皆さん、今回の「アナウンサー根掘り葉掘り」はご覧いただけましたか?
そうなんです。岡田洋子アナウンサーが、このたびアナウンス部を卒業し、
編成部へ異動することになったのです。
先日、アナウンサーとしての最後の仕事へ向かった岡田さんのもとへ、
多くのアナウンス部員がかけつけました! |

最後のニューススタジオ

スタジオの外で松苗部長から花束が |

「お疲れ様でしたーっ!」の瞬間

佐々木アナウンサーからも |
残念ながら私たち新人3人は行けなかったのですが、
佐々木さんが私たちからの花束を渡してくれました! |

たくさんのお花に囲まれての挨拶

かけつけたアナウンス部員と記念撮影です |
そして、後日!
今度はアナウンス部で歓送会が行われました。
勤務時間がばらばらであるアナウンサーたち。
いつも多くて10人ほどしか人がいないアナウンス部に、
こんなに人が集まることって、そうそうないのです。 |

皆で拍手! |
でも今日は、岡田さんを送り出すためにこんなに大勢集まりました! |

部長の音頭で

かんぱーい!! |
お昼どきということで、ピザ、寿司、そして人気のコロッケなどなど、たくさんの料理を囲んで談笑。
用意した量で足りたでしょうか…? |

女性陣で話が盛り上がります

竹内が熱弁をふるっている!?

育児休職中の野村真季さんもお子さんを連れてかけつけてくれました! |
岡田さんと一緒に私たちの研修幹事だった川島さんも… |

たくさんの思い出を語ってくれました |
私たちをどうすれば成長させられるか…
いつも考えに考え、田原さん・岡田さん・川島さんの3人は頭を悩ませてくれていたのです。
そして、岡田さんとの思い出が誰よりもあるでしょう、この方。 |

同期の山口さんから花束が渡されました

同期愛です! |
最後には皆そろって、記念撮影です! |
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歓送会として予定していた時間を過ぎても、皆さんなかなか解散せず、
しばらく岡田さんとの談笑が続いていました。
岡田さんから、アナウンサーズをご覧の皆さんへの言葉をお送りします。

