全日本大学駅伝の歴史

【第53回大会終わりの情報です】

全日本大学対校駅伝は、1970年3月、産声を上げた。 当時すでに、1920年スタートの箱根駅伝が伝統のある大学駅伝として知られる存在であった。しかしそれはあくまで関東学連の主催であり、関東の大学生しか出場できない。全国の学生長距離ランナーは、地方出身者であろうとも関東の大学を目指してしまうわけだ。全国の大学が参加できる、真の日本一決定戦を開催できないものか、そんな思いを持つ人は少なくなかった。
そんななか、当時の東海学連会長・梅村清明氏は、熱田神宮~伊勢神宮を走る駅伝の復活を考えていた。昭和12年から同23年まで、第2次大戦による3年間の中断を除く8回、東海学生駅伝として行われたそのレースは「参宮駅伝」として人気を博していた。日本の中心に位置する東海エリアで、大学駅伝日本一決定戦として、参宮駅伝を再生させようというのだ。
そして時を同じくして、朝日新聞名古屋本社に東海地区でのイベントを企画する動きがあった。愛知県下での印刷再開が戦後20周年を迎えていたのだ。東海学連OBであり同新聞の波藤雅明記者は、全国大学駅伝の企画提案をした。梅村氏と波藤氏は愛知一中陸上部の先輩後輩の間柄であり、話は一気に加速した。
そしてスタートしたのが、全日本大学対校駅伝だった。
しかし、障害も少なくなかった。箱根駅伝より格上となる駅伝に関東学連としては抵抗感があったし、当時は高度経済成長の真っ只中。車の通行を規制して、スポーツを執り行うのは否定的な意見も多かったのだ。その2つとも、粘り強い交渉によって、解決していった。当時最強だった日体大が参加を決めたことも大きかった。

1970年~1979年 第1回は、6地区学連の20校が参加、8区間118kmで競技された。国道をなるべく避けたコース設定で、近鉄電車を横切るため、4区間ずつ前後半に分割されていた。
記念すべき初代王者は、予想通り日体大だった。後半雪が降るという、天候的にもレース展開的にも激しいレースとなったが、結果的には2位を5分近く離しての勝利だった。
そして、2位には福岡大が食い込んだ。箱根駅伝への特別参加を何度も願い出、そのつど却下されてきた経緯があり、日大、大東大など関東の大学を抑えたこの結果は、全日本大学対校駅伝の開催意義を高めたといえるだろう。
その後、第2回以降は、1月の開催に変更された。第2回~第3回と制したのは、初代王者。日体大の3連覇を見ることとなった。そしてその牙城を崩したのは大久保初男などを擁した大東大で、第4回から第7回まで4連覇とあっさりライバル越えを果たす。しかし第8回~第9回は再び日体大が連覇し、第11回でも王座に復帰する。このとき日体大には中村孝生と新宅雅也という名ランナー2枚を揃えていたのだった。
第10回大会では、近鉄電車との平面交差を解消し、前後半の分断のない7区間109.4kmでの開催となった。そして、記念すべきこの大会は、史上初の快挙がなされる。福岡大が初優勝を果たしたのだ。高校までの有望選手は関東の大学に進みがちなので、この優勝は地方大学には格別の意味があったのだ。こつこつと選手を育て上げてきた金森勝也監督の指導には、賞賛の声が上がった。福岡大はこの後、翌年の2位を経て、第12回、第13回と通算3回の優勝を果たしている。これは現在も関東勢以外の最多優勝である。

1980年~1988年 第11回~第20回も、日体大を軸に優勝争いは展開された。この間、日体大が6勝、福岡大が2勝、大東大が1勝。そしてもう1勝は、京都産業大学だった。同校が優勝したのは第17回。それまで14回連続出場ながら最高は7位。一気に駆け上がった快挙だった。現在に至るまで、福岡大を除く関東以外の学校が全日本を制したのは、このときだけである。また、第12回~14回、後のマラソン世界王者谷口浩美が日体大のエースとして出場。第14回大会ではアンカーとして、優勝に貢献した。
第20回記念大会は、現在の日程である11月第1日曜が開催日となった大会だった。出場校も20から23に増えた。オツオリ(山梨学大)ら留学生の活躍も、この大会から始まることになる。優勝は最多の11回目となる日体大。現在もこの最多勝記録は生きているが、日体大の優勝は、このとき以来遠ざかっている。

1989年~1997年 第21回~第29回は、全日本大学対校駅伝がメジャーな存在になっていった時期といえる。その立役者的存在が早大だ。第24回、初出場初優勝を果たしたのを皮切りに4連覇。スーパースター渡辺康幸を中心に花田、櫛部、武井、小林正、小林雅など、名ランナーを次々輩出。マヤカ、中村祐二などを擁した山梨学大と名勝負を繰り広げた。そして、早大の4連覇後、続いて2連覇を果たしたのが神奈川大だ。早大のようなスター選手はいなかったが、全員が力を合わせた総合力で頂点に立った。
またオープン参加としてアイビーリーグ選抜が参加したのは、第22回からだった。

