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よもやの事態。
時は2006年2月4日の土曜日。
私は、早朝番組の「やじうまプラス」を終え、次の日に北海道・月寒グリーンドームで行われる新日本プロレスの大会を中継するため、急ぎ足で羽田空港に向かっていました。
4日の夜に行われる新日本プロレスの興行を取材し、明日の中継に備えようとしていたわけです。
空港に向かう途中、品川駅のホームで時間に余裕があったので、予約をいれておいた、13時発の羽田→札幌便のチェックインをしようとしましたが「このチケットは現在、一時的にチェックインができません。」と表示されました。
私は「あ、まだ時間があるから直前でないと駄目なんだー。」と、この後の悪夢の予兆とは知らずに気楽に考えていました。

時間に余裕を持って、羽田空港に到着すると、チェックインカウンターの前に、長打の列ができていました。
私は「どうしたんだろう、何かあったのかな?」と疑問を抱きながら、何気なく、上の電光掲示板を見ると、そこには信じられない表示がありました。


欠航の表示を見る3人

な、な、なんと、その日は全国的に荒れ模様で、北海道行きの飛行機は朝から全便欠航となっていたのです。
当然、我々の乗る予定の飛行機も欠航。
そして、長蛇の列こそ、札幌行きのチケットを持った人々が並んでいたのです。

私がその事態に気付いた瞬間、間の悪さにかけては一流の「中村昭治アナ」から、携帯に連絡がありました。
中村アナ「よ、よ、吉野さん!!自分、今、浜松町なんですが、札幌行きの飛行機が欠航となっているんですが!!」
吉野「そうだね。俺は空港のカウンターですでに並んでいるから、着いたら電話して。」
中村アナ「ハイ!!今から空港に向かいます!!」
私は冷静に受け答えをし、中村アナの「天性の間の悪さ」に感心していました。


欠航の文字

その後、長蛇の列に並びながら、同じ飛行機に乗る予定の古澤アナや他のスタッフに連絡
し、対応を協議しました。
航空会社の説明によると、千歳空港が大雪で滑走路の除雪が間に合わず、飛行機が着陸
できないということでした。
また、現在のところ、千歳空港の滑走路が再開される見通しはたっていないということで
した。
ここで、列に並びながら、緊急会議が開催されました。
我々に与えられた選択肢は3つでした。

@ いつ飛ぶかわからないが、飛行機を待つ。
A 明日の飛行機で札幌に入る。
B 陸路で札幌に入る。


まさかの事態に動揺する3人

協議の結果、私達は@を選択しました。
決断理由は「いくら大雪だといっても、朝から除雪をしているわけだし、札幌便の最終
は夜10時半まで30分おきに出ているので、いつかは乗れるだろう」という理由でした。

しかし、札幌の大雪は我々の認識を覆す、まさに「想定外」の大雪でした。
12時ごろから並び始め、3時間ほどたって、ようやくカウンターの受付まで到着すると、
「17時出発の振り替えの便をご用意しましたが、現在のところ、飛行機が飛ぶ可能性は
ほとんどない。また、明日も大雪になるとの予報があり、明日も飛行機が飛ばない可能性
がある。」との説明を受けました。

そこで我々は決断を求められました。

@ このままできるだけ粘って飛行機を待ち、明日の飛行機に賭ける。
A 確実に札幌に到着する手段として、陸路を選択する。


我々は明日、札幌入りする予定の番組プロデューサーとも協議し、Aを選択することになりました。
つまり、羽田空港から陸路で札幌に入るルートを選択したのです。

その時の時刻は午後4時でした。

我々は脱兎のごとく、空港内にあったJRの窓口に行き、陸路のチケットを手配しました。
その行程は次のとおりです。
午後5時55分に東京駅を出発し、新幹線で八戸までいく。
八戸から午後9時15分発の在来線の特急に乗り換え、青森までいく。
そして、青森から午後10時45分発の在来線の自由席で札幌までいく。
札幌到着予定は朝の6時10分。
こうして、12時間の長旅は始まりました。


八戸の表示

東京駅から八戸までは新幹線の指定席なので、快適そのものでしたが、八戸から青森までの在来線の特急はかなり厳しいものでした。
とにかく車内が暑いのです。
外は氷点下、車内は蒸し風呂状態で我々は完全にグロッキーになってしまいました。
そして、空の便が乱れるほどの悪天候は列車にも影響を与えていました。
我々の乗った列車も時折、除雪のために停車するなど、大きくダイヤは乱れていました。
途中、車掌さんに話を聞いたところ、札幌行きの列車は、我々の列車の到着を待ってから出発するとのことでしたので、乗り継ぎに不安はありませんでしたが、暑さと、早朝からの長い勤務で、私は完全に果ててしまいました。


