中村俊輔を追いつづけてもう5年目。

  思えば、彼と初めて会ったのは、高校選手権の準決勝の取材だった。国立競技場のロッカールーム前、風邪気味の体調でぼそぼそとインタビューに応じる桐光学園の背番号10がいた。人見知りの激しそうな天才肌の選手というのが、その時の印象だった。この年、マリノスに入団するが、入団発表の主役はジェフから移籍したストライカー、城彰二とスペイン代表の肩書きを引っさげて来日したフリオ・サリナス。しかし、超高校級のテクニックはおおいに注目されていた。

  このレフティーは、まさに"努力する天才"と呼ぶにふさわしい男である。それは言い換えれば"努力を惜しまない才能"、"妥協しない才能"を持つ選手。物事を決して2段飛ばしで考えない。ひとつひとつ階段を上るように、目標を高い所に置き、それに向かって己を磨いてく選手。これこそ中村俊輔という選手の原点で、今も変わらぬパーソナリティーである。
 「オリンピック出場を目指してがんばる」

  それは、フランスワールドカップの組み合わせの結果が日本に届いた日だった。井原(現浦和)や川口、城など、日本代表メンバーが取材攻勢を受ける中、グランドで俊輔が語った言葉である。練習後、グランドでの居残りは毎日1時間以上。ひたすら笑顔でボールを蹴り、「サッカーが本当に好き」と全身で表現していた。ワールドカップフィーバーにあっても、自分を見失わない中村俊輔に言い知れぬ凄みを感じずにはいられなかった。

 それでも、練習後、遅い昼食をとる時、サッカーの話をしたかと思えば、「乗るんだったらどんな車にしようか」とか「洋服はどこで買おうか」など、俊輔は本当に無邪気だった。そんな中村俊輔は予想を遥かに越えてどんどん成長した。そして、オリンピック出場、日本代表入り。レフティーの夢は次々と実現。しかも、それは、全て有言実行だった。

  2001年、3月24日に行われたフランス戦まで、2002年ワールドカップのレギュラー当確と、だれもが認める存在にまでなった。しかし、現在、トルシエ監督が守備重視のスタイルを強く打出し、俊輔はレギュラーが危ぶまれている。しかし、それは更なる成長を促す試練なのである。"努力を惜しまない"という才能を持つ男、中村俊輔の真骨頂はこれからである。俊輔にとって、それはフランス戦惨敗に続く、ショックかもしれない。だが、あとで振り返れば、「そう言えば、そんなこともあったな」と、甘酸っぱい記憶。はにかみながら、インタビューに応える俊輔が、近い将来、きっといる。僕は、そう確信している。「これからも追い続けよう」と思わせてくれる、男である。

【テレビ朝日「GET SPORTS」ディレクター 河原 康博】