1998年~2005年 第30回から前回の第37回までは、駒大を中心とした展開となる。
第30回、後にマラソン日本最高記録を塗り替える藤田敦史がライバル三代(順天大)、古田(山梨学大)らをしのぐ区間賞をとるなど見どころたっぷりの展開で、駒大初優勝。藤田が抜けた翌年以降も、王者としての地位を固め、第31回、33回、34回、36回と日本一に輝いていく。
そんな中、第32回には名門順天大が、全日本初優勝を果たしている。後半に逆転するという、順天大らしい勝ち方だった。第35回は東海大が制した。大学三大駅伝初めての制覇、創部46年目の歓喜だった。前回、第37回を制したのは日大だ。エース・サイモンが2区で区間新を出し、他選手も安定した力を発揮。第23回の初優勝以来、2度目の栄冠に輝いた。
40回大会を目前にし、脈々と築かれる「真の大学日本一決定戦」の歴史。「強い関東」のプライド、そして、それに負けじと挑む全国の大学の激しい切磋琢磨が、日本長距離界の新たな未来を作り続けていく。

2006年 第38回は、東海大が地区予選落ちという波乱の展開の末、本大会を迎える。優勝候補には日大、日体大、順大などが挙げられたが、飛びぬけた存在はなく混戦が予想された。
そしてふたを開けると、ニューカマーの活躍が目立った。1区は城西大1年・高橋優太が、2区は日大1年・G.ダニエルが、区間賞の走りによりトップで襷をつなぐ。さらに、1区こそ12位ながらじりじり順位を上げ4区でトップに立ったのが、1年生を3人出場させ4年生はゼロで臨んだ駒大だ。 連覇への執念を見せる日大と、「目標は3位以内」という無欲の駒大が、混戦を抜け出し一騎打ちの様相に。
勝負を決したのは、6区だった。11月とは思えない暑さの中、後退する日大に対して、6区7区と区間賞の駒大がスパート。安定感抜群の襷リレーを見せ、そのままトップでゴールテープを切った。
最終区でドラマを見せたのが、山梨学大2年のM・J・モグスだ。第27回大会で早大・渡辺康幸(現早大監督)が作った56分59秒という伝説の記録を大きく上回る56分31秒。11位スタートから6人抜きでシード権獲得。優勝の駒大と同様、大きなインパクトを残した。

2007年 第39回は、伊達秀晃(4年)、佐藤悠基(3年)の2枚看板を擁する東海大が優勝候補筆頭、5000m13分台のスピードランナーを多く揃える駒大が対抗馬と目されていた。また、この年は何十年に一度と言われる学生ランナー活況の年であり、これまで伊勢路の主役を飾ってきた「四天王」と言われる4年生のエースランナーが顔を揃えるハイレベルな戦いが予想された。
いきなり驚かせたのが、日大G・ダニエル(2年)の1区起用。区間タイ記録の快走で、日大が先手を取る。2区は、駒大・宇賀地強(2年)、順大・松岡佑起(4年)、東海大・佐藤悠基(3年)、早大・竹澤健介(3年)のトップ選手による激戦となり、最後は竹澤が世界陸上代表の意地を見せ区間新記録を樹立。さらに4区では、中大・上野裕一郎(4年)が気迫のこもった走りで7人ごぼう抜きをみせた。
優勝候補筆頭の東海大が調子に乗れない中、安定した力で1区3位、2区2位、3区1位と順位を上げていったのが駒大だった。誰一人ブレーキになることなく、3人が区間賞を獲得、3区以降トップを譲らぬ圧勝で2連覇で7度目の優勝を飾った。
最後に驚かせたのが最終8区、山梨学大のM・J・モグス(3年)。13位で襷を受けると、ゴール手前の参道で6位日大をかわし、計7人抜きの爆走。大逆転でシード権を獲得した。前年の大記録をさらに約1分更新する、55分32秒の区間新記録で走り抜けたのだった。

2008年 第40回大会は常勝王者・駒澤大学と名門復活をかけた早稲田大学の一騎打ちに。1区では東洋大・大西智也(4年)がトップで、スーパールーキー柏原竜二(1年)につなげると、その柏原は各校のエースがそろう花の2区を力走で制しトップを守った。
北京五輪代表ランナーであり早大の絶対的エース竹澤健介(4年)は左ひざの疲労骨折を押して出場、エースの意地で2位までチームを押し上げる。
そして4区は山梨学大の最強留学生M・モグス(4年)、日大の大砲G.ダニエル(3年)が、2人そろってエントリーされ注目は最強留学生ごぼう抜き対決に。両者はチームをシード圏内に引き上げる爆走で、モグスが39分32秒、ダニエルが39分37秒とそれぞれ区間新を叩き出して決着がついた。4区でトップにたった早稲田大だっだが、駒大も1区2位・2区3位・3区3位・4区3位・5区2位と安定した走りをみせている。そして6区、駒大・高林祐介(3年)が第6中継点で早大・朝日嗣也(4年)とほぼ併走して襷をつなぐと7区松阪でも両校のデッドヒートはつづく。むかえた勝負の最終区。底力をみせつけたのは駒大だった。深津卓也(3年)が4kmすぎに早大を引き離すとそのまま勝利の表参道をひた走りゴール、駒大が自身初の3連覇達成した。
駒大にとってはまさに黄金期到来、層の厚さを見せ付ける見事な優勝で40回記念大会は幕を閉じた。