徐々に疲れが

しかし、この「謎の車内蒸し風呂現象」も、悪夢の序章にしかすぎませんでした。

列車が青森に到着すると、ここで、古澤アナと中村アナは別行動をとることになりました。
次の日の早朝に青森を出発すれば、中継が始まる時間には余裕を持って札幌に到着することが判明したので、できるだけ良いコンディションで実況に臨むために、アナウンサー2名は青森に1泊したほうが良いとの判断でした。
ただ、明日、もし、電車が動かないほどの大雪が降った場合、最低アナウンサー1名は中継に必要なので、1名は確実に札幌に入っておくことになりました。


八戸駅にて

そこで、年長者の古澤アナと中継経験の浅い、新人の中村アナが青森に宿泊し、私がそのまま札幌に行くことになりました。

本当は私と古澤アナで青森駅のホームで、「雌雄を決する大ジャンケン大会」を敢行し、勝ったほうが青森に宿泊する予定でした。ただ、ダイヤが大幅に乱れていた関係で、札幌行きの列車に急いで乗らなければならず、私が独断専行で札幌行きの列車に乗りました。
私は、氷点下の青森駅で、古澤アナの表情から「すまんが、吉野!!札幌に行ってくれないか・・。」というメッセージが出ていることを瞬時に察知し、行動に移したのです。
古澤アナも断腸の想いで私を見送ったと、信じております。

ちなみに、私と古澤アナとの間で緊迫感溢れるやりとりがなされていた、まさに、その時、中村アナはここでも「天性の間の悪さ」を発揮し、気楽にデジカメで青森駅の撮影にいそしんでいました。

札幌行きの列車は大混雑でした。
寝台列車と指定席はいずれも満席。
自由席も大混雑で、中には青森から札幌まで通路で寝たままの人もいました。
私も古澤アナとの別離を悲しむ余裕などなく、自分の今晩の寝床を必死に確保しようと懸命に動き、なんとか、私を含むスタッフ全員の席を確保しました。
そしてここからが本当の悪夢の始まりでした。
青森から札幌まで、ダイヤどおりに行って約8時間。
気の遠くなるほどの時間を車内で過ごすのです。
車内が快適であれば、さほど気にはなりません。
しかし、車内の環境は最悪でした。
在来線の自由席なので、とにかく狭いのです。
しかも、ここでも車内がとにかく暑いのです。
半袖になっても暑く、30分おきに車両の連結部に行き、涼む必要がありました。
これは大袈裟ではなく本当です。
車掌さんに何度か温度調整を頼みましたが、改善はされず、私は大汗をかきながら不快感に包まれていました。
しかも、私は極度の寝不足状態でした。
やじうまプラスに出演がある場合、私は朝の3時20分に自宅を出ます。
つまり、私は朝の3時過ぎに自宅を出てから、この時点で20時間近くが経過していました。
さらに、列車には食堂車や売店などは一切なく、私はまさに不眠不休の腹ペコ状態でした。
このとき、青森で別れた古澤アナが、その晩「大間のマグロ」を食べていたことなど知る由もありませんでした。

地獄のような長い時間が経過し、ようやく夜が明け始めた時、第2の悪夢が私達を襲いました。
大雪で列車が止まったのです。
時計を見ると、朝の5時でした。
札幌まであと1時間で到着する予定が、千歳付近で除雪のため停車し、結局、札幌に到着したのは朝の8時を過ぎていました。
プロレスの中継が始まるのは、その日の午後3時。
中継の打ち合わせは3時間前の12時。
5時間前の札幌到着が意味するもの、それは、「仮眠することすら許されない。」という厳しい状況でした。
私は萎えそうになった気持ちを奮い立たせ、会場に向かいました。


朝8時:札幌駅到着の瞬間

その日の興行で3試合を実況した私は、文字通り、精魂尽き果てていました。
そして、会場を去ろうとした時、衝撃的な事実が明らかになりました。
吉野「いやー。疲れたな。あ、そういえば中村、青森どうだった?」
中村「はい!!青森、良かったです!!大間のマグロ食べました!!」
吉野「・・・・。そうか。」
「大間のマグロ」いわずと知れた近海モノの最高級マグロです。
飲まず食わずの状態で30時間以上が経過していた私の脳裏には、何度も何度も中村アナの発した、「大間のマグロ」というフレーズがエコーのように鳴り響いていました。
また、困難を乗り越えて、無事、中継を終わらせた安堵感に包まれていたスタッフルームも、中村アナの一言が響き渡ると一瞬で凍りつきました。
スタッフも私と同様、みな、飲まず食わず状態。
凍りついた空気が即、殺気にかわりました。
まさに、「中村アナ危機一髪」。

天性の間の悪さを誇る者にしか許されない「大間のマグロ」発言でした。
 
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