競泳:中村礼子×萩原智子 取材後記後編
中村礼子 「覚醒」

2006年、4月
世界水泳の代表権もかかっていた日本選手権
200m背泳ぎの大本命はもちろん
中村礼子選手でした。

しかし、彼女より頭1つリードするスイマーがいました。
伊藤華英選手。
アテネ五輪を逃した悔しさから大飛躍を遂げた彼女は
中村礼子選手の日本記録を破ったのです。

その直後、地方で行われた大会で、
またもや中村選手の記録を超えた選手が出現。
五十嵐貴美選手が、2分09秒77をマーク。

中村選手は、当時、
素直な胸の内をこう明かしてくれました。

「ショックというか、衝撃というか・・・」

しかし、彼女はその衝撃を
強い決意へと変えるのです。

「2分8秒台を出したい。」

彼女の自己ベストタイムは、
2004年アテネ五輪でマークした2分09秒88

2年更新していない記録を約1秒も
縮めるという雲を掴むような目標
それでも、彼女にはその達成がはっきりと見えていました。

 
「金メダルは、とります!」

「前半100mを1分2秒でターンし、
150mを1分35秒でターンできれば、絶対に出る」

アテネ五輪銅メダルに導いてくれた恩師・平井コーチと
レース展開や作戦を話す時間が自然と増えていました。

ライバルたちの存在が彼女をやる気にさせたのです。

迎えたパンパシ水泳ビクトリア
200m背泳ぎ決勝。

レースでのラップタイムは、
作戦通りの素晴らしいものでした。

100m1分02秒81
150m1分35秒76と正確なラップタイム。
150mのターンで、私も2分8秒台を確信しました。

他の選手を引き離してゴールした彼女は、
2分08秒86の日本新記録を樹立!

今でも彼女のはにかんだような、
誇らしいような笑顔が忘れられません。

大きな壁を乗り越えた彼女が次に向かう先は
2007年3月メルボルンで行われる世界水泳。

年末2人にお会いした時に
彼女は、平井コーチに
「金メダルは、とります!」と宣言しました。

「『は』ってことは他に何かあるんだな?」
と突っ込みながら、
平井コーチはとても嬉しそうにしていました。

中村礼子選手、そして、平井伯昌コーチの
世界一へのチャレンジは、今、始まったばかりなのです。


[萩原 智子(はぎわら・ともこ)]
シドニーオリンピック 200m背泳ぎ4位入賞。
「ハギトモ」の愛称で親しまれ、100メートル自由形、200メートル個人メドレー、200メートル背泳ぎ(現在は中村礼子選手が保持)の日本記録を持つ万能スイマーとして活躍した。現在は、水泳解説や水泳指導のため全国を駆け回る日々を続けている。
その活動の様子はブログ 「萩原智子のいつも笑顔で」でチェック!

【編集:GET SPORTS ディレクター 山西雄大】



 
【バックナンバーはこちら】