2009年 第41回大会はまさに本命なき戦い超戦国駅伝に。1区では東洋大のスーパーエース柏原竜二(2年)がレースを引っ張るも、第一工大・ジュグナ(2年)がトップ通過。エース区間2区では、1区で出遅れた優勝候補・駒大の宇賀地強(4年)が8人抜きの激走をみせ逆転、3区でもそのまま駒大が首位をキープし、王者が独走態勢にはいるかと思われた。しかし、4区でレースはまたも大きく展開した。駒大・星(4年)が大ブレーキ。順位が目まぐるしく変わるまさに戦国駅伝に。中継点では1位早大、2位東洋大、3位明治大、4位は日大で48秒差で通過。駒大はなんとこの区間で13位まで一気に転落した。
5区では古豪・明治大がトップで襷リレーをすると、7区でも安定した走りを見せ勝負の最終区8区へ。2位は箱根覇者の東洋大、3位にはダニエル(4年)を擁する日大と続き、さらに後方では、駒大・山梨学大・中大の激しいシード権争いも繰り広げられる。ダニエルは比較的落ち着いたペースで入りながらも、区間中間点前で明治大・細川を捕らえるとそのまま逆転!抜く間際にはガッツポーズを見せ、4年ぶりの優勝に自信の表情をみせる。そしてそのまま伊勢神宮へひた走り、ゴール!!2位に箱根王者・東洋大、3位は選考会から勝ち上がった明治大となった。続いて4位早大、5位山梨学大。さらに最終区で猛追した中大が駒大を逆転し6位、滑り込みでシード権を獲得した。4連覇を目指した駒大は、なんと7位に沈み初のシード落ちに。史上稀にみる大混戦となった伊勢路は、日本大学が学生駅伝2冠を達成し幕を閉じた。

2010年 第42回大会は早稲田大学が、主役の大会となった。1区では東洋大・設楽啓(1年)がトップ通過、優勝候補の早大はトップと46秒差9位と出遅れる。2区「山の神」東洋大・柏原(3年)がペースを上げられない中、早大・大迫(1年)が差を縮め25秒差2位につける。さらにこのエース区間では明大・鎧坂(3年)が7人抜きの走りで37分38秒の区間新記録を達成した。3区では東洋大・早大・駒大が激走をみせ、駒大・油布(1年)が17年ぶりに区間記録を更新。4区早大・東洋大がデッドヒートに、ほとんど並ぶ形で第5区のランナーへ襷リレー。むかえた5区、東洋大・早大のルーキー対決は残り1kmのところで早大・志方(1年)がスパートをかけ、区間新記録のタイムでついにトップに。優勝への鍵を握る6区、早大が徐々に東洋大との差をひろげる。7区、早大が突き放しにかかり、4km手前で2位と約30秒の差をつけ完全に独走態勢にはいった。伊勢路の最終章8区、早大アンカー・平賀(2年)が、淡々とトップをひた走る。そのまま安定の走りで伊勢神宮・大鳥居をくぐりゴール!早大15年ぶり5回目の伊勢路制覇、5時間13分2秒と大会記録を1分以上も更新した。2位は駒大が堅持、東洋大は悔しい3位となった。一方のシード権争いは熾烈な展開に。日大・ベンジャミン(2年)が7人抜きの快走で4位に、さらに東海大は村澤(2年)の激走で9位から逆転で5位、最後のシード権6位に飛び込んだのは明大。シード落ちの7位となったのは日体大、その差わずか3秒の大接戦だった。
出雲・全日本と制し、新たな黄金期到来を予感させる早大の優勝で、伊勢路の幕は閉じた。

