小学校一年の時の担任の先生とはたった一年のお付き合いであり、我輩が二年になると同時に他校に赴任されていった。
たった一年とはいえお世話になったにも関わらず、実際のところあまり記憶にはない。
ただ、今でも強烈に印象に残っている事がある。
離任式の朝、登校するとその先生が花壇の雑草を抜いていた。
少し離れたところから
「おはようございます」
と、挨拶をすると
「おはよう、清志君ちょっとここに来てみて」
呼ばれて近くに寄ると
「あなたはとっても頭のいい子だからね、頑張って勉強しようね」
今日の式限りでこの学校を離れる先生が正装のままで、草を抜く手を休めることもなく言ったこのひと言は信じられないことにこのあと数年の効力があった。
確かに小学校の高学年まで、自分は〝出来る子〟だと信じていたように思う。
なのに同級生に劣るなんてことは小さなプライドが許さず、結果そこそこの努力をするようになった。
それでも負けてしまったときにも
「今回あいつは相当に頑張ったのだろう、俺は手を抜いていたからな」
という言い訳が自分の中ではしっかりと成り立っていた。
信頼出来る存在のひと言は自分の中で脈々と生き続けるということを、身をもって経験した出来事だ。
子育てをしていく上でも同様に、自分の何気ないひと言が子供に大きな影響力があるのだろうと思う。
我が家では子供ひとりひとりの特徴を掴んではよくキャラ設定をする。
女の子なのに声が低めの來夢には、何か言うたびにその声を真似て
「おっさんかい」
と言って、普段からも〝おっさん〟と呼んでみたりする。
中学生になっても幼稚な振る舞いの目立つ星音には
「幼稚園児か」
と突っ込みを入れる。
もしかしたら欠点であったり周囲からからかわれる可能性もある個性であっても、むしろ積極的にいじる。
それが短所的な要素がある場合には、なるべく自分の感情を上乗せせずにしかし事実はしっかりと指摘する。
自分には周囲からどのように見られる個性があるのかということを知っておくことは大事なことだ。
そこから発してそれを修正しようとするのか、ただ認識するだけなのかは解からないが、少しでも早くから自分の内面に触れてくれれば有難い。