このページについてのご感想  
トップ > アナウンス部ch.
 
 

新しいステージへ!

  Reported by 森葉子
 

7月初旬
梅雨の煩わしさを吹き飛ばすようにアジサイが見事に咲き誇るこの頃・・・
人事異動の発表がありました。

そして、2人のアナウンサーがアナウンス部を離れ、
新たなフィールドで活躍されることになりました。




1996年入社・古澤琢アナウンサー


1997年入社・勝田和宏アナウンサー

発表後、二人の送別会が昼・夜2回に分けて行われました。
まずは、十数年の思い出が詰まった、アナウンス部での会・・・



古澤アナの周りには人だかり


先輩方と話す勝田アナ


古澤アナの同期、川島さんと萩野アナの二人から送別の言葉がおくられました。


勝田アナの同期、平石アナと川北さんも駆けつけ、同期三人が勢ぞろい・・・


アナウンス部全員から、花束が贈られました。


二人ともメガネ姿で「はいチーズ!」


最後は全員で「はいチーズ!!」

先輩、後輩、同期・・・
アナウンス部以外の方も多く駆けつけ、沢山の人がアナウンス部に集まりました。
年次や性別を問わず多くの人に愛されていた、二人の人柄を感じる会となりました。

 

そして同日の夜。
昼間参加出来なかった人を中心に、こちらも大勢の人が集まりました。
古澤アナ、勝田アナと皆が話せるようにということで、
「ローテーション形式」で会は進行され・・・



何故か男性アナに取り囲まれる古澤アナ


勝田アナの周りには、女性アナが・・・


いつも周りを笑顔にさせてくれる古澤アナ


石井希和さんも参加してくれました!

最後まで笑顔の耐えない送別会となりました・・・
アナウンサーとして一緒に仕事をしてきた方々を他部署に送り出す時、
新天地での活躍を応援する気持ちやさみしい気持ちなど、
本当に様々な気持ちが入り混じった複雑な気持ちになるものです・・・
しかし、今回最後まで楽しい雰囲気で二人を送り出すことができたのは、
部を離れる古澤アナと勝田アナ、二人の強くやさしい人柄のおかげです。

アナウンス部を愛し、アナウンス部員全員から愛された二人から、
最後に、視聴者の皆様にもコメントをもらいました。
二人の活躍を思い出しながら、是非最後までご覧ください・・・

まずは古澤琢アナウンサーです。

 



みなさま大変お世話になりました。古澤 琢です。

1996年に入社して16年間アナウンサーという職業で仕事をさせてもらいました。
正直言って出来のいい方ではありませんでしたが、
報道・情報・スポーツ・バラエティーとバランスよく仕事をやらせてもらえました。
入ってすぐの頃に担当した「ワイド!スクランブル」では、
テレビで大切なことをたくさん教えてもらいました。
関わった方々は今でも大事な先輩たちです。



いまだに同窓会をやるほど仲が良いです

早朝番組「やじうま」も、長く担当しました。
かわるがわる年の離れた若い女性アナウンサーが加わって、立派に成長し卒業していきました。
毎日オンエアが終わると朝ごはんを食べながらの反省会。
学校の先生のような気分を味わったのはこの頃です。
実は学生時代は教師の夢を持っており、ある意味願いがかなった気がします。
とはいえ「生徒が女子アナ」というのは贅沢な時間でした(笑)



週5日、午前2時起き生活は大変でもあり、楽しくもありました。


元旦には初日の出を生中継!!
実は深夜に婚姻届を提出し、そのまま番組に出演。
放送後にスタッフに結婚報告したのは一番のサプライズでした。

4年以上の朝番組ではスタッフが一番の宝です。
各自がプロフェッショナルとして仕事をし、遊ぶときは思い切り遊ぶ。
今も付き合える同世代の最高の仲間たちです。



放送の最終回 泣きそうだったのに、
AD君が号泣しながら花束を持って登場し、泣けませんでした。

スポーツも長く担当させてもらいました。
チームでパートごとに担当を分け、全員で放送を作り上げる喜びを教えてくれました。
スポーツ実況はアナウンサーの聖域です。
プロのプライドを感じることができる実況の場が大好きでした。



進藤アナ・吉野アナ・メ〜テレの金沢歩アナと
駅伝中継は、まさに系列みんなで作り上げる感が強かったです!