2011年 熱田神宮西門前、気温17.6度、湿度98%。伊勢神宮まで106.8kmのドラマが始まった。
1区は、第一工業大学・キラグ ジュグナ(4年)が先頭に立ち、ばらけた展開になる。しかし次第に第2集団も差を詰めていき、福岡大・中西拓郎(3年)がスパート。日大・田村優宝(2年)、東海大・早川翼(3年)なども食らいつき、ついにジュグナを捕らえる。日大、東海大、駒大、明大、福岡大、第一工大、東洋大の順で襷リレー。前年の覇者、早大はトップ日大に1分4秒遅れる。
エース区間2区では、明大・鎧塚哲哉(4年)が前に出て、6校による先頭集団を引っ張る。後続では、早大・大迫傑(2年)が驚異的なペースで後れを挽回。7km過ぎには、駒大・村山謙太(1年)が先頭集団から抜け出した。そんな中、青学大・出岐雄大(3年)が驚異の追い上げで3位まで10人抜き。第2中継所、駒大が1位で襷リレー。23秒差で日大、26秒差で青学大、28秒差で明大。
4区。駒大・上野渉(3年)が1km2分44秒のハイペースで、後ろが見えない独走状態を始める。2位は東洋大。しかし、1位との差は1分41秒程度になる。3位は早大が2分差。
最終8区、駒大がリードを保ったまま、窪田忍(2年)に襷をつなぐ。東洋大は、1分40秒差で、山の神・柏原竜二(4年)へと襷を託した。3位早大は4分23秒差まで、間隔をあけられた。東洋大・柏原は3km8分34秒、次第に駒大との差を縮めていく。15km地点で柏原は窪田との差を、1分以上詰めわずか32秒差に。しかし、駒大・窪田も気迫の走り。最後の直線、柏原は確実に窪田の姿を捕らえるが、惜しくも及ばず。駒大が3年ぶり9度目の優勝。柏原はゴールに倒れこみ悔し涙を見せた。3位には早大、4位には日大、5位には中大が入った。注目のシード権争いは、東海大・村澤明伸(3年)に激しく追い上げられるものの、上武大・園田隼(4年)が健闘の走りで6位をキープ。史上2校目の初出場初シードを獲得した。

2012年 快晴の空の下、26人のランナーが熱田神宮西門前をスタート。大集団で3kmを通過。タイムは9分10秒。スローペースでの幕開けだ。7Km、第一工大のジョン・カリウキ(1年)が一人飛び出す。トップは再び集団になるも11km、東洋大・田口雅也(2年)が集団を抜け出すと追いすがるのは山梨学大・井上大仁(2年)。東洋大は“双子のエース”兄の設楽啓太(3年)に、山梨学大は遅れること6秒でエノック・オムワンバ(1年)に襷をつなぐ。
昨年の覇者駒大は6位、早大は大きく出遅れ12位。それでも、先頭から最後尾までの差はわずか3分半という混戦で第2区へ。オムワンバ(1年)は区間新ペースで設楽啓太を捉えるが設楽啓太も負けじと食らいつく。一方、12位で襷を受けた早大・大迫傑(3年)も区間新ペースで順位を上げ8人抜き、4位に浮上。山梨学大・オムワンバが37分16秒という区間新で1位の襷リレー。東洋大は16秒差、続いて駒大。早大は大迫が37分25秒の区間新で4位通過を果たす。スピード勝負の3区では東洋大が山梨学大を捉えトップにさらに駒大・油布郁人(3年)は区間新で走り抜け東洋大との差を17秒に縮め2位に躍り出た。その後、追いすがる駒大を抑え続けた東洋大が1分7秒の差をつけトップで最終8区へ。
駒大は昨年、東洋大・柏原竜二から逃げ切ったエース窪田忍(3年)が今回は追う展開。立場が反対になって2連覇を狙う。最終8区にガンドゥ・ベンジャミン(4年)を擁する日大はシード圏内の6位から3分2秒差の9位で襷リレー。「3分の差なら逆転する」と言い切っていたベンジャミンはシード権を獲得できるのか?東洋大の1年生アンカー服部勇馬は全体での大会記録ペースを維持しながら必死に逃げるも駒大・窪田が徐々に差を詰め、8区11.6kmの度会橋定点ポイントではその差約10秒。優勝の行方は残り8kmの勝負に。13km、ついに窪田が服部を捉え先頭に。ちょうどそのころ、ベンジャミンは驚異の追い上げを見せ一気に中大を捉え6位に浮上、瞬く間にシード圏内に突入する。残り5km窪田がスパート。これで勝負はついた。駒大・窪田はガッツポーズ、そして笑顔でゴールイン。最終8区の大逆転で2連覇達成、大会記録も塗り替えた。東洋大・服部は疲れ果てた表情でゴール、悲願の初優勝はならなかった。3位には早大、4位日体大、5位には明治大が入った。そして6位には9位から驚異的な追い上げを見せた日大・ベンジャミン。後輩たちにシード権をプレゼントし、最後の全日本大学駅伝を締めくくった。

