2006年10月15日の神宮球場
「古田采配」の真髄

2006年10月15日の神宮球場。
ヤクルトの黄金時代を支えた2人の選手が現役に別れを告げました。
土橋勝征選手と山部太投手。

試合は土橋選手がヒットを放ち、
山部投手が三振に討ち取る最高の形で締めくくりました。
試合後、セレモニーで涙を見せる土橋選手と、
笑顔の山部投手に送られる声援で
秋空の神宮全体が暖かい空気に包まれました。
そんな試合の中、
去り行くチームメイトへの古田監督の演出がありました。

最後の試合に挑む土橋選手は、
数々の故障で満身創痍の状態でした。
試合前「打ちたいけど、痛いから最後まで試合に出れない」と
話していました。
それでも古田監督は「ヒットを打つまで替えない」と
土橋選手を打席に立たせ続きます。

そして3打席目、
土橋選手は見事センター前にヒットを放ちました。
ベース上でホッとしたような笑顔を見せる土橋選手。
イニングチェンジで、このまま交代とベンチ裏に下がろうとした時、
古田監督は守備に付くように命じました。
「守備位置に付いたら、お客さんに手を振れ!そしたら交代だ」
イニング交代でそのまま下がると
ファンは土橋選手の最後の瞬間が見れないからと演出したのです。
セカンドの守備についてから、
交代を送られベンチに戻る土橋選手に対しファンから盛大な拍手が送られました。

「監督に感謝です」
試合後、テレ屋な土橋選手は はにかみながら話しました。

 

そして8回、山部投手がブルペンに入ると、
古田監督自らミットを持ってブルペンにむかいます。
今まで見たことのない、ブルペン捕手、古田の姿でした。
そして9回、山部・古田バッテリーがマウンドへ向います。
95年、16勝を挙げ日本シリーズでも活躍した黄金バッテリー復活に、
再び神宮は大いに盛り上がりました。

山部投手にとって古田監督は絶対の存在です。
入団時、速球派の山部投手は
「力いっぱい投げることだけ考えていた。古さんから、お前は俺がキャッチャーでなくても勝てるといわれた」といいます。
しかし、その後怪我に苦しむ山部投手。
そんな山部投手に対し、99年のキャンプで
「おまえの100%の力のボールと60%の力のボールとスピード測って見ろよ。変わらないから!」
と話す古田捕手の姿がありました。
やみくもな全力投球よりも、緩急を駆使したピッチングを薦めたのです。

その後、山部投手は腕の振りをスリークォーターに替え、変化球を覚えモデルチェンジに取り組みました。
そしてセットアッパーとして、
谷間の貴重な先発としてチームを支えてきました。
「最近になってピッチングが楽しく思えるようになった」という山部投手、
最後のボール、136キロのストレートが古田監督のミットに吸いこまれました。
試合後、「古田さんが受けてくれるとは思わなかった」と感慨深げな表情を見せてくれました。

「2人とも目立たないところで がんばってくれたから」という古田監督。
今シーズンはプレーイングマネージャとして、「代打オレ」や送りバントをしない攻撃野球に注目が集まりました。
でも、長年共に戦ってきたチームメイトへの思いやりの采配にこそ 古田監督の一面を見た想いがしました。

【元ヤクルト担当(99年〜02年)瀬口大介】


 
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