報道にも大変お世話になりました。固いイメージのテレビ朝日報道ですが、
飲みに行きたくなるような魅力的な方々であふれていました。
これを機に飲みに行きましょうね。



最後の定時ニュース
焦ると早口になる癖は最後まで直らず・・・

そして一番長く携わったのがプロレスの実況です。
子供のころから古館伊知郎さんの実況を聞いて育ちました。
「喋る」ことで人を魅了したいという僕の「原点」はここにあります。



新日本プロレスのエース 棚橋弘至選手と。
プロレス冬の時代をともに戦ってきた戦友だと思っています。


アナウンサーとして最後のプロレス実況。
ここまでプロレス人気が再燃してきたことを誇りに思います!!

振り返ると「人との縁」に恵まれた16年間でした。
関わった方々には本当にたくさんのことを教えていただき、叱ってもらいました。
すでに次の部署で仕事をしていますが、自分の財産は「人」であることを
あらためて噛みしめています。

これからもテレビ朝日のために仕事をしていきます。すべての原点は「人」
それを心に刻みながら古澤琢のサラリーマン人生第2章がスタートしています。
みなさん、お元気で!!

 

続いては、勝田和宏アナウンサーです。

 


この度、15年間のアナウンサー生活を卒業します!!
皆様、大変お世話になりました。

アナウンサー生活での思い出などを書いてくださいと依頼されましたが、
15年間を振り返って原稿を書くのは難しいもんですね。
だって15年間ですよ!!
色々な番組を経験させていただいたので、何からどう書いていいのか・・・・。



野球実況をやりたいと入社して、イチロー選手と松坂投手の初対決を
実況させていただけたこと。
情報番組なら『トゥナイト2』を担当したいと言って、
願い通り担当させていただけたこと。
いつかは『タモリ倶楽部』を担当したいと願っていたら、

12年間も担当させていただいたこと。

とにかく沢山ありすぎて・・・・。
こりゃ思い出を書くのは無理っすわ。
だって原稿を依頼されてから数日じゃ、僕の頭ではさすがに考えをまとめられないっす。
僕には、アナウンサー15年を数日でまとめることはできません。
みなさん、すみません。

そんな中で言えること。
アナウンサー生活最後の仕事が『タモリ倶楽部』で終われたこと
これは本当にサイコーでした。

自分の心底大好きな番組だったし
今の自分があるのはタモリさんはじめ番組スタッフ皆さんのおかげだからです。
心から感謝しています。


タモリ電車クラブ!

ちょんまげをしたこともありました!

これも、色々な思い出がありすぎて、細かく正直書けません・・・・
ごめんなさい。

いま言えること。
アナウンサーを15年もさせていただけて幸せでした。
しかし、アナウンサーでなくなることについては、全く未練がありません。
社会人としてのキャリアアップのためには、自分にとって必要なことと思いますしね。

改めて、皆様ありがとうございました。

今後は報道記者として邁進します!!
次は記者としてお目にかかりましょう!!

では、さよーならー。

 

長い間アナウンサーとして各番組で活躍してきた二人へ、
最後にアナウンス部員一同から心をこめて・・・

「本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。」

 

このコーナーのバックナンバーはこちらから
 
<このコーナーは清水俊輔と、 3年目の菅原知弘寺川俊平森葉子と、
2年目の斎藤康貴青山愛が担当しています。
 
    
このページについてのご感想  
トップ > アナウンス部ch.