2013年 8時5分、熱田神宮西門前から伊勢神宮内宮宇治橋前まで106.8キロの闘いが幕を開けた。
第一工大のジョン・カリウキ(2年)を先頭に1kmを2分42秒、非常に速い入りで早くも縦長の展開。
優勝候補、箱根王者の日体大・勝亦祐太(2年)が遅れだす。気温14.9度、湿度82%とやや湿度が高い中、区間新記録のペース。東洋大・設楽悠太(4年)と駒大・中村匠吾(3年)の一騎打ちとなるが12km過ぎ、中村がスパート、トップで襷をつなぐ。2位の東洋大とは32秒差。一方、昨年のブレーキを払拭したい早大・柳利幸(2年)だったがトップと2分41秒差の15位と出遅れてしまう。大エース・大迫傑(4年)に早大の浮沈が委ねられた。2位で襷を受けた東洋大・服部勇馬(2年)は、昨年最終8区で大逆転されたリベンジを果たすべく、駒大との差を一気につめ、ラストスパート。駒大を逆転し34秒の差をつけた。早大はエース大迫、意地の走りで15位から9位に浮上。大迫に喰らいついた法大の西池和人(3年)も16位から10位へとチームを押し上げた。
最短の3区、3年連続区間賞の駒大・油布郁人(4年)が4年連続となる区間賞の走り。トップ東洋大との差を10秒に縮め4区村山謙太(3年)へ。村山は2008年に山梨学大のメクボ・J・モグス(当時4年)が作った大記録を上回る区間新を叩きだし東洋大を逆転。さらに1分33秒もの差をつけた。村山から襷を受けた駒大・中谷圭佑(1年)は7km過ぎ、大八木監督からの檄を受けペースアップ。東洋大との差を1分56秒に広げる。
その後、駒大が堅実な走りを見せトップで最終8区に。アンカーは3年連続の大役を託された窪田忍(4年)。
東洋大は2分21秒と差を広げられキャプテン設楽啓太(4年)につなぐ展開。3位はトップから4分47秒差の日体大。4位と5位は早大と明治大がほぼ同時にリレー。シード圏内の6位は青学大。その24秒後、山梨学大がエノック・オムワンバ(2年)に襷を託した。8位でつないだ大東大までが、シード権を争う展開か。
5km、オムワンバが6位青学大・高橋宗司(3年)をあっさり追い抜き、シード圏内に突入。抜かれた青学大もペースを上げ、13.8km、日体大を捉え逆転。シード権は入れ替わった。トップ駒大・窪田が15kmを過ぎたあたりから脚に違和感を覚え、太ももを叩きながらの走りとなる。それでも大観衆の待ち受けるゴールでは、笑顔を取り戻し3連覇。通算11度目の優勝で日体大の最多優勝回数に並んだ。東洋大は無念の3年連続2位。3位には明大。またしても1区で出遅れた早大だったが名門の意地を見せ4位。5位にはオムワンバの好走で山梨学大、狙い通りのシード権獲得を果たした。青学大が6位に入り初のシード権を獲得。大東大は猛追を見せたがシード権の6位にはわずか11秒届かなかった。箱根王者の日体大は最終中継点で3位の襷を受けながら、8位に大後退。シード権を失った。

2015年 有力選手が多く、激戦が予想される1区だが1㎞3分5秒のスローペースでスタートとなった。引っ張るのは第一工大・カリウキ(4年)と青学大・一色恭志(3年)。
残り3㎞のアップダウンを過ぎ、早大・中村信一郎(4年)が仕掛け集団は一気にばらけ始めた。
ラストスパートで東洋大・服部勇馬(4年)が抜け出し、トップで弟・弾馬(3年)にタスキリレー。2位青学大、3位早大。三つ巴の状態で2区が始まった。
2区6㎞過ぎに、東洋大・服部弾馬が給水のタイミングでスパート。早大・平和真(3年)、青学大・小椋裕介(4年)は引き離された。東洋大がトップでタスキをつなぐ。2位は26秒離され、駒大。
3区では青学大・田村和希(2年)が1㎞2分46秒の好スタート。2㎞過ぎに駒大をかわし2位に。
一方、トップ東洋大・口町亮(3年)は区間新ペースの快走。後方では、東海大・湊谷春紀(1年)が驚きの走りを見せ、こちらも区間新ペースだ。
第3中継点には東洋大が2位青学大を36秒離して到達。3位には1分20秒差で駒大と早大が並ぶ。5位東海大、6位順天大、そして7位に明大。シード権争いも30秒程度の熾烈な争い。
4区では、東洋大・櫻岡駿(3年)に青学大・久保田和真(4年)がぐんぐん近づき、一時は久保田が先頭に立つも、残り2㎞で東洋大・櫻岡スパート。一気に久保田を突き放し8秒差で襷をつないだ。
その後も悲願の初優勝を目指す東洋大と学生3大駅伝3冠を勝ち獲りたい青学大の意地のつばぜり合いが続く。そして最終8区へ。東洋大は全日本初優勝に向け、アンカー・上村和生(4年)にすべてを託した。必死の表情の青学大・橋本崚(4年)は、27秒差で襷をつないだ。1分57秒差の3位に早大。約3分差で駒大が続く。5位6位には、東海大と明大がわずかな差。そしてその20秒差で順大がシード権を狙う。8位には中央学大。アンカーに留学生ニャイロ(1年)が控える山梨学大は6位との差は約3分。キトニー(4年)がいる日大は3分23秒。大逆転を狙う。
決着の8区。必死に追う山の神、青学大・神野大地(4年)だが、少しずつ差は開いてしまう。東洋大・上村は快調な走りで、ゴールに向かう。シード権争いは、東海大と明大が5位6位で並走通過。1分10秒差で順大が追う。そして山梨学大ニャイロが渡会橋を渡ってすぐに、順大を抜き去った。
ゴールの宇治橋前、東洋大・上村が両手を挙げて駆け込んだ。同校にとって、全日本大学駅伝初優勝。喜びの胴上げとなった。2位には青学大。優勝候補筆頭に挙げられていただけに、悔しい結末。3位は駒大。激しいラストスパートで早大を振り切ることに成功した。
5位東海大、6位明大のすぐ後ろには山梨学大が迫ってきた。しかしわずかに及ばず。留学生ニャイロは激しく追い上げたが、シード権獲得の大逆転には至らなかった。