岡田洋子アナ |
このたび、アナウンス部を卒業し、編成部勤務となりました!
入社して今年で17年目、途中、出産によりお休みさせて頂きましたので、約15年のアナウンサー生活となりました。
異動前に、たまたま同期会が開かれました。
その席で、「お前すごいよな~。15年も好きなことずっと仕事にしているんだもんなぁ。」と飲みながらしみじみと同期に言われました。
そうですよね、会社員たるもの常に自分の希望の部署で仕事ができるとは限らない。
そんな中、幸せなことに入社してずーっとアナウンス部で仕事が出来たわけですから…。
思い起こせば、採用試験で提出したエントリーシートには、
「希望は、報道。現場に行って、さまざまな場所からリポートしたい。」
という内容でした。
お陰様で、入社して最初に天気予報を担当し、週末になれば、全国津々浦々からお天気中継です。
もちろん、副賞として!?各地の美味も堪能させて頂きました!
その後、夕方のニュースのリポーター、「ステーションEYE」、そして「ニュースステーション」「スーパーJチャンネル」と自分でも想像もしなかった素晴らしい番組と現場で仕事をさせて頂きました。
まだ学生だった私が、(今で言う)エントリーシートに書いた“担当したい番組”は、「ザ・スクープ」でした。
私の学生時代は、冷戦終結へ向かって、世界が激動に包まれていました。
忘れもしない、東西冷戦の象徴・ベルリンの壁の崩壊、ソ連では、恐怖政治の象徴であるKGB前の銅像が引き倒される映像。
そして大学3年の時には、期末試験を受けている最中に始まった湾岸戦争…。
それらを私は、「ザ・スクープ」という番組を通して見ていました。
もちろん面接で聞かれた好きなキャスターは、当時の「ザ・スクープ」のキャスター田丸美寿々さんでした。
学生時代に憧れた番組で、報道現場に行って仕事ができたことは、本当に幸せな経験です。
そんな私のアナウンサー人生の中で、今でも忘れられない瞬間が2つあります。
自民党と社会党が手を組んだ自社さ政権の発足。
それに伴い、社会党委員長が総理大臣となった村山内閣。
その当時、私は“現場へ行って勉強してこい”ということで、総理担当記者として総理官邸に詰めていることがありました。
ある日、閣僚昼食会が終わり、扉を開けて出て来た官房長官の口から出たのは、「ハイジャック、函館。」と一言。
あまりにも突然のことに、その場にいた記者全員が、その言葉を理解するのに一瞬、間がありました。
が、すぐに「どこですか!」「…全日空。」
一目散に記者は本社に連絡に走ります。私も一報を伝えに走りました。
この時が初めて、テレビ朝日の中で誰よりも最初にニュースに接した瞬間でした。
その後は、速報が流れ、特番をやるから大至急会社に戻るように言われ、報道緊急特番へとなだれ込みました。
そして、もう1つが、あの“タイタニック号”引き揚げで活躍した潜水艇に乗り、東シナ海の海底約350メートルに沈む、世界最強の軍艦と呼ばれた“戦艦大和”を目の当たりにした時です。
当時最新鋭といわれた技術を駆使した艦船が、壊れてはいるものの、その重量感を感じさせながら黙したまま巨大な姿で海底に横たわっています。その姿を目にした瞬間、涙があふれ、手を合わさずにはいられませんでした。
なぜなら、誰も訪れることのないこの静かな海底に、2700名以上の方が、沈没した当時のまま眠っているのです。
教科書、新聞、ニュース、本、でしか“戦争”というものを知らない私が、54年の時を経て“戦争”というものを全身全霊で感じた瞬間でした。
先日、ジャーナリストの筑紫哲也さんが亡くなりました。
私が入社した当時、「アナウンサーであっても、まずジャーナリストであれ」と教えられました。
こうして振り返ってみると、私のアナウンサー人生の根幹となっているものでした。
アナウンサーという仕事をしていなければ、取材できないこと、機会、そして出会えない人々に巡り合い、また、仕事を通して貴重な経験をさせて頂きました。
これまで、取材にご協力いただいた方、一緒に番組を担当したスタッフの方、そして、応援してくださった皆様、この場を借りて、感謝申し上げます。
本当にいままで、ありがとうございました!!
そして、家族のような愛情で、時に見守り、時に助けてくれたアナウンス部のみなさま、本当にありがとうございます!
また、いつかお目にかかる日まで! 感謝です!!
岡田 洋子 |
私たち新人が今アナウンサーとしての仕事を始められているのは、
研修幹事である岡田さんがいたからです。
そんな3人から、この場を借りて、メッセージを送らせていただきます。
まずは八木からのメッセージです。

八木麻紗子アナ |
「八木~!!(怒)」
時々そんな岡田さんの声がアナウンス部にいても遠くのほうから聞こえてくるような気がします。
岡田さんには研修担当として会社に内定をもらったときからずっとお世話になっていました。
最初は怖くて怖くて、わたくし八木ガチガチに震えておりました。
「滑舌が悪い」「何度も同じことを注意させるな!」
・・・こ、こわい(>△<)!?
しかし何度も注意されるうちに徐々にわかってきました。
岡田さんの厳しさは優しさでできているんだって。
成長してほしいから、いいアナウンサーになってほしいから、注意するときはとことんする。
家庭もあるのにどれだけ忙しかったか想像もつきませんが、どんなときも全力で私たち3人をサポートしてくれました。
そんな岡田さんの母親のような愛情を受けて、ひよっこだった私も少しは(?)成長できたのではないかと思います。
普段の岡田さんはおしゃべり好きで、気さくで、とっても素敵な、大好きな先輩!
同じ女性として、女性アナウンサーならではの悩みにも親身になって答えてくれます。
アナウンス部はもう卒業したんだという実感がまだあまりありませんが、寂しいです。
でも、「八木~!!」の声が飛んでくる場所がアナウンス部の中から廊下に変わるだけ。
部署もすぐとなりなのでこれからも頼りにさせてもらおうと思っております♪
岡田さん、約15年間、本当にお疲れ様でした。 |
続いて、竹内からのメッセージです。

