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  Reported by 加藤泰平 

明けましておめでとうございます(少し遅いですが)。
今年もこのコーナー『BIG』をよろしくお願いいたします!

さて、皆さんは“年越し”何をしていましたか?
友人たちとパーティー、家族で仲良く、神社で…etc
いろいろな方がいると思います。
では、アナウンス部の人たちは一体何をしながら年を越したんでしょう??

まずは、飯村さんに聞いてみました!


飯村真一アナウンサー

年末は仕事が12月30日で終わりだったので、大晦日はゆっくりしていました。
その過ごし方は「酒」と「テレビ」。
日本酒を呑みながらテレビを見て新年を待つ、という
かなりの家庭で見られる様式を私も採用いたしました。
もちろん年越し蕎麦も外せません。
そして、いよいよ新年が近づいてきました。
一番最初にすることは挨拶です。


再現写真。
家族全員、正座をして新年を待ちます

新年を迎える一分ほど前から、合わせて6人が丸くなって正座をし、お互いの顔を見ます。
今年一年を悔いなく過ごせたか、新年を迎えるのにふさわしい清々しい顔をしているか、
そんなことを考える間も無く、慌しく新年はやってきました。


再現写真。
時報とともに新年の挨拶。今年も宜しくお願いします!

さあ、年が改まって挨拶が済んだら、初詣です。
我が家から50メートルほどのところに小さい神社があるので、そこへ男だけで出かけました。
大人はお神酒をいただき、幼稚園の息子はミカンをひとつ頂きました。


実際の写真。
父と息子。願い事はひとそれぞれ。


実際の写真。
お酒を呑んでいますが肩車。寒くて酔いも醒めました。

このあと私はひとりで更にテレビを見続けました。あ、当然ですが日本酒も一緒です。
というわけで、私は、日本全国どこでも見られるような年越しをしたのでした。
普通ですみません。


家族一緒に年越し。
日本全国で見られるスタイルかもしれませんが、それが一番いいのかもしれませんねー。

さぁ、そして我々の中には、大晦日もお正月も仕事という人も珍しくありません!
そういう人はどんな年越しをするんでしょうか?
コメントを頂いたのは、渡辺宜嗣さん!


渡辺宜嗣アナウンサー

私の1年は、「朝まで生テレビ」で始まり、「朝まで生テレビ」で終わる。
「除夜の鐘」がなる頃、田原総一郎さんとの打ち合わせが始まり、
年をまたいだ瞬間スタッフ全員で「あけましておめでとうございます。」
この生活を20年続けている。
番組が始まったのが1987年で、
この年から「私の年越し」の瞬間はテレビ朝日の会議室の中だ。
「一年の計は元旦にあり」とはいうが、
終わりと始まりの同居は、気持ちの区切りができてなかなか良いものである。
田原さんは、「死ぬまでこの番組を続ける」と公言しているので
私の年越しパターンは、まだまだ変わらなさそうだ。


なんと!!
20年間も年越しを会社で!!
こういう年越しをしている人もいるんですねー。

さて、私はというと、1月1日から仕事だったため、
あまり夜更かしするわけにもいかず、家で一人でテレビを見ていました。
家族はみな田舎に帰ってしまっていて、本当に一人きりでした。
こんな年越しは初めてでした。
新年になった瞬間、少し泣きそうでした。

色々なアナウンサーの“年越し”をご紹介したわけですが、いかがだったでしょうか?
僕は、今年は一人で年を越すのは嫌だなと、早くも思っております。
このコーナーのバックナンバーはこちらから
 
<このコーナーは新人アナウンサーの加藤泰平島本真衣が担当しています。>
 
    
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