2016年 午前8時5分、日本一を争う27校の選手が熱田神宮をスタート。
各校エースの集う激戦の1区。1kmを2分57秒と比較的各校様子を見るスタート。
10km過ぎ、先頭集団から、早大、駒大、東洋大が抜け出していく。気温は20度に近づき、選手たちには過酷な展開となってきた。
残り1km、東洋大・服部が仕掛けた。後続との差が開く。連覇を目指す東洋大のエースが貫録を見せトップでリレー。2位は早大、3位駒大、4位日大、5位京産大、6位山梨学大でタスキは2区へ。
5kmを区間新記録ペースの青学大・田村がほぼ中間点でトップを捕らえ、青学大がトップに踊り出た。
しかし9km、早大・平が田村を抜き単独トップに。ラストスパート、田村がいっきにトップとの差を詰める。平も粘るが田村がかわしてトップでタスキリレー。2位は早大。そして、駒大、日大、山梨学大と続く。連覇を目指す東洋大は1位から6位まで順位を落とした。
3区はじめの1km、早大・鈴木が青学大・吉永を捕らえ、トップは並走となった。
トップでタスキをつないだのは早大。14秒差で青学大が続く。そして3位山梨学大。
どの大学にも優勝の可能性が残さ、各校が激しいレースを展開。
4区8km付近、1位早大と2位青学大の差は約30秒となり独走といえる状態。
4区までにトップに立ちたかった青学大だが、キャプテン安藤の表情が厳しい。
後方では拓大が好走、6位以内のシード権内につけてきた。その反面、苦しいのが駒大。
全日本大学駅伝最多優勝校がシード権争いを続ける。
中央学大が山梨学大を抜き、3位まで順位を上げ、2位の青学大の背中も見えてきた。
早大は永山が後続を引き離し、5区スーパールーキー新迫にタスキを渡した。
青学大は1分7秒差でようやく襷リレーする。3位はジャンプアップの中央学大、4位山梨学大、5位駒大、6位拓大。
昨年優勝の東洋大は、なんと4位からシード権圏外の7位まで落ちた。
5区トップでタスキを渡したのは早大。続いたのは青学大だが、その差は1分2秒と依然として縮まらず。
3位は中央学大。実力校、駒大が4位、東洋大が5位と順位を上げた。拓大が6位。山梨学大が7位と下がり、シード権争いが熾烈になってきた。
6区、8位の東海大・國行がぐんぐん順位を上げる。山梨学大も抜き、一気にシード権圏内に入ってきた。
トップは依然早大だが、青学大が37秒差まで詰めてくる。残り2km、駒大が3位に浮上。
青学大はアンカー8区に大エース一色がいるだけに微妙な展開となってきた。
7区、青学大・中村が早大を必死に追走する。早大・太田の後方に、中村の姿が大きくなってくる。
後方では7位東洋大が東海大を逆転。6位と7位が入れ替わり差は大きくなる。アンカーに大砲の留学生ニャイロが控える山梨学大は、5位で順位を保ちさらなる順位アップを狙う。早大は後方に49秒差をつけ、最終8区にタスキをつなぐ。
「一分以内なら」という青学大一色は、早大にどこまで迫れるか?
最終8区、早大・安井は2分47秒で1kmを通過。青学大・一色は、2分42秒。その後方の山梨学大・ニャイロは2分38秒という勢いで突っ込んでいった。7km地点、とうとう青学大・一色が早大・安井に追いつき一気に抜き去った。青学大・一色は、あっという間に早大との差を広げる。
一方、後方では東洋大・山本が好走。6位で何とかシード権を確保すべく奮闘。最終区は一色とニャイロの区間賞争いとなりそうだ。一色はペースを崩さず、青学大が全日本大学駅伝初優勝!
2位は早大。前評判を覆す大健闘。3位山梨学大、4位駒大、5位中央学大、6位東洋大。
7位の東海大は惜しくもシード権を逃す結果なった。

