| 栗山)太田さん、その中でも「自分がとりあえずやれる事はやってみようじゃないか」って事で例えば、初めて車にエンジンをかけてみるであるとか、初めてフェラーリに乗ってみるであったりとかいろんな事を一つづつクリアしていくんですけど、自分の中でなんかクリアしていく時に困るクリアって言うのは、ここまではありましたか。
太田)確かに、例えば、最初はずっと家の中に引きこもっていたわけですよね、いわゆる引きこもりって言うやつですね。他の人に会うのが怖くてしょうがないわけですよ。その頃はまだ仮面被ってましたからね。仮面被って歩いてる人ってあまり見たことないですよね。目と口だけが出てる仮面被ってるわけですよ、「13日の金曜日」みたいな。あれで表出るというのが凄いストレスで「もう外なんか出れるもんか」って。でも出なきゃ行けない、例えば病院に行かなきゃ行けない…非常にそれがハードルなわけですよね、それが。障害バリアと言うか。でもそれを1回出てしまえば出れるわけですよね。出てみると、例えばそこで花が咲いてたとか、そう言う楽しい事があるわけですよ。そうやって歩いて見ることも、杖をなく歩いてみる事もそうだったし、みんなハードルではあるけれども、でもそれを越えようとして越えられた時、今まで「僕に出来る事は何もない」って思ってたものが、出来る事が少しづつですけど見つかっていくわけですよね、ハードルにぶち当たるたびに。そうすると、それが喜びなんですよね、結局…。「それって何ナノかなぁ」って、例えば自分がスポーツやってる時に出来なかった事が、あるいはコーチから何か言われて「やれ」って言われて、出来なかった事がやっとできた時って「凄い嬉しい」ってあるじゃないですか。そうやって少しずつステージ上がってくと自分の運動能力が高くなっていくわけですよね、そうすると凄い楽しみがあるじゃないですか。試合だけやったって楽しくなくて、やっぱ練習の中でのモノってあるでしょ、自分を高めてく喜び。 栗山)クリアしていく喜び 太田)まさしくそれだなって。それと僕がやってきた、杖ナシで歩いたりとか人前に出たりとか車に乗るって全く同じ事だなぁって、それと似たような喜びですよね。 栗山)それがある意味「生きる」って事の、太田さんの気が付いた生きる意味なんですね、きっと。 太田)栗山さんはどうだったですかね、目標って言うか、甲子園で優勝する事が目標だったとか? 栗山)僕も「結果」を掲げてました。 太田)もちろん結果があるけど。でもそこで優勝したか、しないかじゃなくて、ある程度それは目標であって、そこへ行くまでに自分がやってる行為自体が凄く意義がある事で、優勝したら100点、優勝できなかったら0点って言うモノじゃないんかな。でも特にプロになるとそうなってちゃう部分ってあったと思うんですよ。そうすると楽しくないですよね。何か楽しかったはずなのにプロになって、仕事で始めたら楽しくないなってのは余りにも結果を言われるから。結果も大事だけど、本当の喜びって、その結果を出すためにやってる普段の行為にあるって言う事なんだって言う風に、ハッキリ思いましたよね。 栗山)そして「何故そこに戻るのか?」感覚的には分かるんですが、そこ(サーキット)に太田さんが行く事って言う意味合いですか、これを一般の人達に分かってもらおうとすると、どんな言葉に… 太田)その答えになるか分からないですけど、ある人は僕に「なんであんなひどい事故に遭ったのに車乗るの?」とか「またサーキット走るの?」「もうやめておけば」って言う人もいるわけですよね。その言葉って僕は理解できないんですよね。で、「あっ、そう言う風に思うもんなんだ」って、余りにも当たり前すぎちゃってって言うんですよ、僕にすれば。そう言う風に思うと言う事は「ま、そうだよな。確かにあんな怖い事なんだからな」と思うんだけど、でも僕にすれば、余りにも車に乗る事ってのは当たり前の事で。だった自分にとって好きな事であるし、ずっと自分がやってきた事であるし、非常に嫌な思いがあったから、じゃぁ「生きるのやめるの?」って言われりゃ、そりゃぁやめる人はいるかもしれないけど、でも今の感覚で言えば死ぬのなんてすぐ出来ちゃうんだから、それまではせっかく生きるチャンスを 栗山)僕も今振りかえってみると、1番野球が充実してたのは2軍にいる頃なんですよ。今になってなんですけど、やってる時はしんどいですけど「あの時ホントに考えて野球やれてたな」って、今でこそホントにそう思えるんですけど、ですからその太田さんの言われる意味合いって凄く良く分かる。 |