努力の人の足跡は克明に現れていた。 ノートのいたるところに貼られた新聞記事。フォームや踏み出しの改良点。びっしりとこと細かく書かれていた。 「あの子のノートだけ、ぶ厚かったんですよ。で、中もきちんと書いてあるわけです。体調とか、その日の練習内容とか・・・それ見た時に、すごい勉強家だな。やっぱりこの子大成するなって思いましたよ」(宇津木監督) ノートの中には、こんな言葉が使われていた。 「一生懸命やるのは誰でもできる。死にものぐるいでやる」 そしてシドニー、156球の遅く粘りある球は、日の丸に歴史的勝利をもたらした。 努力と苦労は、歴史を動かした瞬間である。 銀メダル授与、多映子さんと勝博さんは、それぞれに強く感じた。 苦しくてもあきらめない。努力して苦労した先に本当の喜びがあると。 それは負けず嫌いな親と子が、裏庭でつかんだ、譲れない、生き方である。 父勝博さん、この庭をとても大事にしている。汚く使うと、烈火の如く怒る。 落ちていた葉を拾いながら・・・ 「ここは自分にとって聖域です。昔の多映子を思い出すこともできますし、あん時はこうだったって、ここに来れば走馬灯のように思い出しますから」 多映子さんもまた、つらくはあったが、この裏庭を大事に思っている。 「今のピッチングがあるのはここのおかげです。土台っていうか根底にあるから」 ![]() |
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