2017年 第49回大会は、波乱の展開となった。優勝候補は、出雲の覇者・東海大、全日本2連覇を狙う・青山学院大の2校。午前8時5分、熱田神宮西門前を27人の選手たちがスタートした。初出場は、東海地区代表・皇學館大学。第6代館長の武田千代三郎は、なんと「駅伝」という言葉の名付け親。さらには、大学が伊勢神宮のおひざ元に位置するという全日本大学駅伝に縁の深い大学である。近くて遠かった伊勢路。創部10年目にして踏み出した第一歩に、沿道から大きな声援が送られた。

1区、区間賞は東洋大・相澤晃(2年)。前回王者の青山学院大は中村祐紀(4年)がトップと1分22秒差の10位、東海大は鬼塚翔太(2年)がトップと35秒差の8位。優勝候補の2校が出遅る。エースが集う2区では、青山学院の田村和希(4年)が区間賞。驚異の追い上げを見せ6位で襷リレー。続く3区では、東海大の館澤亨次(2年)が力強い走りを見せる。トップと50秒差の5位でスタートした館澤は、日本選手権1500mを制した力を遺憾なく発揮し、29秒差の2位で4区中継所に。すると前半の最終区となる4区では、トップを走る東洋大が、またもその差を広げる。鉄紺の再興へ、山本修二(3年)が単独走ながら2位と1分2秒と大きなリードをつくる。前半を終え、1位東洋大、2位東海大(+1分2秒)、3位青山学院大(+1分9秒)、4位神奈川大(+1分14秒)と続いた[※タイムはトップとの差]。

迎えた後半戦。5区、ここで東洋大の独走にストップをかけたのは、4位の神奈川大・越川堅太(2年)。その差はみるみるうちに縮まり、なんと11秒差の2位で襷リレー。3位の東海大も僅差で続き、優勝の行方は一気に3校に絞られた。優勝への鍵を握る6区、神奈川大・安田共貴(2年)と東海大・國行麗生(4年)が、ついにトップの東洋大を捉えると、東洋大・浅井崚雅(1年)は付いていくことができず、神奈川大と東海大の一騎打ちに。デッドヒートが続く中、先に襷を繋いだのは東海大。1秒差で、神奈川大が続いた。レースも残り2区間、神奈川大の最終8区には、各校も恐れる神奈川大史上・最強のエース、鈴木健吾(4年)が待つ。リードが欲しい東海大は、三上嵩斗(3年)が懸命な走りで、17秒の差つくる。この7区、後方で熱い走りを見せたのは、明治大・阿部弘輝(2年)。直前の箱根駅伝予選会で出場権を逃した明治大にとっては、このシーズン唯一の学生三大駅伝。すると、明治大・阿部(2年)は34分08秒、区間記録を18秒上回る新記録で古豪復活の狼煙を上げた。東海大のアンカーは川端千都(4年)。両角監督(東海大)も大きな期待を寄せる選手。しかし、鈴木健吾(4年)の走りは別次元だった。17秒差で襷をもらうと、2kmで東海大に追いつき、5kmで引き離す。終わってみれば渡辺康幸さん(早稲田大OB)に次ぐ、日本人歴代2位のタイムでゴールテープを切った。神奈川大の優勝は、20年ぶり3度目。東海大は1分18秒遅れ2位。連覇を狙った青山学院大は3位に終わった。6位までに与えられるシード権は、上位3校に加え、4位駒澤大、5位東洋大、6位中央学院大が手にした。初出場の皇學館大は17位でフィニッシュ。繰り上げスタートもなく、初陣としては見事な駅伝を見せた。

2018年 第50回という節目を迎えた全日本大学駅伝。1~7区の区間距離がリニューアルされ、シード権も従来の6位から8位まで2枠拡大された。平成最後の大学日本一の栄冠を掴んだのは青山学院大学。「鬼門」として伊勢路で2年ぶり2度目の優勝に輝いた。スピードスターを数多く擁する東海大学は惜しくも2位。東洋大学は2区終了時点で14位まで出遅れたが、後半猛追を見せ3位。大学史上最高順位となる5位には、國學院大學。城西大学は8位に食い込み、初のシード権を獲得した。

全8区間106.8kmの戦いで、ドラマが待っていたのは7区17.6km。中継所をトップで襷を受け取ったのは東海大学。11秒差で2位の青山学院大学が追いかける展開となった。東海大学は湊谷春紀、青山学院大学は森田歩希。互いに4年生で最後の伊勢路。森田は襷を受け取ると11秒の差を一気に詰め、並走。静かに勝負どころを探り、残り10kmを切ったところで切れ味鋭いスパートをかける。これに対し湊谷は付いていくこともできず。結果、青山学院大学は1分58秒ものアドバンテージをつくり、最終8区に繋いだ。大会最優秀選手には、優勝を自らの走りで大きく手繰り寄せた7区の森田が選出された。

