第5章 時代と自分
 

 2002年4月。女子ソフトボール一部リーグ開幕。時代がかわろうしていた。
 石川さんは実業団・日立ソフトウェアのエースとして開幕戦の先発。
 そこで、驚く光景を目にする。
 伝家の宝刀・チェンジアップが、思ったコースに全然いかない。ワンバウンドも、目立った。
 チェンジアップは石川さんの最大の武器。
 これまでストレートと同じフォームで、手首の角度だけを変えて見分けのつかない独自のチェンジアップを駆使し、多くのバッターたちのタイミングをはずしてきた。

 プロ野球に例えると、星野投手のような、遅い球で。
 憎たらしいほどに打てない。そんなピッチャーだった。
 しかし2002年、大きな変革が、ピッチャーを襲った。
 ルール改正である。
 2002年、国際ルールが変更され、バッテリー間の距離が12.19メートルから13.11メートルへ伸び、外野フェンスも4メートル後退させた。
 ゼロゲームが多く、投手優位になっていたソフトボールに対し、もっと打撃チャンスを増やし、エキサイティングなゲーム展開にしたいという狙いから決定された。
 提唱したのは、偶然にも石川さんに封じ込められたアメリカ。
 そしてほとんどの代表選手が所属する実業団リーグも、このルールに準じる。
 そしてピッチャーたちの激闘が始まった。延長距離92cm。到達時間差、100分の数秒。
 わずかな数字だがピッチャーたちにとっては握りやフォーム、足の粘り、投球バランスなど全て1からの練り直しになる。
 チェンジアップで例えると、これまでの軌道ならばベース手前で落ちてしまう。同じ速度で届かせようとすると、軌道は高めに行ってしまい、見切られる。
 世界一のレベルを誇る日本実業団一部リーグでは、投手の些細なスキが長打&大量得点につながる。よって、これまで以上に回転の強化や緩急スピードを是正しなければならない。わが国のソフトボールは、それほどに、シビアである。
 開幕戦、石川さんはこの距離感に苦しむ。球は思い通りいかず、球筋は見極められ、これまで以上に、タイミングは計られた。
 これまでと全てが違っていた。
 それでも試合は何とか無失点で完封勝利。
 しかし石川さん、最後まで満足行くピッチングは、出来なかった。
 終了後、石川さんに話を聞いた。
 「どうだったんですかね・・・チェンジアップが決まらなかったのであんまりよくなかったです。」
 満足感、ゼロ。これがその後の石川多映子を物語っていた。
 スタジアムを出る石川さんを、ファンが待っていた。歴史を作った人。あこがれの人。 どこへ行っても、石川さんは、ファンに囲まれ、サインをせがまれる。
 理想とされる自分が、ここにはいる。
 理想に程遠い自分が、ここにはいる。
 気温差を感じながら、サインをする。

 サインをする石川多映子