2012年5月31日

妃翠のこと

我輩は泣き虫が苦手だ、正確には共感出来ない泣き虫が苦手というところか。
確かに泣いて何かを訴えるというのはひとつの効果的な手段なのかも知れないが、
それは最終的な意味合いがあって通用するのであって多用していては“またか”ということになってしまう。
 
 我が家での一番の泣き虫っ子はきっと満場一致で妃翠である。
 みんなでお花見に行っての弁当の時間、もうボチボチ食べ終わるだろうというタイミングで妃翠が食べかけおにぎりを持ったまま急にボロボロと泣き始めた。
「ひーちゃん、どうしたの」
美奈が声を掛けると
「ミカンに届かなかった・・・」
と言って、泣き崩れた。
妃翠の好物中の好物ミカンをみんながどんどん取っていって、ついにはひとつもなくなったのを見て泣いてしまった。
大きな弁当箱を大人数で囲んでいたので、その真ん中にあったミカンに妃翠のまだ短いその手は届かなかったのだ。
「そんなことで泣くなよ」
「届かんかったら“ちょうだい”言えばいいやんか」
泣いている本人には申し訳ないが、その可愛さにまずはみんなで大笑いしてからの叱咤がとんだ。

 泣き虫が苦手な我輩としては
「泣いたってしょうがないじゃないか、無くなる前に言えよ」
などと、一番キツイもの言いになってしまう。
だがだが実は我輩の幼少の頃こそ人一倍の泣き虫っ子だったのだ。
二歳違いの妹にでさえ
「あんたはよう泣いとった」
というお墨付きを頂いているぐらいだから、妃翠の気持ちはよく解かる。
食べたかったミカンがなくなったことは勿論だが、一番悲しかったのは手が届かないのに誰も気付いてくれなかったことだと思う。
我輩にもそんな思いをした記憶が数々ある。
 まわりは簡単にいろんなことを言うけど、「ちょうだい」なんてひと言が言えない子はそこを指摘されると益々言えなくなってしまったりするものだ。
だから我が家ではまずみんなで大笑いしながら
「それも可愛いけど、ちゃんと言えなきゃダメだよ」
というようにしている。
 悲しいぶんだけ泣く、悔しいぶんだけ泣く、痛いあいだ泣くは仕様がない。
ただ、
「ほらこんなに泣いているんだよ、ほっとかないで」
というアピールはせいぜい言葉を覚える前までにして欲しい。
 
 でも、泣いている子供を見ていてイライラするということは我輩も案外アピール泣きのほうだったのかもしれない。
いずれにしろ成長の段階で何時の頃からか、大声をあげてしゃくりあげながらなんて泣けなくなってしまう。
まだ情緒が不安定な小さな子供はああやって感情を開放することによって、安定を得ているのかもしれない。
 とりあえず妃翠には我輩も泣き虫っ子だったことを告白しておこう。