「青 春 日立バレー ラストアタック」を終えて…

今回使えなかったインタビューで、印象的な言葉があった。ヨーコ・ゼッターランドさん。彼女は中学高校時代、最隆盛期にあった日立にジャパン強化策構築のため呼ばれた経験がある。その当時の試みは凄かったらしい。スリーセッターをやってみたり、全員左で揃えてみたり、絶えず10年先を考えていたそうだ。

 「強かったときの日立ってね、体育館の扉を開けるときに、まるで宝石箱を開けるときのようなドキドキ感にあふれてたんです。それが消えてしまったっていうのが正直な印象です。原石はあるはずなのに…」

 今回のテーマ、実は「日立バレーの衰退に秘められた悲しさ」だった。日立がなくなる背景には、悲しすぎる現実があった。その一端を担ったのが、今の選手たちが作った、バレースタイルだった。今の日立には、「ひろってつなぐ」が信条であるNECのような、見てすぐわかるスタイルは持ち合わせていない。印象的な「顔」がなかったのである。

 中田久美さんが続く。

「今の日立からは何をしたいか感じられない。どう勝ちたいのか」

15歳で入部、スタメン入り。当時スタメンは神様と言われた隆盛期のころである。

「昔に比べて攻撃サインは圧倒的に減ってますね。それと選手の、1本1本に対するこだわりは少なくなってるようにも見えます。それは選手一人一人のモティベーションの違いだと思います」


 ラストゲームとなったNEC戦。あの戦い、良くも悪くも日立だった。サーブレシーブが乱れたことも、4セット、江藤さんにボールを集めたのも、日立だった。最終セット、ブロックで全部が終わったのも…。

 現在チームでは個別に移籍先の訪問なども行っている。望むべくして移籍を果たす選手、そうではない選手と、その進路は様々である。日立でバレー人生を終える選手だっているだろう。不幸中の幸いには、ならなかった。

 日立バレー廃部。それは景気以上に、選手たちが作ってきた悲しい歴史の道程を感じずにはいられない。だからこうした結末を、悲しく思う反面、それぞれのプレイヤーは、今まで以上に確固たる姿勢を持って、今後の人生に生かしていって欲しいと思う。それがオレンジへの、一番のはなむけだと、思う。

【「日立バレー ラストアタック」演出 長田  誠】