2019年 区間距離変更となって2年目となった第51回大会。「スピード軍団」と称された東海大学が5時間13分15秒で16年ぶり2度目の優勝。令和初の栄冠に輝いた。大会連覇に挑んだ昨年の王者青山学院大学は1分44秒差の2位。4位には初出場の東京国際大学。出雲駅伝で初優勝を果たし、優勝候補の一角と目された國學院大學は前半の出遅れが響き7位に終わった。

レースは先頭が目まぐるしく入れ変わり、文字通り“駅伝戦国時代”らしい展開だった。2区(11.1km)で初出場・東京国際大学のエース伊藤達彦が区間記録を約50秒更新する力走で先頭へ。3区(11.9km)では、学生ナンバー1ランナーと謳われた東洋大学の相澤晃が圧巻の走り。6.5kmまでに10人をごぼう抜きし首位に立つと、10km通過は手元の計測で27分30秒台。その後もスピードを緩めることなく、区間記録を1分以上更新する走りを披露した。

レース終盤、優勝争いは東海大学と青山学院大学の一騎打ち。7区(17.6km)青山学院大学のエース𠮷田圭太が、中継所で1分3秒離れていた東海大学との差を逆転。7区での首位交代、前回大会の記憶も過る展開となったが、熾烈を極めた戦いは最終8区(19.7km)までもつれ込んでゆく。東海大学のアンカー名取燎太が4.3km付近で仕掛けると、青山学院大学の飯田貴之を突き放し、そのまま優勝のテープを切った。勝負を決する会心の走りを見せた名取が大会最優秀選手に選出された。

2020年 第52回大会は、史上稀にみる大混戦の末、駒澤大学が5時間11分8秒の大会新記録で6年ぶり13回目の優勝を果たした。レースは序盤、3年生以下の選手のみで挑んだ早稲田大学が主導。3区で中谷雄飛(3年)が区間賞の走りで先頭に立つと、5区までトップで襷を繋いだ。一時、17位まで出遅れた東海大学だったが、4区・石原翔太郎(1年)、6区・長田駿介(3年)の区間新記録の走りもあって、6区で先頭を奪取。長距離区間となる7区では、青山学院大学キャプテン神林勇太(4年)が力走をみせトップに立つ。最終8区では、三強のエース、青山学院大学・𠮷田圭太(4年)、東海大学・名取燎太(4年)、駒澤大学・田澤廉(2年)の一騎打ちに。残り1.3kmで田澤がスパートをかけ、エース対決を制し、優勝のゴールテープを切った。大八木弘明監督は「令和の常勝軍団をつくりたい」と語った。地方大学の活躍もあった第52回大会。2区では皇学館大学の川瀬翔矢(4年)が17人抜き。初出場となったびわこ学院大学も襷を繋ぎ切り、19位と健闘した。

2021年 第53回大会は、駒澤大学が2連覇を達成、14回目の日本一に輝いた。
区間距離の変更(第50回大会)から大混戦のレースが続いているが、前回大会にも勝る“超大混戦”の展開だった。1区を制したのは、駒澤大の佐藤条二(1年)。区間新記録の走りでトップで襷を繋ぐ。2区では、東京五輪3000m障害で日本勢初の7位入賞を果たした三浦龍司(順天堂大2年)が、10人抜きの快走で先頭に立つ。3区を沸かせたのは、出雲駅伝を制した東京国際大学のイェゴン・ヴィンセント(3年)。相澤晃(東洋大OB/東京五輪10000m代表)の区間記録を塗り替える走りで5人抜き、後続に1分以上の差をつくり独走態勢に。一方、駒澤大学は3区を終えた時点でトップと2分20秒差の11位まで転落。その後、先頭は目まぐるしく入れ替わる展開に。5区は早稲田が首位に、6区は東京国際大の丹所健(3年)が力走、再び先頭を奪い返す。勝負は残り2区間、長距離区間へ。7区で衝撃の走りを見せたのは、駒澤大のエース田澤廉(3年)。トップと1分36秒差で襷を受け取り、青山学院大・近藤幸太郎(3年)と並走する形で前を追う。6km付近で田澤が単独に、13.4kmでトップの東京国際大を捉え、首位で最終8区に襷を繋いだ。レースはここで終わらず、最終区間でもドラマが。青山学院大のキャプテン飯田貴之(4年)が8km地点で追いつき、駒澤大と青山学院大の一騎打ちに。並走は17km過ぎまで続き、仕掛けたのは駒澤大の花尾恭輔(2年)。花尾はそのままリードを保ち、史上最少8秒差で2連覇のゴールテープを切った。後続では、中央大学が8位に入り、10年ぶりにシードを獲得。東洋大は10位に沈み、14年ぶりにシード権を逃した。