------太田哲也は事故から3年間の自らの経験を綴った本「クラッシュ」(幻冬社)を発表した。

太田)「クラッシュ」と言うタイトルは…「クラッシュ」と言うのは、事故でクラッシュしたって言う意味のクラッシュじゃなくて、要するに自分の凝り固まってた殻をぶっ壊すんだって言う、壊して初めて自分が変われるんだって言うその意味での「クラッシュ」なんです。

栗山)そう言うクラッシュなんですね。でもそう言う風に考えていくとホントに簡単に言われますけど、そこまで行くのにホントにいろんな思いとかがあったんじゃないですか?今振りかえって見ると、確かにそれに気が付いてリハビリをしてココまで来るのには凄く…ちょっと自分から離れてみると、普通の事じゃなかったですよね、太田さんこれは大変な事ですよね。これはやっぱり「もし1人だったら」って言い
方はおかしいんですけど、その時に、その時気がつかないんだけどやっぱり今考えてみると…太田さん僕、ホントに申し訳ない言い方なんですけど、奥さん凄い人だなって思ったんですよ、本読んで…

太田)その時は気付いてないし感謝もしてないですけども、今思えば家内もそうだし、家族もそうだし、…凄いですよね。「凄いですよね」って自分で言うのも変ですけど、あるいは医療関係者もそうだし、結局そう言う人達の凄い力が僕に入ったんだと思うんですよね。結局、何が今自分の中で辛かったかなと振りかえってみると、「自分の存在する意味がない」。それは要するに、孤独って言う事だと思うんですよね。人間って世の中のバランスの中で生かされてる自分ってあるわけで、全く孤島の中で、全く一人の中で生きてるわけではないんですよね。世の中のバランスの中に自分がないと言うのが1番辛いわけじゃないですか。逆に「そんなことないよ」って言ってくれたのが家族であり、医療関係者、いろんな人達だったけ。それこそが、答えに戻っていくわけですけど「人間は1人で生きていくわけではない」って言う。世の中の非常に大きなバランス、それはもう人間社会だけではなくていろいろ自然も含めたバランスの中で、自分が一つポンとあるんだって言う。今まで自分の中だけからしか周りを見てなかったから分からなかったけど、少し客観的に見ればまさしくそうなわけですそう言う事が見えた時に今までの殻が一つ壊れたんだと思うけど。事故の前は自分がここまで、まぁ、小さいながらも成功できたのは、自分が獲得してきたって言う感覚があったわけですよ。自分が生きてるのは権利だと思ってたし「俺が全部掴みとって来た」って言う気持ちがやっぱりあったと思うんですよ。ところが事故の後からは、そう感じなくなったのは「そうじゃなくて、何か俺って生かされてるんだな」って思うようになった…「これは何なんだろうな」って思ってたんだけど最近になって見えてきたのが、1人で生きぬいてるんじゃなくて、世の中のバランスの中で生かされてるんだなって。だからそれに最も近いのは家内であり、家族であり、あるいは血はつながっては無いかもしれないけどお医者さんであったり、看護婦であったり、あるいは患者同士であったりとか・・・患者同士も、そんなドラマで言うような友情じゃないんですよ。本当にそこにはどろどろとした嫉妬とか、あるいは「俺の方が軽い、俺のほうがひどい」とかそう言うようなこともあるし、そう言うもの含めた上でのバランス。だけど彼らにすれば「僕のことを何とか立てなおしてあげたい」と言う気持ちもその嫉妬とかどろどろしたモノの中にもあるんですよね。だから何かこう、白と黒や悪と善とかじゃ言えないような中でのバランスというのかなぁ。そんなモノを感じますよね。だからそれで思うのは、「人間って素晴らしいよな」って事ですよね。ありきたりの言葉ですけども。

栗山)ある意味、全てをお聞きしてると、もう、モノが言えなくなっちゃうんですけど、ただ、僕はアスリートとして太田さんを見ているんですね。もちろんホントにそう言う事も、大変な事もあったんですけど、やっぱり一流のスポーツマンとして考えると、そう言う背景がありながらも、例えば事故を起こす前の太田さんの将来的なビジョン。例えば素晴らしい世界でも指折りになるんじゃないかと言われてるレーサーだった時の将来的なビジョンと、今のビジョンとでは変わって来るわけですよね。その頃太田さん、事故を起こす直前に考えていたビジョンとはどんな事を考えていたんですか、アスリート、レーサー、ドライバーとして

太田)何て言うんでしょうね、非常にプライドが強くて、ま、逆に言えばレースって恐怖との戦いって言うのが裏返しだからそう思うのかもしれないけど、おそらくほとんどのレーシングドライバーは「俺が1番だ」って言う風に口には言わないけど、心の中には思ってると思うんです。逆にそう思わないと、競争できないですよね「アイツより俺の方が劣ってる」と思ったら、危ない思いして抜く気にもならないで
すし、そういう意味で非常にプライドが強かったと思うんですね。それと共に…ビジョン。やっぱりそうだな「結果が全てだ」って。強くならねばいけないし、それがダメだったら「自分は退く時だ」ってみたいな気持ちは強かったですよね。でも、その考えを引きずってたら今、サーキットに戻れないわけです。それは何故かと言うと、気持ちでは「何とか戻りたい」ってのがあっても物理的に手足に負ってる機能障害があるわけですね。これは自分が長くやってきた経験から見れば、プロとして確実に劣る物がある。例えばこれが漫画かなんかだったら、それを気持ちで逆転してやれって言うような気になるんでしょうけど、そんな事が通用しないぐらいプロ同士のレベルって言うのは均衡しちゃってるわけですね。だからやらないと言う事ではないけど、明かに劣る部分があって、誰と劣るのかって言ったら、誰よりも昔の自分と明らかに劣っちゃう部分があるのがはっきりしている。そうすると一時期は「絶対レースには戻らないぞ」って思った時期があったんですね。それはやっぱり何かって言ったら「プライド」ですよね。自分に対するプライドが強くて、もう遅くなってしまった自分、太田哲也ってのを昔の自分と比較して許せないぞみたいな、そう言う気持ちが強くあったと言う事だと思いますね。ところがある時期、考え方が変わって、昔の通りの運転が出来なくても、あるいは「2歩も3歩も下がってでもいいじゃないか」って、「でもやらないよりいいじゃないか」って思えるようになったって言う事だと思いますね。それが非常に大きいです。だから逆に言えば、最初にこの番組の話を聞いた時に"何故戻ろうとするのか"と言うテーマを、僕は、ヒーロー的なものを求められてるのかなと思ったんですけど、それは自分に正直に聞いてみるとそれは違うって感じたんですよね。そんなヒーロー的に「何が何でもレースに戻るぞ」じゃ無くて、逆にそういう風に思うと自分のプライドが邪魔して戻れなくなっちゃうんですね。そうじゃなくて、自分の殻を割ってクラッシュさせて…重要なことは結果だけじゃなくて、いろいろやっていく事に、過程が大切だからと思った時には、もちろん僕は今いろんな事が出来るって思ってるんです。それは決して負け惜しみじゃなくて、ホントに僕はゼロになったったわけだから、ゼロから考えれば何やったって出来る事なわけです。家の外に出ただけだってゼロから見れば凄い進歩だと思えるわけだから、そう言う中で色んな事やっていこうと思ってるんです。