第3章 156球の奇跡
 

 ブラックタウンの奇跡。ブラックタウンの必然。シドニーオリンピック当時、そんな言葉を番組で使ったことがある。
 2000年9月19日、シドニーオリンピック女子ソフトボール、アメリカ戦。
 当時公式戦112連勝。日本はこれまでまったくと言っていいほど勝てなかった。
 96年アトランタも、こてんぱんにやられた。「マイアミの奇跡」は、ソフトボールでは起きなかった。健闘して、恥ずかしくない試合をしてほしい。周囲はそんな目で見ていた。
 石川多映子は、この試合の先発である。何ヶ月も前から、先発を命じられていた。
 「技巧派だし、信用していたよ」。宇津木妙子監督は当時を振り返って言う。
 試合開始。石川選手は、すさまじく打たれた。アメリカは全員がスラッガーという重量打線である。何本も、強打が外野に行く。
 ショート、安藤美佐子の記憶である。
 「あの場所の空気は口では言えない。あと、打球がすごく速かったことを覚えてる」
 しかし、石川多映子と捕手・山田美葉はいたって冷静だった。
 石川多映子には、2つの超兵器があったから、冷静だった。
 チェンジアップと、緻密なコントロール。
 速球との20キロ近い緩急差。下回転のチェンジアップはタイミングを合わせにくく、あたっても、外野にはまず飛ばない。
 捕手・山田美葉が当時を振り返る。
 「チェンジアップがあの日、すごくよかったけど、それ以上にコントロールがすごくよくて、勝負にでれました。1−2から外したりとかして、何で?って思ったかもしれないんですけど、追い込まれても次の球に確信が持てたんです。それくらいコントロールが緻密でした。だから、冷静にリードできましたよ」
 スコアを見ても、外野フライは一本。ヒットもゴロ性だった。芯を外した。
 ホームラン級のファールも、見せ球・ライズでわざと打たせた。
 それでも重量打線相手。ピンチも訪れた。満塁3度。その度にチェンジアップで、切り抜けた。
 石川多映子がよく使う言葉がある。
 「自分を信じて、仲間を信じて」
 最高速度99キロ。100キロ超がひしめくソフトボール界で、石川選手の球は決して速くない。その中で生きる道は、打たせても点をとられないピッチャーになること。
 誰もが100キロを目指し、美徳とされていた時代に、速い球が投げられなかった。
 だから、ひたすら考え、ひたすら努力して、ひとつの領域に辿り着いた。
 みんなの力を借りて、究極の打てないピッチャーを目指そう。
 自分を信じて打たれ、まわりを信じて打たれる。そして、アウトにとって見せる。
 その究極を。
 「私は球が遅いし、うたせてとるピッチングしかできません。だからまわりを信じて投げていくしかないですから」
 技術をとことん駆使して、打たせるが、アウト。ホームを踏ませない。相手にとって、これほどにイヤな存在はいない。打ちにくいピッチャーの究極、それが石川多映子である。

 このピッチングで石川多映子はアメリカ戦を延長9回1/3まで投げた。
 投球数156球。安打10。残塁20。得点0。
 その後日本は相手のミスと、大胆な作戦で勝利をもぎとった。歴史的快挙だった。
 この戦いでアメリカはリズムを崩し、決勝トーナメントまで低迷を続けた。
 そして日本は、この戦いで勢い付き、銀メダルを獲得した。
 打てそうで打てない、石川多映子の、密かな功績である。

 ではそんな石川選手が、なぜ引退を決意したのだろうか?