竹内由恵アナ |
私は岡田さんが大好きです!!
岡田さんは私たちの研修担当としてあらゆることを教えてくださいました。
今思えばあのときから岡田さんは自分がアナウンス部を去ることを知っていて、これまでアナウンサーとして経験されてきたことを全て私たちに引き継ごうと考えて研修をしてくださっていたんだなと思います。
岡田さんは本当に辛抱強く私たちの研修に付き合ってくださいました。
当時はなんでここまでしてくださるんだろうと不思議に思ったほどです。
出来の悪い私が原稿読みで何度も噛んだり、訛ったりしているのを、
「はい、ダメ~!じゃあ、もう一度最初からね」と繰り返し特訓してくださいました。
私としてはじっくりみてもらえてこれほどラッキーなことはないのですが、きいているほうは大変なはずです。
それでも私ができるようになるまでずっと付き合ってくださいました。
研修が始まったばかりの頃、正直私は岡田さんの指導を恐れていました(==;)
日本語のアクセントの間違い一つ一つを細かくチェックされ、社会人としてのマナーがなっていないと怒られることもしばしばありました。
私のことが嫌いなのかなと落ち込んだこともありました。
でも岡田さんの指導を受けていくにつれその厳しさの中に、私たちを育てようという温かい気持ちがあるのがわかるようになりました。
岡田さんは時々本当に優しい眼差しをむけてくれます。
私はその表情が大好きです。
岡田さんが異動されることはとても寂しいですが、私にとって岡田さんは永遠の恩師です。
またいつか飲みにいきたいです。
そのときはガールズトークができたら嬉しいです。 |
私たち新人3人にとっては、
新人研修幹事として入社前からずーっとお世話になってきた大好きな先輩。
お子さんがいてお忙しいにもかかわらず、
私たちの研修のために朝から晩まで面倒を見てくれていました。
ときに厳しく、ときに優しく。
敢えて厳しく接してくれたのも、
“女性3人だけだから、男性がいる代より甘い”と言われないようにと考えてくれてのことでした。
そして、アナウンサーの技術だけではなく、仕事をしていくための心得、
女性アナウンサーだからこそ気をつけるべきことなど、たくさんのことを教えてくれました。
「“近頃の女性アナウンサーはお腹から声も出せない”って言われるのは悔しいでしょ?」
と、基礎の大切さ、日々の努力の大切さを教えていただきました。
研修を終えてからも、岡田さんの言葉を思い出します。
また、岡田さんから私たちへのメッセージもいただきました!

岡田洋子アナ |
新人の3人へ
研修幹事として、アナウンサーの基礎についてはかなり厳しく研修したかもしれません。
でも、人としては温かく接したつもりでしたが、どうだったのでしょうか??
それもこれも、次代を担うアナウンサーとしてしっかり、大きく羽ばたいて欲しいからです。どうぞ、アナウンサーという職業の本質を忘れずに飛躍してください!
期待しているので、よろしく! |
私たちは、テレビ朝日の開局50周年という節目の時期に入社しました。
岡田さんの言葉にあるように、今はまだ力不足の新人ですが、
これからのテレビ朝日を盛り上げ、より一層皆さんに親しまれるテレビ局になれるよう、
尽力したいです。
岡田さんの期待を裏切らないよう、精一杯努力します!
岡田さんと同じ部署で働けなくなるのは寂しいのですが、
アナウンス部も編成部も、「編成制作局」の中の部署。
部屋もすぐそばですし、一緒に仕事をする機会も多いんです。
部署は違っても、大好きな先輩であることには変わりありません!
これからも、よろしくお願いしますね! |

いつまでも大好きです! |
ますますの活躍をアナウンス部一同、心から願っております! |